« 主の関わりを人の間に | トップページ | 家庭集会 »

2011年7月19日 (火)

私がある、という感覚

友との確かな時間が過ぎていた。それぞれの家庭の現状をそのままに語り合いながら、友は私のむくんだ裸の足をさすり続けている。先程は肩から背中にかけて温かな手で撫で回し終えたところだった。
友は遠方から妻のために花束を抱え、一年ぶりに来てくださったのだ。職場で私の方こそ援助をいただきっぱなしだったにもかかわらず、友は私たち年配者を立てて仕事をしてくださった。
別れには手をとりあって感謝の挨拶を交わしたのだが、しばらくぶりの率直な交わりに私は言葉に詰まった。
 
夜中、目覚めた私はそこに私がある、という感覚を覚えていた。私という体、人格が個体として確かにベッドの上にあった。
互いに相手を受け入れあう、その友との交流がもたらした産物に違いなかった。

|

« 主の関わりを人の間に | トップページ | 家庭集会 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 主の関わりを人の間に | トップページ | 家庭集会 »