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2011年9月

2011年9月30日 (金)

コメントを通した交わり

昨日の記事「主の言葉の力」に早速kirikiさんからコメントをいただき今朝は感謝の心で一日を始めることが出来た。
kirikiさんがご自分の生活を賭けてお読みくださったことに私も心を揺さぶられたのである。これも主のお働きであろう。
kirikiさんだけでなく、朝の祈り、実はこれはまだパジャマのままでベッドから携帯電話でupしたのだったが、この記事にODさんはコメントを下さった。
朝の祈り読みました。同じです。夜ベットにつく時も感謝です。10月10日、22日の集会のためにも祈ってください。準備不足です。明日明後日の研修会もお願いいたします。今晩も障害程度区分の審査会で7時過ぎまでがんばってきました。これから家に帰ります。 満点の星を見上げながら!」
ODさんの上に神様のお守りが今日もありますように。

 

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2011年9月29日 (木)

主の言葉の力

主の言葉は不思議にはたらくものだ。
先日、資料整理をしていたら昨年のキ障協総会で受け持った開会礼拝の原稿が出てきた。それを読み始めた私はその冒頭に書かれていた自らの文言に引き寄せられたのだった。
ヨハネ黙示録の冒頭には七つの教会に宛てた手紙がありますが、そこで繰り返し主がおっしゃっていることが『私は知っている』という言葉です。ローマ皇帝の弾圧に遭って困難を極めている人達に『私はあなたたちのことを知っている』と神はおっしゃるのです。同様に、私たちの困難も主は知っておられると私は信じています。そうであれば、『私は知っている』とはなんと恵みに満ちた言葉ではありませんか。聖書では『知る』という言葉は知識として知っているという意味ではありません。関係を持っている、関わりがあるということです。主がそのお体を用いて支えてくださっておられるのです。」

これがその文章である。自分の書いたこと、言った言葉に励ましを受けるとはおかしなことのように思えるが、実はそうではない。主の御言葉は人に用いられる時、常に活きてはたらくものなのである。

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2011年9月28日 (水)

朝の祈り

神様、あなたを覚えてこうして新しい朝を迎えられましたことに感謝します。今日の一日をあなたの前に過ごさせて下さい。困った時には子供が母親の顔を見上げるようにあなたを仰いがせて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン

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2011年9月27日 (火)

空気をいっぱいに吸い込んで

朝のラジオで生島ヒロシさんが医師と健康法について話していた。健康を保つ上で自律神経の働きは大きいという話になった時、ゆっくり呼吸をすることが大事たということその医師は言った。
私はそれを聞きながら布団の中でゆっくりと腹式呼吸を始めていた。そして、毎日何かに急かされながら日を送っていることを思い返した。
昨年のキ障協総会でお願いした講師の方が、うつ病の人は食事が異常に早いとおっしゃっていたことも同時に思い出した。
ガツガツと生活しないと落ち着かない、自分が何処かに行ってしまいそうで心配である、そんな心で毎日を過ごしている人が今の世には多いに違いないのだ。
大きく、ゆっくりとお腹いっぱいに空気を吸い込み、また同じ時間を使ってそれを吐いていく。その時の安心感。それはなんとも言えずいいものだ。
自分のからだを意識しながら力を抜いて、空気をいっぱいにいただいて今日を過ごそう。

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2011年9月26日 (月)

教会の友と

秋分の日、日本基督教団埼玉地区内にある「埼玉障害を負う人々と共に生きる教会を目指す懇談会」(アーモンドの会)主催の会に教会の方3名と一緒に行ってきた。埼玉県和光市の教会が会場だった。
電動車いすになってから外出が大変不自由になった。一般の自動車には車椅子は載せられないからだ。だが、今回は福祉車両のレンターカーを利用し、教会の若い友が運転を担ってくれて片道1時間ほどの道を行ったのだった。頻尿の私を気遣って友は何度もパーキングの必要を問うてくれた。
 
集会の講師は時々このブログにも紹介している北上市に住むOD兄。リュウマチのために長い闘病生活をし、その後の生活にも沢山の困難を持つ友だ。だが、不自由な手で鉛筆の先に消しゴムを付けてキーボードの一字一字を叩いて作った原稿を読みながらの話は力強く、感動的なものであった。ここに詳細を紹介できないのが誠に残念である。
午後の自閉症の息子さんとの信仰生活を語ったK姉妹の証しも恵み豊かなものであった。
 
初めての経験故車椅子の固定も3人の試行錯誤だったが、往復2時間半ほどの信仰を共にする4人が乗る自動車には秋の爽やかな空気が満ちていた。

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2011年9月22日 (木)

レンズの話

今朝は手持ちのレンズの話をしよう。どのレンズもみなホコリをかぶっているし、レンズキャップを長い間外されないままでいる。ただ、その中で時折覗きこむレンズがプラナー85㍉1.4である。口径8㌢ぐらいはあるだろうか、その奥に湛えている緑色は深い淵を覗いているようでさえある。
CONTAX用のレンズには他に、Distagon25㍉、プラナー50㍉1.4、テッサー45㍉がある。85㍉や25㍉は日本製のレンズに比べてかなり高価だったがボーナスが出ると池袋にあったキクヤカメラに買いに行ったものだ。
OLYMPUS用のズイコーレンズには次のものがある。
21㍉、28㍉、50㍉1,4、50㍉マクロ、125㍉、75-150ズーム。
他のレンズメーカー製はタムロン35-70ズーム、90㍉、300㍉、500㍉リフレックスレンズ。
写真雑誌にはタムロンレンズで撮った中間調の女性写真が時々入選していて、それに憧れて比較的求めやすいこれらを買ったりしたのだった。
勤めの帰り路、写真屋さんに寄って上がった作品の出来ばえを見るのを楽しみに多くの写真を撮ったのだが、その数枚はアサヒカメラ、カメラ毎日、フォトコンテストに掲載されたり、区の観光写真コンテストで推薦の栄誉に与ったりもした。
写真屋さんのマスターが主催するモデル撮影会で仲間と郊外にまで出向き、買ったばかりのレンズの効果を期待しながら夢中でシャッターを切ったり、またヌード撮影会では特殊フィルターを付けて白い肌を狙ったこともある。
そのレンズ達は今忘れられたように、冷たく棚の上に並んでいる。

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2011年9月21日 (水)

カメラの思い出

ブログで時々素敵な写真を見せてもらうさくらさんがOLYMPUSカメラをいつもの生活感あふれる感覚で作品に仕上げていた。(http://blog.goo.ne.jp/sakura-bb
つい懐かしさのあまりコメントを入れると直ぐに返事をいただき、また使ったことのあるカメラ名が出てきたので、私はカメラの思い出がふつふつと湧きあがるのを抑えきれなくなった。
昨日は通院で疲れきっていたのだが、傷む肩を騙しながら、ホコリをかぶっている手許のカメラを棚の上に並べてしばらく見つめていた。Photo

他にもレンズやカメラ機材は多数あるのだが、今朝はカメラ本体だけ紹介してみたい。機種名だけを書くとこんな具合である。

OLYMPUSPEN-EDD(最初に買ったもの) コニカEF3D(板橋区観光写真コンテストの賞品) コニカBIGMINI(妻のために買った使いやすいカメラ) ミノックスGT-E(ドイツ製のミニカメラ) OLYMPUS-OM1(写真を本格的に始めた頃のもの) OLYMPUS-OM2 コンタックス139QUARTZ(ドイツ製のレンズを付けて多くの作品を産み出した愛用機) ミノルタ ウエルミー(義兄から譲り受けた6版のジャバラカメラ) MIRAX(特殊なフィルムを入れて使う謎多いカメラ)
 
徐々にこれらのカメラの思い出も書きたいが、それは余りにも多くのものを詰めこんでいるのでなかなか無理だろう。
  

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2011年9月20日 (火)

「ビッコ」という言葉

昨日は休日だったので変則的だが中央競馬が開催された。阪神競馬場では8レースに3000メートルの障害競争が組まれていた。3000メートルの長丁場をハードルを越えたり、水郷を跳んだりするレースはなかなか面白いものがある。
昨日は他にあまり興味あるレースがなかったのでここに賭けてみることにした。
 
定期的に受けているマッサージの先生が来る時間、それがちょうど発走の時間と重なった。私はテレビをつけたままマッサージを受けることにした。横になっているのでどの馬が先行しているか見づらい。「今、何番がトップですか?」などと先生に尋ねながら足や肩をいつものようにもんでもらった。
結果は私の馬は二着だったが他に選んだ馬が一着に来てくれたので見事的中。おまけにワイドという組み方でも当たってこのレースはおまけが来たのだった。
 
テレビでは一レースが終わると次のレースの馬がパドックを回って馬の様子をファンに見せる。その時、先生が「あの馬、ビッコをひいていますね」と言った。
仰臥位の私は上にある先生の顔を見ながら、「その言葉、以前にもお遣いになりましたね。適切な言葉ではないです。先生の私に対する接し方などから先生の言葉に差別の意味が含まれていないことはわかりますが」とためらうことなく言った。「80代の人もよく遣いますが、そんな方にはこんなこと言いませんが先生は職業柄、これからも障害を持った人に出会う機会が多いでしょうから」。
直ぐに、「馬の中には足を引きずっているように見えるのもいるんですね」と先生が言い直してこの話はおしまいになった。

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2011年9月19日 (月)

秋が来た

 風呂桶に二回沈める秋が来た
 
この頃は体を洗ってから浴槽に浸かって、しばらくして上がることが続いていた。以前のようにまず体を温めてから体を洗い、もう一度浴槽に入ることは体の動きがきつくなってからはできなかったのだ。
今夜は何か月ぶりだろう。二回入ることが出来たのである。涼しい秋になったこともあるが、もう一つ、それはこのごろの体調に関係しているようだ。
腕の痛みも少し和らいだようだし、浮腫みが減って動きやすくなったのである。
一度横になると疲れが体全体を包み、腕の自由に回らない状態は変化ないのだが、その中に一筋の望みの糸が張っていることを感じている。

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2011年9月15日 (木)

民数記と共に5年

今朝は家庭集会の日。牧師他3名が来て下さった。
最初に賛美歌「あまつましみず」を賛美する。天からの真清水で心が、生活そのものが潤されていることに感謝。
聖書は民数記の最後の章、36章。皆で輪読し、先生の民数記を振り返っての説明を聞く。
先生の記録によると民数記を始めたのは5年前の11月だったとのこと。5年間かかってようやく読み終えたことになる。その間、家庭集会の参加者もだいぶ変わった。引越しをした方、妻のように召されたものも居る。あたかもイスラエルの民が長い年月をかけて荒野を導かれているようであった。
これからイスラエルはヨルダンに入り、新しい国の建設に入る。
私たちの生活も主の導きの許、天への道が開かれることを祈る。

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2011年9月14日 (水)

小さな句会

秋草やサッカーボール顔を出し  由美子

人生の秋に染みたし朽葉色    悠歩

零余子飯年に一度は向き合ひて ひさい

御無沙汰の葉書を添えて梨送る いく

歳時記のページめくりて秋一日  いく

ぬくもりのある部屋恋し秋の朝   悠歩

ペダル踏む白き靴下秋の風    ひさい

葉隠に赤き実を持つ秋となり    由美子

 
素人同士の句会。もう52回になった。月に一度の割で行っているからもうかれこれ4年半も続いていることになる。メンバーも変わって、最近になって由美子さんが加わったが、彼女の表現は会毎によくなっている。
 
皆さん生活経験が豊かで、私には知らないことを詠み込んでくる。零余子、これなど私の知識外であった。ぬかご、と読んで、山芋の葉のところにできる実のようなものだという。
「先生、知らないんですか。」と呆れられる始末。
いつものように句会の後は持ち寄って下さった料理をいただいたのだが、ご飯は零余子飯であった。

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2011年9月13日 (火)

ある元教師の死

 児童文学者であった山縣先生の著書の一つに「声援がきこえる」(PHP研究所 1992)があります。ここに登場する主人公の真一は太田家の長男ですが脳性まひを持って生まれました。その真一の成長のようすが太田家という家族を中心に物語では展開していきます。驚くことに山縣先生は真一を、なんと「整肢療護園」に入園させ、養護学校を体験させる物語に仕上げました。

 真一が初めて「見上げるばかりの大きなケヤキが二本ある」療護園で診察を受けたとき「部長先生」はお母さんに「障害児の親たちは人格のみがきこまれた人物が多い」「苦労をとおして人間が成長していくのでしょう」と語ります。また、母子入園したお母さんがオセンチ山で「ここに来て、本当によかったわ。」と言ったり、そのオセンチ山を案内する婦長さんが「子どもたちのなみだがしみこんで、ここの芝生はいつも青あおしているんですよ」と説明するところが出てきます。私はここには山縣先生ご自身の入園生やその親御さんへの理解と愛情が示されている気がしてなりません。また、これはご自分の生活の肯定でもありましょう。

 さて、ここに山縣先生は野球で身を建てようとまで意気込んでいた父親を登場させ、物語に野球という糸を始めから終わりまで通し、養護学校入学時のゴロ野球から転校後車椅子で仲間と嬉々と野球に興じる場面を設定しました。こうして、一度は自らの野望が挫かれてやけ酒を飲んでいた父親を「晩酌のウイスキーをかたむけながら、むすこのゲームの話を聞くのがいちばん」の親に変えたのでした。ここで注意しなければならないのは真一が野球を楽しむようになるまでには、グローブの代わりに魚網を使うなどの父親の発明があることです。

 そうです。先生は好奇心強い発明家、工夫主でもありました。真一の父親のように、好奇心に任せ、恐れずに何事にも先生は挑戦しました。挿絵が得意な先生は文字の習得が難しい生徒には絵カードを作って授業で使いましたし、私たちと旅に出るときにも密かにハーモニカを携え、その技の程はともかくも皆を喜ばせてくださいました。

 この好奇心、外向性と共に先生には正義感という賜物もありましたので、ある時には身近で、またある時には社会にそれを訴えました。私が入職して間もないある日、先生のお宅に招かれた時のことです。先生は小竹町にお住まいでしたが、二人のお嬢さんはまだ幼稚園児でした。松葉杖を突きながらお部屋にお邪魔すると先生は、今し方近所の家に抗議しに行ってきたところなんですよ、とおっしゃいました。お嬢さんが砂場で楽しんで造った造形物が心無い仕方で近所の子供に壊されてしまったのでその家まで押しかけたとのことでした。筋を通す、正しさを大事にする、先生はそんな方でもありました。

 これは学校でも会議の席、生徒指導の場などで時々顔を見せた先生らしいところでしたが、社会的には新聞の声欄への投稿に表れていました。児童文学者となったSB先生や私も何度か採用されことがありますが、山縣先生には及びませんでした。先生は戦争体験に基づいて右傾化する社会に常に警鐘を鳴らしていたのでした。

 制限字数になりました。最後に先生を天に送るに当たって贈ったメッセージを紹介して終わります。

 「先生、あなたは愛の鎧を身にまとい、正義の御旗を立て、好奇心という愛馬にまたがってこの世を駆け巡られました。そのお働きに心からの感謝と賛美をささげます。ありがとうございました。」
(整肢療護園同窓会機関紙「ばんび小屋だよりNO.92」に寄稿した文章を一部修正)

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2011年9月12日 (月)

のんびり行こう

ひとり者長き厠や秋涼し
朝の諸行事( ^ω^ )が終わってゆっくりトイレに入る。まず車椅子から便器に乗り移らねばならない。左手で重い体を支えながら、スライドする。
ズボンを下ろすのも一苦労である。何も腰の周りにつけていないことが肝要だ。それでも浮かない腰から下げるには力を必要とする。
やっと準備が済むとあとは気ままである。誰に急かされるわけでもない。運動不足の体だから便秘はいつものことなのだが、お客さんがおいでになる様子が現れるまで、ときには携帯電話でメールチェックをしながら座り続ける。
言い忘れたが、トイレのドアは開けたままである。
上掲の句はそんな中でひねったものだ。寒い時にはそうのんびりもしておられないが、秋のよい日、こんなことででもゆとりを取り戻したいものだ。
 (厠の話など記して平にご容赦)

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2011年9月 9日 (金)

「葛を見たりして、興奮して回ってきたよ」。電話の向こうでHさんの声は弾んでいた。
彼は入院中である。周囲の方は認知症などで会話のできない人が多いそうだ。最近娘さんに携帯電話を買ってもらったので、いつも電話してごめんね、と言いながらよく電話してくるようになった。
彼は自然が大好きで、健康なときには友人を率いて山歩きをしたり、野生の葉を天ぷらにして皆に供したものだ。
その彼が入院したのは自分では金銭の管理も許されず、病院から出ることもできないところだった。今日の娘さんの話では窓を開けることもできないから蝉の声も聞こえないし、樹木も見えないとのこと。
今日は娘さんが付き添って公園に出かけたのだ。先日の電話でもこれを楽しみにしていることを語っていた。
今日は暑かっただろう、と私が言うと、興奮して歩いたのでわからなかったよ、と彼は即答した。葛を見たりしてさ、とも言った。
葛が目に止まったことはいかにも彼らしい。Hさんらしさがしっかり残っている証拠である。それだけに今の環境が哀れでならない。
早く退院できて、風を感じ、好きな草木に触れる日常に身を置いてほしいと祈らずにはおられない。

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2011年9月 8日 (木)

散髪に行く

髪も近ごろは若干薄くなったからそのままでもいいかなという気もしたのだが、耳の周辺がどうもうっとうしくて仕方ない。風呂場でサーボを使って自分でカットする手がないではない。だがそれをやると後の処理が大変である。
通院でタクシーを使った一昨日、これはチャンスと思って、帰り路回ってもらうことにした。
どんなふうにしましょうか、と店員が問う。さっぱりあげてください。と私は答えた。
いつもこの店には行っているのだが、車の運転ができなくなった今、以前のようには頻繁に来られない。そういう背景があっての答だった。
電動車いすに乗ったまま、いつものように15分ほどで散髪は終わった。
待っていてくれたタクシーで頭に涼風を感じながら帰宅した。

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2011年9月 6日 (火)

講師紹介が簡単である場合

度々このブログに登場してもらっている北上市に住むODさん。彼が今月23日、埼玉・和光教会で講演をする。日本キリスト教団埼玉地区「障がいを負う人々と共に生きる教会を目指す懇談会」に招かれて主題講演をするのだ。
私も何年か前この会で講演をしたことがあったが、講演の前に会の主催者によい講師紹介をしていただいた思いがある。きっと今回も同じ手順を踏むに違いない。
私は主催団体に関係していないから一参加者として同じ教会の兄弟と共にその日会場に向かおうと思う。
ただ、今回の「講師」、と言うとなんだか内実を薄めてしまう気がするのだが、その語り手について私が紹介すると仮定すれば、自信を持って参加者に語れる気がする。それは彼のことを、経歴、現況などの事実を超えて言葉にできる自信があるのだ。なぜなら彼がその信仰の姿において、日常を生きる根性においていつも私に迫っているからである。
こういう「講師」紹介は簡単であるに違いない。

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2011年9月 3日 (土)

樽木野という蕎麦屋さん

今朝のNHK朝のテレビ小説「おひさま」は蕎麦屋さんが大火に遭う場面だった。いったいこれは事実に基づく話かどうか知りたくなって検索しているうちに、数年前妻と松本市を訪れた思い出がよみがえってきた。
松本駅前でなかなかいい雰囲気の蕎麦屋に入ったのだった。古いCDロムを取り出して写真を見ると、どうも樽木野という名のお店らしい。
車椅子のままお店に入り、狭いテーブルを前に二人で向き合った。何を食べたのか覚えていないが、たぶん山菜そばでも頼んだのだろう。若い店員さんが心地よく応対してくれた。
ネット検索してようやく見付け出したその店は店内も外観も想い出通りのたたずまいだった。
いつも持ち歩くバッグをテーブルの上に置いて麺をすする妻の写真を見ながら、彼女はいなくなったが、蕎麦屋さんがそのままあることに小さな喜びを感ずる私だった。

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2011年9月 2日 (金)

60年台の付き合い

雨の中、まず高校のある地元の町に住むS君が来た。約束は11時だったが、10時過ぎにやってきた。それでも渋滞でいつもなら30分あれば十分なのに1時間20分かかったという。
定年後は畑を友として、一日中野菜の面倒をみている彼だが、昨日は雨で心置きなく外出ができたというわけである。
礼儀を重んずる彼は私ともう一人やってくる友Tのためにケーキを携えていた。
ひとしきりお互いの生活状況を話し合っているとTから携帯に電話がかかってきた。高速道路が豪雨のために通行止めで、到着には時間がかかりそうだという。それを聞いたSは、俺は先に失礼するわ、田んぼの水を見なければならないからね、と帰り支度を始めた。なにかやることがあったら言ってね、と彼が言うので、僕ほど他人の世話を受ける幸せ者はいないかもしれないね、と返事を返す。
 
Tが到着したのは11時30分。まず、血液検査のデータを見せる。彼は他の検査結果や医師の所見を聞いた後で、全身的な病気は大丈夫のようだね、といつもの早口で言った。そして、浮腫の件はしばらく利尿剤を続けてみたらいい、それに合わせてせいぜい運動をすることだね、と付け加えた。運動は心臓の働きを活性化させるから静脈から血液が還ってくるのにいいのだという。
リハビリ上の留意点、知識人ほどリハビリの継続が難しいこと、短期間の効果を期待しないで我慢強くやること、を自分の経験から語った後で、君にはこれが大事だよ、と念を押す彼だった。
大学教授を退いたTだがまだ仙台の学校には週に2回出掛け、後は家で授業準備、ウオーキングの毎日だとのことだった。
 
Tも慌ただしく帰って行ったが、一人になって、いったい私たちは高校卒業後何年経っているのだろうと計算すると、それは56年であった。

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