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2011年6月

2011年6月30日 (木)

旅とトイレ

来週月曜、火曜と岡山まで行かねばならない。小生が代表をしている団体の総会があるためである。
日常を過ごすだけでも精一杯の感がある身で遠隔の地で二日間過ごせるのかという心配はあるがきっと支えられるという確信のもとに準備をしている。
車椅子の生活になって公共交通機関を利用しての初めての旅。やはり障害をもつ者にはトイレが心配である。同年代の友達も最近トイレに駆け込むことが多くなったと嘆くのだからトイレが少なく駆け込むことができない車椅子利用者には当然のことだろう。
あれこれ策を練っているが最後には何とかなると開き直るしかない。
お手伝いをいただく所属教会の牧師に心を開いて援助をお願いしよう。

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2011年6月28日 (火)

家庭の味の流れ

「家庭の味」という言葉があるということは、味は家庭に引き継がれ、流れていくものだったのだろう。それは嫁さんがやってきてもお姑さんが嫁さんに料理を教え、嫁さんはそれをマスターすることが嫁として一人前になることだという慣習があったからである。
だが現代社会ではそれは大方のところで通じなくなってしまった。家庭が夫婦単位のものになったからである。
そうなると味は主婦がその成長の過程で獲得してきた味、料理体験によって決まることになる。男性は母親に養われていた当時の味を捨て、女性の味に同化せざるを得ないのだ。
それが悪いというのではない。私など妻の家庭の丁寧な味にすっかり惚れ込んでしまったのだから。
大事なのは女性が育つ家庭がどれほど味を大事にしているかということだろう。家庭の味はそれによって豊かな流れにもなるし、都会の運河のようにもなるだろう。

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2011年6月24日 (金)

特待生

朝はなかなかやるべきことが多い。食器の片付けはもちろんのことだが、その他ベッドまわりの整理、夜の残滓の処理などたくさんのことをせねばならないのだ。
昨夜はトイレ関係の失敗があってひとっきり大変だった。幸い今日は天気もよいし、洗濯物が簡単に乾く。そこで洗濯機が空であることを確認して、シーツやらパジャマなどを思い切って洗うことにした。
洗濯機の洗濯は時間がかかるが放っておけば機械がやってくれる。問題は車椅子では覗けないタンクの中の洗濯物を取り出す作業である。
マジックハンドを用いてそれもなんとかクリアーして、外のスロープの手すりに干した。
すると10分もしないうちにすっかり乾いてしまった。
先程風に飛ばないうちにしまったほうがいいだろうと判断して取り込みを済ませたところだ。
そしてやっと今、11時過ぎになってパソコンに向かったといういわけである。
以前は身の回りのことは皆妻がやってくれていたのだが、思えば私は特待生の身だったのだ。

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2011年6月23日 (木)

ユリ抱いて

ユリ抱いて肉じゃが下げて朋来る
 昨日句友のSMさんが豊かな黄色のユリの花を持って昼前に来てくれた。肉じゃがを作っているからできたら持って行くね、と事前に電話を入れてからやってきたのだった。
 いつもはフクロウのコレクションが見守っている妻の写真の前にSMさんはユリと紫陽花を供えてくださった。昼飯をいただいた肉じゃがで美味しく終えることが出来たのは言うまでもない。
 先程お礼のメールに上掲の俳句をつけて送信したらこんな句が返ってきた。
新じゃがを掘る手運ぶ手べとまみれ
 良い句友を持って幸せである。
 
 ついでに近作6句
カーテンを肩で押してる夏の風
親を待つムクドリの子の声高し
夜寝をば気にかけながら昼寝する
朝日差しタンポポの鉾輝きぬ
ハマナスや君の柔肌よみがえり
お隣も犬と会話の梅雨の朝

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2011年6月21日 (火)

主にある幸い

キリスト教雑誌に「信徒の友」がある。その今月号に南房教会が写真と共に紹介されていた。千葉県館山市にある教会だというが私は強いつながりを感じた。その理由は直ぐに手紙を送った次の文面にあるとおりである。
南房教会の主にある兄弟姉妹の皆様
聖霊降臨節の恵みのもとに伝道に仕えておられることと存じます。
昨日教会で受け取った「信徒の友」誌に貴教会が紹介されており、主にある深いつながりを覚えましたのでこのご挨拶を送らせていただきます。このお手紙を送る動機になったものに三つのことがございます。
その一つは誌上に掲載された愛餐会の皆様の写真のすばらしさです。コリントの教会でも会員同士の食事のありかたがパウロによって問われていますが、貴教会の愛餐会はなんと明るく、和やかな姿であることでしょう。
次に、私は親しい友を発見する喜びに接しました。それは車椅子に乗って相変わらずおしゃれを決め込んでいるK・O資子さんです。もしも間違っていたら失礼ですが・・・・。
しばらくご無沙汰しておりました姉妹がこうして皆様の教会で時には歯に衣着せぬ言葉を発しながら(?)主の交わりに加えられていることに感謝せずにはおられません。
最後に貴教会が「にじのいえ」と深いつながりがあることでした。私どもの教会では「婦人の集い」が中心になって「にじのいえ」に献金をお送りしてきましたので、この「いえ」が主にあって用いられ、房総の地で教会誕生の一因となったことは喜びに耐えません。
私事になりますが妻(故人)も婦人の集いで献金箱を用意したりして献金に仕えたものでした。
長くなりました。教会の上にますます主の恵みが豊かにありますようお祈り致します。」

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2011年6月20日 (月)

メモを取る子

「たいいくぎ(ふくろ)セット
きゅうしょくぎ(ぜんぶ)セット
プールカード(はんこうをおして)」
皆が出かけた後のテーブルの上にこんなメモが載っていた。ヒカちゃんが書いたものである。
小学生の子がメモを作る、なかなか用心深い。私も最近は忘れやすいからいつもメモを取る。いつも鉛筆を持っているわけではないから、そんな時に便利なグッズが携帯電話である。俳句がふと心に浮かんだ時、ブロブの材料を発見したとき、その時には夜中でもメモることにしているのだ。
それは老人の衰える記憶を補う作業だが、小さな子がメモを作るのは珍しいだろう。
ヒカちゃんは几帳面なのである。朝のうちから夕方出かけるサッカー練習の用具を玄関に出しておくくらい用心深い性格なのだ。
これは両親ともお姉ちゃんとも違う。どちらかと言えば私似なのだろう。
プロサッカー選手になることを夢見て両親と一緒に練習に毎日を過しているヒカちゃんが今後この性格をどう用いていくか。うーン。

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2011年6月18日 (土)

洗濯を終えて

新しい朝が来た。肩が相変わらず痛いが、こうして食事の後新聞を読み終え、コーヒーを一杯飲んでパソコンに迎えることができることを感謝している。
曇りがちで気温も低い一日、今日も一人で過ごすことになる。
 
ここに来る前パンツを二枚洗濯し、窓から手を伸ばしてハンガーで物干し竿に吊るしたところだ。若いものに大方の洗濯物はやってもらっているのだが、パンツだけは自分で洗う。昨日洗うつもりでいた一枚を忘れていたので二枚になってしまったのだ。
洗濯機でやると若いものの手前当てがましいので洗面台でゴシゴシとやる。
 
こうしているときいつも思い出すのは学生時代の洗濯姿である。一時山小屋のような処に住んでいたことがある。文京区のど真ん中なのだが、おんぼろの小屋があって安い料金で住まうことができた。そこでは水道がなく、庭に手漕ぎの井戸があった。中腰になれない私は井戸端に座り込んで今朝と同じにゴシゴシやったのだった。
 
七十歳の半ばになって、二十代の経験が今を耐える力になっていることを思う。

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2011年6月16日 (木)

孫の手

背中の右肩に近いところが時々痒くなる。どうもなにか出来ているようだ。
昨夜も寝ようとしたら痒みが気になった。そこで取り出したのが孫の手である。ベッドのポケットのような部分にベッド箒やノートと一緒にいつも孫の手を入れてあるのだ。
痛い肩をなだめながら腕を頭の後ろに回してパジャマの間から差し込んでコシコシとやった。するとラッキーなことに痒みはすぐに消えてくれたのだった。
 
子どもの頃、親父の背中を掻いたことがある。もちろん頼まれてやったのだが、その背中は脂ぎっていたことを未だ覚えている。
家族が肩を寄せ合って生活しているとこんな風景も見られるのだが、昨今のように皆それぞれの生活を主張する所ではそれは想い出の世界になってしまった。
女房がいれば気安く「掻いて」とも言えるが、今は孫の手に頼る他ない。
 
 しばらくぶりにHP「こころの便り」を更新しました。老齢や病とイエスの十字架のことを書いています。関心のある方は開いてください。

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2011年6月14日 (火)

階段の音

今朝も階段を駆ける音が聞こえた。ヒカちゃんが学校にいく用意をしているな、と直感する。
ヒカちゃんは小学校6年生になったが相変わらず家の中を駆けて歩く。トン、トン、トンという音が響くときにはヒカちゃんが移動しているのである。
以前のように私にまとわりつくことはめったにしなくなった。返事が返ってくることも少なくなってしまった。
だが、ヒカちゃんは常に行動していないと気が済まない質である。下校後はテレビをつけっぱなしで宿題にとりかかる。時間が余れば絵を描いたり、工作を始める。先日などは私の書斎にやってきてプリンターで漫画本をコピーし、それを見ながら見事な鉛筆画を仕上げた。
夜はサッカーの練習に出かけるから昨日もバッグなどを玄関に用意したのだが、それを階段をトン、トンと昇り降りしながらやったのだった。
ヒカちゃんの階段の音は我が家を誰かが叩いてくれている音にも聞こえる。

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2011年6月13日 (月)

取り換え社会

菅首相の評判が悪い。与党の中枢部からも交替の声が上がっている始末である。
うまく機能しないものは取り替えようという風潮は政治の世界だけでなく現代に蔓延していると言っていい。
自動車部品も昔は修理して使ったものだ。今はあらゆるものがコンピューター化されてしまったから修理もできなくなっているのだ。
こうした「モノ」だけでなく人も取替の対象になっているのがなんとも悲しい。企業で優秀な成績をあげられない者は解雇の対象にされ、他の人材に席を譲らざるを得なくなるだろう。
取替の最も深刻な事象が臓器移植である。それぞれの人間にその人の生き方をしてもらうために神が用意した体。その一部に不具合が見つかると現代人はもっと優秀な臓器と取り替えてしまうのである。
障害を持って生まれた人の存在はそれ自体で価値があるという見方と取り替え社会をどう対峙させればいいのだろう。

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2011年6月11日 (土)

フクロウおばちゃんがやってきた

110611_115501「元気かね」、こう言って玄関を入ってきそうなフクロウが先程送られてきた。焼き物の大きな体のフクロウである。
姪が成田山に参詣に行って見つけたそうで、ごってりした包みの中からおもむろに顔を出したのである。
曲線がゆったりしていて、顔立ちも素朴そのもの。昔、近所に、いつも笑顔を絶やさないで、太った体を揺さぶって縁側にお茶飲みに来ていた「おそーさん」という名のおばさんがいたが、その方を思い出させるようなフクロウである。
抱擁されるよろこび、それはいいものだ。

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2011年6月10日 (金)

まわしの効用

先場所は角界の八百長問題でお相撲さんの実際の姿が放映されなくて残念だった。角界にはそれなりの流儀や色合いがあって勝負だけでなく、面白い要素を沢山持っているのだから次回は是非TVに映してもらいたいものである。
ところでお相撲さんが身に付けているものといえば、それは「まわし」だけである。レスリングのように床に転がったり、手を付いたりできればまわしはなくてもいいかもしれないが、お相撲ではまわしがないと文字通り掴みどころがなくなるだろう。
実はここで相撲談義をしようというのではない。自分の体のことを書いてみたいのである。
私の足は動かない。最近はむくみがひどいから足の位置を変えようにも苦労する。ではどうして位置を変えるかといえばズボンやパジャマの裾やその一部を握って手で引っ張るのだ。
だからパジャマがウールなどでできていると伸びてしまって思うように足の位置を変えられないのである。綿の硬いものが一番いい。
お相撲さんのまわしの役をズボンやパジャマに任せて私は生活しているという次第である。

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2011年6月 7日 (火)

望郷の思い

今月は句会が10日。体調不全も重なって未だ句が整っていない。そこでずるを決め込んで昔の句を出そうと、古きファイルを紐解いた。
30有余年前の職場での句会。勤務が終わって一息ついた後、給食室の方や事務職員も交じっての句会が図書室で開かれていたのだった。
梅雨の季節、第5回句会の兼題は梅雨と紫陽花である。先日他界したYTさんの作品も見える。
 ワイパーが物憂げに拂う梅雨の街
これに対して、俳人の花田氏が「このアングル秀逸。うまく掴まえている。梅雨の中ではピカ一。」と評し、ワイパーが物憂く拂う梅雨の街、と推敲している。
最近は体の不調を訴えていると聞くKWさんが
 さっぱりと髪洗いたる紫陽花や
と詠むと
花田氏は◎を付け、紫陽花やさっぱりと髪洗いたり と添削し、雨の紫陽花の重さとの対比で面白い、と感想を寄せてくださった。
 
この句会がいつまで続いたのか確かなことは分からないが、ファイルの中には第60回・1997年の資料が残っていた。
時には生徒の句も投句されて夜の一時を共に過ごした懐かしい句会であった。
ゆっくりと時間をかけて句集を編みたい思いさえする。それは望郷の思いとでもいうものであろう。

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2011年6月 6日 (月)

マナーモード

礼拝中に携帯電話の音が会堂に響いた。Tさんが転げるように出て行った。本人もびっくりしたのだろう。
午後の役員会で、礼拝中にはマナーモードに切り替えてください、と徹底しましょうと一人の役員が提案した。電車の中で同じことが起きると、一斉に視線が集まりますよ、と同調する声が出た。
Tさんにはメールの使い方、マナーモードの設定の仕方を私も以前に話したことがある。しかし、Tさんには難しいらしく、その後も時々電話が鳴る。
設定してあげればいいのかもしれないが、今度は解除ができなかったり、必要なときに電話を使えなくなるかも知れない。
牧師が、いいです、鳴ってもいいですよ、礼拝に来ることが大事なのですから、と発言してこの件は落着した。
私もそれでいいと思った。

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2011年6月 2日 (木)

梅雨寒や

梅雨寒やパソコンの前に吾ひとり
 
例年より早い梅雨入り。今朝もひんやりした一日になりそうだ。腕の痛みはますます募り、右手が上がらない。
ひとりで居ると梅雨寒が余計に身にしみる。
 
国会は相変わらずの混乱が続く。人間、性欲、食欲、金欲は誰しも持っているだろうし、それは人間の歴史を作るのに必要なものであろう。だが、権力欲は固有の欲求とは言え、常に混乱を招く基になってる。
政治家の権力欲はその最たるものかも知れない。彼らが血税で活動を保障されていると思うとやりきれない思いがする。

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