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2011年5月 5日 (木)

味見する関係

味見することは最近はめったにない。
お澄ましを丁寧に用意しているとき、湯気の立つお勝手から小皿に少しおつゆをよそってきて、「どうかね。」と母や姉が渡してくれた想い出。これがふと今朝よみがってきた。
歩けなかった私は外に遊びに行くことがあまりなく、いつも家の中で過ごしていたのだが、何もすることがないとお勝手近くの板敷の部屋で母たちのすることを眺めて過ごしたのだろう。家で過ごす年頃の男の子が哀れに思えたのか、あるいはまた、利口な少年(周囲の者はそう捉えていた)に頼る気持ちがあったのかそれは分からないが、女衆は私の定めを大事にしてお勝手の仕事の先を急いだものだった。
最近のようにインスタント食品が出まわり、味が統一化され、また周囲の人の好みの味を大事にするなどという関係が希薄になると、味見などという奥ゆかしい所作もなくなるのも当然の結果である。

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