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2012年2月17日 (金)

祈りを与えられた朝

夕べは何度トイレに起きたことだろう。まんじりともしないで朝を迎えることになってしまった。
だが、嬉しいこともあったのだった。それは5時過ぎだったろうか。突如、昨日の家庭集会での先生の聖書講解の中身がよみがえって、感謝の祈りが湧き上がったのである。
昨日の聖書は申命記であるがそこにはモーセが出エジプトの旅を振り返って、神に導かれるイスラエルの民がいかに幸せかを何度も語って聞かせる箇所があった。
先生によれば、申命記はモーセが語った言葉そのものではなく、イスラエルが捕囚に合った時、もう一度神の愛を確認するために書かれたものだとのこと。
目覚めた私は自分に注がれている愛を実感し、それに応える奉仕の業を教会で行う必然性を実感したのだった。そして、身近にあった新聞の余白に祈りの言葉を記して朝を迎えた。

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