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2011年12月19日 (月)

聞いた話

先日ふとラジオを聞いていたら歎異抄でのお経の意味について語っていた。
親鸞は歎異抄の中で葬式でお経を唱えることによって死者を極楽に送ることはできないと言っているとのことだった。
ある日釈迦が池の近くにいると弟子がやってきてお経を唱えたら死者は極楽に行けるでしょうかと尋ねたという。すると釈迦は池に石を投げ、石が沈んでいくのは石の重みで沈んでいくのであって誰もそれを救えるものではないと答えたのだそうだ。
仏教では本来、葬式でお経を唱えることなど教えていないのだから、死後の世界を云々するよりも今生きる毎日を佛に従ってどう生きるかが肝心であると歎異抄は教えている、そう歎異抄を語るラジオの声は伝えていた。
 
以上は寝ぼけまなこに聞いた話だからあまり信用して欲しくないが、キリスト教でも本質的には同じことが言えるのだろう。葬儀で説教によって死者を崇めることはもちろん適当ではないし、歎異抄で教えるとおり、私たちはイエスに従ってどう生きるかが常に問われているのだ。死後はそうして生きた自分を神様に委ねることしかできないだろう。

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