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2012年4月

2012年4月29日 (日)

心を燃やしてくださるイエス

二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ24:32)

イエスが十字架につけられ失望した弟子たちはばらばらになる。そのうちの二人がエマオの村に帰るところだった。そこへ主が現れ、彼らに聖書を解き明かし、同じ食卓について賛美の祈りをして、パンを与えたのだった。
その後イエスの姿は直ぐに見えなくなる。上記の言葉はその時二人から発せられたもの。

牧師は「燃えた」は「燃やされた」の意味だとおっしゃった。
失望の道を歩む者に聖書が解き明かされ、イエスを身近に感じる時、その道は希望の道になるのである。
日々の私たちの歩む道もそうありたいし、事実そうあるようにイエスは臨んでおられるのであろう。

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2012年4月28日 (土)

朝の風景

120428_082403 土曜日の朝は遅い。私が起きてもまだカーテンが降りている。私は一人、玄関を開けて外に出る。
青空がいっぱいに広がっている。車椅子で東の道に回ると半ば休耕になっている畑に、朝の逆光の中で背の低い蒲公英が綿毛を丸く輝かせていた。
朝のしっとりとした空気を浴びて私はしばらく道端で時を過ごしていた。

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2012年4月27日 (金)

疲れと不安のある生活

どうも体調がよくない。経験したことのない高血圧の症状も現れている。いつも110代なのにここのところ130から時には140もあるのだ。
熱はないのに体が火照っている感じも睡眠中にはある。
友人が75歳を境にめっきり体が弱ったとよくぼやいているがうーん、私もその仲間になったのかな~。
疲れていたら休めばいいのに何もしていないわけにはいかないのでついついこうして余計な駄文を綴ったり、教会の記録整理などを始めてしまうのだ。
一人の生活はこんなところでも不便だ。
今日は愚痴だけ。ごめんなさい。

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2012年4月23日 (月)

人の営み

教会と言ってもやはり人の営み。どうしても人間的な要素は入ってくる。
昨日は教会の総会だった。役員として最善の準備はしたつもりだったが終わるとどっと疲れが押し寄せてきた。
上を見上げて神との交わりに喜びを見出しながらこれからもやっていくほかない。

こんな時慰めになるのが俳句である。
月曜日は新聞に俳壇が設けられる日。ここでは4人の方が選者になっているが私の好きなのは稲畑汀子氏である。虚子の流れを汲む伝統俳句を踏襲して、選ぶ句も私にはできないよい句が多い。

ここには先日我が家で行なった句会の中からいくつか紹介したい。

枝移り鳥の羽音や木の芽吹く   ひさい
芹の香をしゃきっと揚げて夕餉とし いく
ブラインドが春の青空刻んでる   悠歩
夜ざくらや茣蓙をはみだす笑ひ声  洋子
月明かり洗濯物を干す手冷え   由美子


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2012年4月17日 (火)

花見のうれしさ

二度花見をするチャンスをもらった。一度は礼拝の帰り、牧師が遠回りをして早春の山巡りをしてくれた時。
以前食事に行った早稲田キャンパスの丘は春の息吹を十分に感じさせる風景に変わっていた。木々が芽吹いて、一つ一つの若芽が幼児のような初々しさを見せていたのだ。
二度目、それは昨日だった。俳句仲間と福祉タクシーをチャーターして4人で早稲田キャンパスより少し先の里にある千本桜を見に行ったのである。川沿いに延々と続く桜並木は白雲が漂うばかりの光景であった。月曜の朝とあって人も少なく私たちがこの自然を独占しているようでもあった。
実は牧師と行った日にもそこまで足を伸ばしたのだったが人と車で混雑していてさわりだけを見て引き上げてきたのだった。
昨日は川沿いに車を走らせると、ところどころで梁に出会い、水が飛び散り、昔懐かしい風情を見ることも出来た。
桜見物の後は天ぷら蕎麦のお昼。鶯が鳴き、山には色とりどりのおまんじゅうを置いたような花の木がある中の蕎麦屋でざるそばに天婦羅を添えて満足のいく昼食を摂る幸いに与ったのであった。
変化の乏しい毎日の生活の中にこうした機会をいただけたことはなんと嬉しいことだろう。

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2012年4月13日 (金)

戦争への道

北朝鮮が弾道ミサイルを打ち上げるということでマスコミは大騒ぎをしている。事実、今朝打ち上げたとのことだ。今、TVではそれが失敗に終わって自衛隊は迎撃用の装備を撤収している姿を映している。
それにしても日本中がミサイルへの対応で一色になった感じさえする。沖縄では幼稚園では子どもを屋外で遊ばせないとか漁船には緊急連絡網を用意するとか、官だけでなく民も対応に追われているように見える。
先日沖縄に住む一人の方が、戦争が始まるようですね、と言っていたがまさにそんな雰囲気だ。
だが、マスコミが言うほど日本中が緊迫しているのだろうか。そうではないだろう。大方の人は日常と何ら変わりなく今日も過ごしているに違いないのだ。
そこで危惧することはマスコミがこうして醸しだす雰囲気が日本中に蔓延し、日常化することである。自衛隊が表に出て、各地に配備され、防衛省の動きが日常的に人口に膾炙する。アメリカ軍と自衛隊の軍艦や兵隊が当たり前のように目に入ってくる。
こうした異常さが異常と思えなくなってくると、次のステップが用意されても疑念を抱かずにそこを上ってしまう。
この異常さへの慣れ、ことの方が私は北朝鮮のミサイルよりも怖いことだという気がする。

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2012年4月12日 (木)

工事は休み

コーティングが終わって今日は工事は休み。職人が来ているとなんか落ち着かない。何も120412_111701_2世話をするわけではないが敷地内に他人がいると気になるものだ。
築16年になるので屋根と外壁の塗り替えをしているのである。多くの費用がかかる工事なので  引き延ばしてきたのだが私の元気なうちに一度やっておけばしばらくは安心なので決断したというわけである。
今朝は暖かなよい日である。桜を観にちょっと離れたお寺に行ってもいいのだが、それも億劫であ120412_111901る。先程外に出てみると畑には菜の花が光っていた。
今、家は膜で覆われている。 今度は少し緑を交えた色合いにしてみようと先日息子と話して、業者にその色を伝えてある。今月末には新しい姿を現すだろう。

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2012年4月11日 (水)

出生前診断

先日の朝日新聞に、ここ数年出生前診断を受けて妊娠中絶をする女性が増加しているとのリポートが載った。しばらく出生前診断の問題はマスコミの話題から遠ざかっていたので、忘れかけていたのだが、増加の傾向と聞いて驚いたのだった。そして、この件はどんな形でか追跡されたほうがいいし、そうしなければいけないと思っていた矢先、今朝の朝日の声欄に貴重な意見が寄せられていた。
ダウン症のお子さんを持つ女性からの投書だったが、そこには障害を持つ子どもとの幸せな関係が紹介されていた。この女性は二人目を懐妊したときには医師に出生前診断を断ったと書いていた。
ダウン症の心配が中絶の大きな要因になっていることを考えるとこの投書はいろいろな人が共に生きることの大切さ、その喜びを書いた尊い声である気がする。
世の中には必要な声を上げる人がいるんだなと小さな喜びをいただいた朝であった。

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2012年4月 9日 (月)

5人の入学式

ヒカちゃんが中学生になった。スカートはめったに履かないヒカちゃんが今日ばかりは紺の制服に身を包んで式典に行ってきた。
ハルちゃんの高校の入学式も今日だった。ママは一昨日から山口に出かけてしまったのでパパが身繕いの世話をしてのヒカちゃんの入学式であった。
孫たちがこうして皆巣立って行く。東京の孫たちも大学と高校へ進学したので、今年は4人の入学式があったことになる。世代交代の感、ひとしおである。
実はもう一人入学式を迎えた子がいる。我が家の孫たちと幼少時から家族同然の交わりをしてきたR君だ。彼は重い脳の病を得て長期間入院を余儀なくされた。時折帰宅が許されると私の書斎をぶらっと訪れて「じーちゃん、今帰ってきたよ」と顔を見せた。また、病院に帰る時も「行ってくるね」と挨拶に来たものだ。
発病の時は母親がヒカちゃんのママにすがって泣き崩れたのだったが、私には奇蹟としか見えない回復をして、この春には退院し、近くの高校に進学したのである。
私はきっと「じーちゃん、入学式をしたよ」とまた、顔を見せてくれるものと思って、わずかながらお祝いを用意してある。その袋の表には「入学おめでとう。ハルじーちゃんもすごくうれしいよ。よい高校生活を送ってね」と書いた。
早く来てくれないかな、と心待ちにしている昨日今日だ。

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2012年4月 6日 (金)

車が行ってしまった 車の思い出その2

2日、16年連れ添った愛車が新しい主人の許へ旅立って行った。駐車場が空になり、車止めが斜めになって古び、囲んでいる生垣には紅芽が出始めていた。
 
田舎に来てから駐車場には困ることはなかった。一応駐車除外指定車両のステッカーはもらっていたが、使った例がない。どこの店にも大きな駐車場があるし、病院、教会でも同様である。
だが東京では駐車場さがしに苦労が絶えなかったものだ。宿舎には一台分のスペースが与えられていたし、勤め先にでもさほど問題はなかった。
最も困難だったのは教会に行った時だった。駐車場がない、護国寺裏の狭い路地を入ったところの教会に35年通い、その間、役員や教会学校の教師などをしていたので教会に留まる時間も長かった。
駐車は自ずから路上となる。教会前まで乗り入れるとすれ違う余地もなくなるので少し前の6mm道路に置かねばならない。そこは角があったりおまけに電話ボックスがあった。最初はマツダクーペという360ccの小さな車だったが、ステッカーを出して、電話ボックスと北国銀行の宿舎の塀の間にできる小さなスペースに置いたものだ。
だがいつもそこが空いているわけではない。そんな時はもう少し教会に近い坂道に置かざるを得ないのだが、片側は住宅で時折車の出し入れがあった。礼拝や集会が終わって車に戻るとそこに主人が待っていて、何度苦情を言われたことだろう。
35年間と先程書いたが、最後の数年は会堂を新築し、駐車場も作ったから実際は30年かもしれない。
警察に摘発されるでもなくよく東京のど真ん中で駐車場所を探しながらこうして過ごしてきたものだと思う。それだけまだ世の中が許容心をもっていたのかもしれない。

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2012年4月 5日 (木)

入学式、教師が気の毒

入学式の季節がやってきた。子供たちの新たな旅立ちの日。本来ならば教師も子供も胸を期待にふくらませて迎えるであろう、この日。
だが、教師への同情を禁じ得ない昨今であることを残念に思う。
大阪では式場で教師が管理者に見張られる事態が起きている。君が代を歌っているかどうか、唇の動きまでチェックされるのである。
もしも唇が動いてないと管理者に呼ばれ、事実確認をされ、処罰の対象になってしまうという。
この図式の構造は簡単である。式で君が代を歌うことが法律にあり、公務員である教師は法律に当然従うべきである。これに反したら処罰することを決めた市議会は選挙によって信任を受けてるから処罰には正当性がある。
こうして教育の世界が一本の法律という道に支配されるようになってしまったのだ。
教育は自由の中で成り立つ。教師の自由、生徒の自由、関係の自由、その中で信頼と共存という関係が育って学びが成立する。
教育の自由を訴える人が声を上げることが求められている。

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2012年4月 4日 (水)

内なる者は強まりて

昨日、キ障協の役員会が拙宅で行われた。姫路からお一人、大宮から、熊谷からと三人の役員が来て下さった。暴風並の雨風の中、姫路から無事交通の足が確保されるだろうかと前夜から心配したのだが、皆さん予定の時刻には集まって下さった。
Tさんが手作りのお弁当を持参され、我が家のお勝手に入ってお吸い物を作り、豊かな肉の糧をいただいてから会議は始まった。
私はもう八年間会長の座にあり体の弱まりもあるので次回の選出を辞退したいと思っていたのだが、皆さんの言葉の中からにじみ出る信仰の姿勢にほだされて主を仰ぎながらこの夏に行われる総会でも期待されれば任に留まることとした。
その他総会の準備に関わる諸件が信頼の心をベースにして処理されていった。
姫路からの役員は透析を受ける生活の中にあるし、熊谷の方は心臓病を抱えている。しかし、主への奉仕の姿勢には柔軟で、強いものがある。私はそれを私の中にいただきながら会が進んだようであった。
無事会が終わり、最後の祈りをH兄が捧げ散会したのだが、心配した暴風はまだ来ていなかった。(今朝聞くと、新幹線が止まり、姫路には予定の一時間遅れで着いたとのこと)
一年に一度の我が家での集まりであるが、昨日は祝された一日であった。

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2012年4月 3日 (火)

孫の旅立ちと我が75歳の誕生日に

孫が山口県へ旅立って行った。当地の高校での生活のためである。スポーツの盛んな学校で先日は3年生の男子が卓球で日本一にもなった。孫はテニスに励むことになったが、今度帰省するのは来年の正月だという。
1日の朝、まだ私がベッドに居ると「じいちゃん、行ってきます」と挨拶して行ってしまった。
 
昨日2日は私の75歳の誕生日だった。誕生祝いは登録してあるメガネ屋さんやインターネット関連の会社からだけ。
それには関係なしに私は肝臓のCT検査のため朝食なしで福祉タクシーで病院に向かった。検査台に乗ったりシャツを脱いだりするのも大変なのだが、看護師さんが数人で手を貸して下さり無事に終わった。
結果を医師から問題ありませんね、と言われ家に帰ってきたのだった。
帰ると娘からお祝いのメールが届いていた。
孫が一人抜けたテーブルで夕食をいただき、ベッドに移ったのだが、小さな満足感をいただきながら11時過ぎに眠りについた。

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