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2011年11月16日 (水)

イレッサの毒性

肺がん治療薬イレッサを巡る裁判で国と企業側には責任がないとの判決が出された。新聞によると「副作用があるとしても、有用性があるイレッサに設計上の欠陥があるとは言えない」と裁判所は判断したという(朝日新聞)。
この記事の中で私が注目した言葉が「毒性」である。「従来の抗がん剤にほぼ必ず生じる血液毒性や消化器毒性、脱毛などの副作用・・・・」とあったのだ。医学上の定義は分からないが、一般的に考えれば、その薬の持つ否定的な作用、よろしくない働きであろう。
そう考えてよければ副作用などと言う用語よりも適格でわかりやすいと言えるだろう。
 
妻は治療の過程で放射線照射、摘出手術、鎮痛剤投与などあらゆる手段を講じた。抗がん剤では消化器系の毒性がもろに現れたし、精神活動にも毒性が働いているように見えた。
だが一向に快方に向かわないことを知ったとき、私はそれまで忌避していたイレッサの使用を医師に申し出たのだった。毒性の危険よりもその有用性にすがったのだ。だが、妻はこのイレッサさえ粒のままでは飲み込めなくなっていった。
 
今日も大学時代の友人からご主人の亡くなったことを知らせる葉書が届いた。毒性との闘いを経てもこうして人間の知恵を超えて人は召されていく・・・・。

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