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2011年12月30日 (金)

キリストを信じる人に歎異抄の薦め

「歎異抄をひらく」(高森顕徹著 1万年堂出版)読んでいる。親鸞の信仰が平易に説かれたよい本である。
私がもっとも惹かれる理由はキリスト信徒である私に神中心の信仰をもう一度確認させてくれるところにある。キリスト教では福音、神の愛、聖霊などと言われることを歎異抄では「本願」と言うらしいが、ともかく救いは神から、いや歎異抄の場合は仏から来る、仏の世の人々を救いたいという慈悲、本願から来ることをしっかり説いているのがどうも歎異抄らしいのである。
言い換えれば人は自らの力、努力では救いに与れないのだ。歎異抄の代名詞になっている「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の名文句にもキリスト教の信仰理解を助ける真髄が隠されている。律法学者や祭司で代表されるよな世の「善人」、それらの人も神の救いの対象になっているのに自らを取り柄のない、汚れた者と認める「悪人」をどうして仏が救わないわけがあろうか、その人こそ他力的、神、仏中心の信仰の持ち主ではないのか、と歎異抄は言う。200頁の脚注には「他力の信心」を「阿弥陀仏から頂く信心」と解説しているが、私たちキリスト信者ももう一度神の憐れみによって救われる信仰を思い出すべきであろう。
クリスマスはその神の憐れみが御子の降誕という事実で示された出来事だったのだ。感謝。

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