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2011年7月

2011年7月31日 (日)

聖日の朝の祈り

主なる神様、祈りの時をありがとうございます。
今日は兄弟姉妹、あなたのもとに相集って先生を通してあなたからみ言葉をいただく日です。どうぞ親しく集いの中においでください。そして、御姿を現してください。皆があなたとの触れ合いに心を動かし、心を強められ、ひとときを過ごすことができますように。
今日もまた私はその祝福の場に参ることができません。でもあなたによって会衆と一つにされていることを信じます。今ここにあなたがおられることを知っています。
私同様、会堂に参加できない多くの友も私と同じようにお支えください。
あなたを賛美しながらこの祈りを主の御名によって祈ります。

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2011年7月29日 (金)

拝むのはどちら?

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」が面白く、毎朝見ている。安曇野を中心とした長野の景色が美しいし、戦前から戦後という時代背景も私には親しみやすいからだ。
今朝は実家に戻った主人公が亭主と共に母と兄の遺影に誕生したばかりのわが子を見せ、仏壇に手を合わせる場面だった。
ところで、先日友が我が家を訪ねてくださったことは既に書いたとおりである。その友が妻のために生花を持ってきて下さり、妻の写真の前に供えた後で、「どっちを拝めばいいんですか?」と尋ねたのだった。妻の写真が一枚(室蘭に旅行した際のもの)はテーブルの上に、もう一枚(新婚旅行から帰った翌日のもの)はその脇の壁に貼ってあるから迷ったというわけである。
「どちらでもいいですよ。妻にかわりはないんですから」。
そう言う私の答えを聞きながら彼は正面の写真に頭を垂れ、黙祷した。
キリスト者で仏壇を設けない私を見舞う人々にはいつもこんな戸惑いを抱かせてしまう。だが、仕方ないだろう。妻は今、天国にあって神と共に憩っているのだから。

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2011年7月26日 (火)

タクシー料金6000円

一度は診察を受けておこうと決め、昨日F市の病院へ行った。自分で運転が叶わないので車椅子ごと乗れる福祉タクシーを利用する。
整形医は若い方だったがよく話を聞いてくれ、レントゲン検査を行った後、頚椎にも注目しながらリハビリと薬で様子を見ましょうと肩に一本注射をした。腱板断絶の疑いもあるとのことだったが、これはMRI検査が必要とのこと。今回それはやめた。
午後、リハビリを受ける。適確な説明をする理学療法士に遭遇。1時間程生活の中で行える運動を教わり、帰宅。だが、詳細は失念。
昨夜から痛み止め薬を服用し、塗り薬を使ったが、やや痛み軽減の様子。理学療法士のおっしゃるとおり4,5ヶ月のスパンで見ていこう。
病院への往復タクシー料金、6000円也。痛い。

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2011年7月24日 (日)

礼拝に行けない

腕の痛みがひどい。伸したまま、その状態を保持できなくなってしまった。車のステアリングを回転することも無理だ。
今日は朝から一人。礼拝参加を見合わせた。
今日の聖句を読み、一人祈った。
パソコンも上腕部を使う。しばらくここの記事も簡単に書くに留めよう。

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2011年7月21日 (木)

家庭集会

教会は教会堂で行う礼拝や祈祷会だけでなく信者の家で開く集会も持っている。これは礼拝に参加できない人が平日の昼には集えるかもしれないし、また家庭集会を行う信徒の周辺の知人も呼べる利点を持つ。
だが、それは本来の狙いであって現在はそうした人が集うことも少なくなってしまった。
 
私の教会では地区集会と呼んでいるが、今朝は我が家が会場だった。老齢になって転居してしまい常連が1人欠け、妻が元気だったときにはおいでになっていた方が不参加になったりしていつもは4人ほどで聖書の学びと祈り、交わりを許されていたのだが、他の2人も都合がつかず今朝は先生と2人だけの会となった。
 
聖書は民数記。イスラエルの民が長い旅を終え、カナンの地に入る前の土地配分の話である。レビ人のための42の町と逃れの町6つ。これを嗣業として主は用意する。
土地も町も皆、主からの賜であることが分かる。
私たちに神はイエスを嗣業として与えたもうたし、私たちも主の嗣業であることを知る。
 
夏休みに入った孫ふたりを居間から追い出しての集会であったが少人数でも恵み豊かな時であった。

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2011年7月19日 (火)

私がある、という感覚

友との確かな時間が過ぎていた。それぞれの家庭の現状をそのままに語り合いながら、友は私のむくんだ裸の足をさすり続けている。先程は肩から背中にかけて温かな手で撫で回し終えたところだった。
友は遠方から妻のために花束を抱え、一年ぶりに来てくださったのだ。職場で私の方こそ援助をいただきっぱなしだったにもかかわらず、友は私たち年配者を立てて仕事をしてくださった。
別れには手をとりあって感謝の挨拶を交わしたのだが、しばらくぶりの率直な交わりに私は言葉に詰まった。
 
夜中、目覚めた私はそこに私がある、という感覚を覚えていた。私という体、人格が個体として確かにベッドの上にあった。
互いに相手を受け入れあう、その友との交流がもたらした産物に違いなかった。

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2011年7月18日 (月)

主の関わりを人の間に

「もう一人にさせない」が読み終わった。主のこの世との関わりを示すよい本であった。
奥田さんはホームレスの方や街の中で人との関係を絶って過ごす若者と積極的に交わり、必要によって食事を提供し、家に連れてこられ、また役所に赴いて援助をするなどの活動をしながら牧会を続けておられる。
この活動の中心を「絆」づくりと位置づけているようであるが、私に言わせればそれは関わりである。
沢山の事例を通して、その過程には涙と感動が伴うのだが、人は関係性の中で甦り、人間らしく生きていくことを先生は示してくれた。
この活動の根底には先生が、いや人が主から愛の関係、関わりをいただいているという理解がある。本書にはそれを証する聖書講話がたくさん散りばめられていた。
神は最も大切な独り子イエスをこの世に送りたもうて関わりを持ってくださったし、イエスは苦しむ者、孤独な者を招いて関係を持ち、その故に十字架に付けられたのだった。
主が関わってくださったその愛を人の中に現す、これこそが奉仕活動であろう。

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2011年7月16日 (土)

夏からぬ夏

昨日の句会に
 郭公の来ぬまま過ぎぬ妻命日
という句を出した。妻の命日は7月の5日なのだが、この時期にはいつも郭公がやってきて、電線や近くの木の上で朝から良い声で鳴いたものである。だが、今年はどうしたことかとうとう郭公は現れなかった。
その日、私は岡山の集会に行っていたから、どなたかに来られても困るのだが、3日前三男がお墓参りに来ただけで命日はおわった。いや、娘夫婦が5日に来ると電話があったのだが、私が不在を伝えたという事情もある。

妻に関わる句を出すと、句の面白さよりも私への同情が優先して多点句になってしまうようで、昨日も皆さんが選んでくれた。
それはともかく、この句の選評をしているとき、Sさんが郭公だけでなく、今年は蝉の鳴き声も聞かないね、と言い出した。なるほど、言われてみればそうである。
長い時間地面の中にいて、出てくれば数時間なのに、可哀想になんで出てこないのかね、Sさんはそう言って蝉を思いやっていた。

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2011年7月14日 (木)

脱原発

首相が昨日の記者会見で「脱原発」を表明したそうだ。原発への依存度を徐々に減らして、自然エネルギーへの転換を図っていくという。
 
マスコミは「道筋なき政策大転換」(読売新聞)とおお見出しを掲げて管さんを批判している。現在の原発が果たす役割を考えると産業界に与える影響が大きいというのである。
だが、今誰が道筋を明確に示しうるだろうか。確かに政治の世界では感想めいた発言は好ましくないのかも知れない。
 
脱原発を表明したことを私は評価したい。管さんの脱原発の説明の中に「これまでの安全確保の考えだけでは、もはや律することができない技術だと痛感した」という言葉がある。
その通りなのだ。人間界には律することができないことがあるのだ。人間の知恵に任せて産み出した魔物、その力は造り主の想像を超えて動き出す。
有機体の集合である人間界は有機物の相互依存で存在し続ければいい。

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2011年7月12日 (火)

ある本のすすめ

「もう、ひとりにさせないーわが父の家にはすみか多しー」(奥田知志著 いのちのことば社)を読んでいる。まだ初めの20ページほどしか進んでいないのだがともかく心に突き刺さる言葉の多いよい本である。
実は先日岡山であった集会に主題講演の講師をお願いしたのがこの本の著者奥田さんである。肩書きは日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師なのだが、それにかぶさって特定非営利活動法人北九州ホームレス支援機構理事長、ホームレス支援全国ネットワーク代表などをしている方である。
奥田さんは人に寄り添うことを最も大事に考えている。そしてそれを行おうと努めている。
ホームレスの老人が中学生に襲われたとき、老人と一緒に中学校を訪ねた。その帰り路、寝込みを襲われた老人が、夜中に老人を襲う中学生も自分のいる場所がないのだろう、と語ったという。「親はいても誰からも心配されていないのではないか。帰るところのない奴の気持ち、誰からも心配されない奴の気持ち、俺にはわかるけどな・・・」と。
そして奥田さんがこう言う。「被害者と加害者の両者は、全くちがう存在のように私には映っていた。しかし、このおやじさんの一言は、この両者が『ホームレス』という同じ十字架を背負っていることを明確にしていたのだ。」
もうあまり多くを引用するのを止めよう。苦しむ人、苦しみを抱える人、そんな人を助けたいと考えている人にはぜひ読んでいただきたい本である。きっと新しい世界が広がるだろう。

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2011年7月11日 (月)

礼拝の祈り

 恵みに富みたもう主なる神様。
 暑い夏の朝、私たちはあなたの恵みと導きによってこうしてあなたの元に集ってまいりました。ありがとうございます。
 どうぞこれからのひととき、あなたの御愛の元に憩わせてください。
 あなたに生かされていることを覚え、あなたに支えられていることを覚え、心からの賛美と祈りを献げることをなさしめてください。
 そして、どうぞあなたの御意を霊をもって私たちの上に注いでくださいますように。
 神様、この世は多くの困難を抱えています。若者は落ち着くところを求め街をさ迷い、年老いたものは孤独になり、一人でその寂しさの中に置かれています。
 震災と原発事故によって生活を破壊され、故郷を離れて毎日を過ごす方々の苦しみも続いています。
 神様、しかし、私たちはあなたが御子イエスを私たちにくださり、贖いの恵みを与えてくださったことを知っております。私たちの主は苦しみを体で負ってくださったことを知っております。
 どうぞ私たちがイエスにならい、多くの人の苦しみこそがこの世を変えることができることを信じ、その人達に寄り添っていくことができますように導いてください。
 
この礼拝に集えない多くの兄弟姉妹もそれぞれの場においてあなたを仰ぎ、恵みに与れますように。
 あなたの御言葉を取次ぐ飯野先生を励まし、祝してください。
 主なるキリスト・イエスのお名前によって祈ります。 アーメン

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2011年7月 8日 (金)

空を見る人、谷を見る人

先日の旅は全国の障害をもつキリスト者の団体が一同に会して行う交流会への参加だった。岡山市は障害をもつ人に対応した宿がほとんどないそうで、ようやく事務局が探し当てたホテルの一室に私は東北から来たODさんと共に一夜を過ごすこととなった。
 
彼は若い時のリュウマチの後遺症のために体が硬直しており、腰、膝、腕などを曲げることができない。その上大きな体の彼は休むときにベッドに横たわるのも大変である。見ているとマットレスを二枚重ねにしたベッドに後ろ向きに倒れ込むようにして、その後介助者に足を回転してもらうのである。起き上がるときにはその逆の動作になる。足が床に着くと手を引っ張ってもらって、こんな表現をしていいのかどうか分からないが、大木を直立させるようにして起き上がる。
私はここで彼の不自由な体を紹介しようというのではない。その彼の生き方、生きる姿勢に感動を覚えたので、それを記したいのである。
彼はその体の抱える困難を語ることはない。そうではなくてその体で生かされている喜び、感謝を常に口にしているのだ。今回の東日本大震災で彼の家も半壊し住めなくなったが彼は命を守ってくださった神に感謝の祈りを捧げる。
こうした背景には彼の背負った絶望の日々がある。10年余彼は痛みに苦しみながら天井の穴を見つめて過ごすしかなかったという。いわば不要の人間であった。他人の世話にはなっても自分から行動することは何一つなかった。
そんな彼だから自分が他人にできることは喜んで行う。今回も誘われれば岡山まで出向くし、この秋には埼玉で講演をする。
私は講演依頼があるとまず自分の体の不調を気にする。道中の困難を思う。
彼はそうではない。今まで何一つできなかった俺に他人が物を頼んでくる、これが喜びでなくてなんだろう、そう思うのだ。
東北人特有の性格か、あまり多くを語らない彼だが、今日も北上の支援センターで仲間の援助に余念が無いことだろう。

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2011年7月 6日 (水)

お母ちゃんの逝った日

二日間の強行軍の旅から帰り、風呂を浴びて寝室に入った。いつものようにテレビの脇に笑顔のお母ちゃんの写真が待っていた。
「今、帰ったよ。お母ちゃん。」と話しかける。「いつかお母ちゃんと行った宿に泊まったよ。あの日、宿に荷物を置いて、散歩に出たっけね。呉服屋さんなどが並んでアーケード街をくぐって行くと町の中を川が流れていたね。樹木が水面に蔭を作る川には両側に土の歩道があって。車椅子で裸像を鑑賞したり、釣りをする少年に話しかけながら行ったら車椅子では進めなくなって、お母ちゃんが力任せに道に引き上げてくれたよね。」
そんな会話をして私はベッドに乗った。そして祈った。
「神様、心配多い旅が無事に終わりましたことをまず感謝します。牧師先生にたくさんの援助をいただき、現地ではあなたを中心とした集会が恵みに導かれて終了しました。あなたに連なっていながら常に恐れや心配が先立つ私ですが、こうしてあなたに守られて帰れたことを感謝します。
今日は3年前お母ちゃんが、お母ちゃんの姿を変えるほどの痛みを耐えて、あなたのもとに行った日です。
家に還ったお母ちゃんの顔にはもう痛みの跡はなく、長く私たちに見せていた、よい顔立ちになっていました。
そのお母ちゃんは私たちの想像を超えたあなたとの憩い世界に今はいることでしょう。3年間私は痛みを抱え、孤独に陥って一人である現実を感じながらやってきました。でも絶望はしていません。あなたとお母ちゃんの視線をいつも知っているからです。そればかりではありません。今度の旅でも現地の仲間との交わりから喜びをいただきましたし、出発前には昔の友が心を配ってくれました。こうして皆と一緒に毎日を過ごせる幸いに与っているからです。
神様、どうぞお母ちゃんを愛し、その目を私にも注いてください。
お母ちゃん、じゃ、もう寝るね。」

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2011年7月 1日 (金)

忘れていた涼風

毎日猛暑が続きます。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は近くの量販店まで小さいバッグを買いに行きたいのですが自重しています。家にいても頭が重い感じなのに外出したらどうなるのか不安だからです。旅行に持って行くバッグは孫のテニス用のリュックで間に合わせましょう。
熱中症が心配で家でクーラーをつけて生活しているとそとの風に触れることもありません。
昨夜、寝る前に雨戸を閉めようとして窓を開けました。寝室の外には金柑、梅、ツツジ等の木があってその下には少し草が茂っているのですが、そこからなんとも言えない爽やかな夜風が入ってきたのでした。しばし、雨戸を閉めるのを忘れて、私はその風を頬にいただいていました。

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