« 重い足 | トップページ | 休みに入る幸せ »

2011年8月 6日 (土)

左手用の急須

左手用の急須なるものが世の中にあるのだろうか、と真剣に考えた。気づいてみると急須は右手で使うようにできている。これを左手で持つと注ごうとしている茶碗のありかが見えなくなる。これはなんとも不便であるし、危険でもある。
先日来右手の痛みについて書いてきた。これはお茶をいれるという些細な日常事にまで影響しているのだ。
世の中には一般的な規範というものがある。その一つに右手文化というものがあるのだろう。
この文化から外れた人は人知れず幾多の不便や悩みを抱えているに違いないのだ。
痛みを負わないとこんなことにも気付かないのが人間である。
今、先日の集会の主題講演のテープ起こしをしているが、奥田知志さんは今度の震災に当たって、東を援助する、東を支援するという視点では問題は解決しないと訴えた。東から聞く、東に変化の原点がある、という方向転換、これを神学的にいうとメタノイアというそうだが、このことこそ必要だと言っていた。
急須の話から飛躍したが、困難を抱えているところから新しい動きが起こる、という話のお粗末。

|

« 重い足 | トップページ | 休みに入る幸せ »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 重い足 | トップページ | 休みに入る幸せ »