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2011年10月21日 (金)

成績の悪い子の人格

夜中まで英語の試験勉強に付き合ったので眠い。11時を過ぎた頃には疲れが出て、ビールをちょっと呑まないと継続しないありさまだった。
中学3年生の孫が今中間試験中なのである。現在完了形や不定詞の用法などが試験範囲だが普段はテニスに夢中で勉強は全くしていないから一夜漬けの勉強は大変である。「30点採れたらいいな」と本人が言うくらいだから実力の程は想像されよう。
同じ事を何度も聞きながら、それでも孫は英語を孫なりに一生懸命に学んでいた。11時半を過ぎるともう試験範囲を全部カバーできないことがわかったらしく、社会科の勉強に移るというので母親にバトンタッチして私は寝床に行くことにした。
何点の答案が返されるか気になるところだが、孫は何点でもそれにとらわれることもなくまたテニス中心の生活を快活に続けることだろう。母親も友達のように付き合いながら大事に彼女を守っていくに違いない。
 
成績が悪い子とは学校での教科を中心に見た子どもの評価であってその子の人格とは区別して考えるべきことである。全人格のそれは一側面に過ぎないのだ。成績が悪くても子供は学校生活を享受していることが多いのである。
最近大阪府の教育委員会の教育観が新聞などで散見される。それは格差を肯定し、学力中心主義の教育観に基づいたもののようである。
ここでは母親が大事にその腕の中に抱える存在としての子供、自分なりに自分を肯定して生きている子供はどこに自らの居場所を造ったらいいのであろうか。
 
不況などで社会が不安定になるとなにやら恐ろしいものが台頭してくるから用心しなければならない。

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