« ES細胞と原子力発電 | トップページ | 聖書と障害論 »

2011年11月11日 (金)

胸つぶれる知らせ

最初に学級担任をしたS君から喪中はがきが来た。表書きは筆ペンで急いで書いた筆致である。不安を感じながら裏面をひるがえすと、妻○○が亡くなりましたとあった。61歳の人生であったとのこと。
S君は中学生の時は三輪型の車椅子で登校してきていた。自転車の後ろに車椅子を付けたような代物で片方の手で脇に付けたペダルを回し、もう一方の手でハンドを握って運転するのだ。
高校に行くようになって松葉杖が使用できるようになり、やがて大学進学を果たしたのである。奥さんになる女性とはそこで知り合ったらしい。
結婚式には主賓として招かれ祝辞を述べた思い出がある。
彼は市役所職員となり何年か前には定年退職をしている。そのころから奥さんに咽頭がんが起こり、ここのところは筆談での会話だった。
松葉杖を使う生活とへいえ、奥さんに頼ることの多かった日々であったであろう。また、奥さんもきっと彼を支えながら教員生活を送ったに違いない。
その二人三脚の生活が中断されて一体彼は今どんな思いでいるのだろうか。再度葉書に目を通すと、亡くなったのはまだ先月の末であることに気づいた。こんなときになぜ喪中はがきなどを書いたのだろうと一瞬驚いた。
きっと彼は今、一人でじっとしていられないのだ。宛名書きの筆づかいに見えるように、妻が亡くなった、愛するY子が居なくなったと皆に言い回りたいのに違いない。
友よ、悲しかろう。淋しかろう。どうか耐えてくれ。来月には手紙を書くぞ。今、私には何も言ってあげられそうもないのだ。

|

« ES細胞と原子力発電 | トップページ | 聖書と障害論 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ES細胞と原子力発電 | トップページ | 聖書と障害論 »