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2011年9月13日 (火)

ある元教師の死

 児童文学者であった山縣先生の著書の一つに「声援がきこえる」(PHP研究所 1992)があります。ここに登場する主人公の真一は太田家の長男ですが脳性まひを持って生まれました。その真一の成長のようすが太田家という家族を中心に物語では展開していきます。驚くことに山縣先生は真一を、なんと「整肢療護園」に入園させ、養護学校を体験させる物語に仕上げました。

 真一が初めて「見上げるばかりの大きなケヤキが二本ある」療護園で診察を受けたとき「部長先生」はお母さんに「障害児の親たちは人格のみがきこまれた人物が多い」「苦労をとおして人間が成長していくのでしょう」と語ります。また、母子入園したお母さんがオセンチ山で「ここに来て、本当によかったわ。」と言ったり、そのオセンチ山を案内する婦長さんが「子どもたちのなみだがしみこんで、ここの芝生はいつも青あおしているんですよ」と説明するところが出てきます。私はここには山縣先生ご自身の入園生やその親御さんへの理解と愛情が示されている気がしてなりません。また、これはご自分の生活の肯定でもありましょう。

 さて、ここに山縣先生は野球で身を建てようとまで意気込んでいた父親を登場させ、物語に野球という糸を始めから終わりまで通し、養護学校入学時のゴロ野球から転校後車椅子で仲間と嬉々と野球に興じる場面を設定しました。こうして、一度は自らの野望が挫かれてやけ酒を飲んでいた父親を「晩酌のウイスキーをかたむけながら、むすこのゲームの話を聞くのがいちばん」の親に変えたのでした。ここで注意しなければならないのは真一が野球を楽しむようになるまでには、グローブの代わりに魚網を使うなどの父親の発明があることです。

 そうです。先生は好奇心強い発明家、工夫主でもありました。真一の父親のように、好奇心に任せ、恐れずに何事にも先生は挑戦しました。挿絵が得意な先生は文字の習得が難しい生徒には絵カードを作って授業で使いましたし、私たちと旅に出るときにも密かにハーモニカを携え、その技の程はともかくも皆を喜ばせてくださいました。

 この好奇心、外向性と共に先生には正義感という賜物もありましたので、ある時には身近で、またある時には社会にそれを訴えました。私が入職して間もないある日、先生のお宅に招かれた時のことです。先生は小竹町にお住まいでしたが、二人のお嬢さんはまだ幼稚園児でした。松葉杖を突きながらお部屋にお邪魔すると先生は、今し方近所の家に抗議しに行ってきたところなんですよ、とおっしゃいました。お嬢さんが砂場で楽しんで造った造形物が心無い仕方で近所の子供に壊されてしまったのでその家まで押しかけたとのことでした。筋を通す、正しさを大事にする、先生はそんな方でもありました。

 これは学校でも会議の席、生徒指導の場などで時々顔を見せた先生らしいところでしたが、社会的には新聞の声欄への投稿に表れていました。児童文学者となったSB先生や私も何度か採用されことがありますが、山縣先生には及びませんでした。先生は戦争体験に基づいて右傾化する社会に常に警鐘を鳴らしていたのでした。

 制限字数になりました。最後に先生を天に送るに当たって贈ったメッセージを紹介して終わります。

 「先生、あなたは愛の鎧を身にまとい、正義の御旗を立て、好奇心という愛馬にまたがってこの世を駆け巡られました。そのお働きに心からの感謝と賛美をささげます。ありがとうございました。」
(整肢療護園同窓会機関紙「ばんび小屋だよりNO.92」に寄稿した文章を一部修正)

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