« 過去からの自己肯定 | トップページ | 広がりの中で »

2012年3月26日 (月)

礼拝で居眠り

礼拝中眠くなって困っている。しっかり説教を聞いていようとするのだがついウトウトしてしまう。イエスの弟子たちが襲われた睡魔が私にもやってくるのである。
睡魔の正体はいくつか考えられる。もっとも大きなものは安堵感であろう。家で一人過ごしていると不意の訪問者や電話などに常に備えていなければならない。車椅子を下りて横になってはいなれないのである。
ところが礼拝中はそういう緊張感から全て解放されて、むくむ脚を車椅子の前に用意して頂いた椅子の上に投げ出し、心を無にすることができるのである。
第二には兄弟姉妹の思いやりの中に身を置いている温かさである。重い聖書を運んでいただいたり、親しく日常を語り合える関係。ここでは家よりも周囲の人に甘えていられるのだ。
そんな環境の中で牧師からイエスの愛が語られる。日々生活に疲れている者が睡魔に襲われるのも無理なかろう。

|

« 過去からの自己肯定 | トップページ | 広がりの中で »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 過去からの自己肯定 | トップページ | 広がりの中で »