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2011年9月29日 (木)

主の言葉の力

主の言葉は不思議にはたらくものだ。
先日、資料整理をしていたら昨年のキ障協総会で受け持った開会礼拝の原稿が出てきた。それを読み始めた私はその冒頭に書かれていた自らの文言に引き寄せられたのだった。
ヨハネ黙示録の冒頭には七つの教会に宛てた手紙がありますが、そこで繰り返し主がおっしゃっていることが『私は知っている』という言葉です。ローマ皇帝の弾圧に遭って困難を極めている人達に『私はあなたたちのことを知っている』と神はおっしゃるのです。同様に、私たちの困難も主は知っておられると私は信じています。そうであれば、『私は知っている』とはなんと恵みに満ちた言葉ではありませんか。聖書では『知る』という言葉は知識として知っているという意味ではありません。関係を持っている、関わりがあるということです。主がそのお体を用いて支えてくださっておられるのです。」

これがその文章である。自分の書いたこと、言った言葉に励ましを受けるとはおかしなことのように思えるが、実はそうではない。主の御言葉は人に用いられる時、常に活きてはたらくものなのである。

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コメント

「聖書では『知る』という言葉は知識として知っているという意味ではありません。関係を持っている、関わりがあるということです。主がそのお体を用いて支えてくださっておられるのです」
なぜか涙が…。
苦難を乗り越えるたびに心が豊かになる方々のわけが解りました。

投稿: kiriki | 2011年9月30日 (金) 08時44分

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