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2011年4月

2011年4月30日 (土)

櫻守の言葉

読売新聞に「時代の証言者」というコーナーがあり、今、櫻守の佐野藤右衛門さんの証言が毎日掲載されている。読売新聞の記事の中で私がもっとも好きなものの一ツである。
佐野という方は三代に渡って櫻を愛し、その世話に生涯をかけてきた人らしい。それだけに自然を相手にする心が豊かな人である。
今朝の言葉の中にこんな一節があった。

「自然や植物は管理できません。管理という考えは、人間のおごりですわ。植物は管理ではなく、育成せなあきませんが、そうそう人間の都合のいいようにはいきませんな。人間の事情や尺度とは関係なく、自然には自然の営みがあり、それは昔から変わりませんのや。」
全て管理が重んじられる現在の社会において耳を傾けるに値する言葉だと思う。また、相手を自分と同等に重んじる態度は教育という営みにおいても同様に大切であろう。

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2011年4月28日 (木)

空になる

5つのパンと2匹の魚という話が聖書にある。5000人の群集がイエスの周囲にいるとき、イエスが弟子たちに「この人たちに食べ物を与えなさい」と言ったというのだ。弟子たちは「それは無理です。5つのパンと2匹の魚しか無いのですから」と答える。するとイエスは祈って、群集の一人ひとりに食事を与え始め、全員に配ってもまだ残りがあったという話である。
私たちも無いことばかりにとらわれてなかなか新しいことに踏み出せない。だが、空になることは受ける容量が増すことでもある。乏しさを嘆かず、頂く容量を大きくする信仰生活を送りだい。

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2011年4月27日 (水)

俳句という表現方法

最近とみに記憶障害がひどくなっている気がする。簡単な漢字さえ思いつかない。肝臓障害で脳にアンモニアが増えたのかななどと余計なことを心配したりする始末である。
だから、何か心に浮かぶことがあるとメモを取ることにしている。そんの時便利なのが携帯電話である。いつも胸にぶら下げているからすぐにメモることが出来るのだ。
俳句もそうして書いている。
まだ推敲が十分ではないのだがここに残しておこう。
 枝枝にコビトの並ぶ新樹かな
 新樹蔭ページの上で踊りけり
 小米花妻の写真に供はりぬ
 廃船のその向こうには初夏の山
 花満ちよこの大揺れの我が国土
 カイドウがだいじょうぶだよと言っており
 売られたる畑に葱の芽青みおり
 
どなたかに遠慮なくコメントしていただきたいものだ。

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2011年4月25日 (月)

使われなかったパジャマ

納戸を覗いたら赤いきれいな包装紙にくるまって、その表には「Thanks mother」と書かれたカードが付いたパジャマが出てきた。薄緑色で、襟元には控えめではあるがレースの飾りがある。一度も使われた形跡がなく、丁寧にたたまれたままのパジャマである。
妻が誰かにいただいて、そのまま使うこともなく置いといたものであろう。その時着ていたパジャマがまだ使えるものだったので着そびれたのか、地味な彼女にはちょっとばかりおしゃれすぎてそのままになったのかは定かではない。
さあ、これをどうしたらいいだろう。娘達は着ないだろうし、秋にある教会のバザーにでもだそうか。
カードと一緒に入っていたカーネーションの造花を妻の写真の脇に置いてある小さな木製の十字架に巻きつけておいた。赤い色が主の贖いの十字架によく似合う。
もうじき母の日がやってくる。

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2011年4月23日 (土)

友逝く

職場で親しくお交わりいただいたY・T兄が逝かれた。私より10歳上の兄であったが、全ての人に誠実に接して下さり、いつも新しいことに好奇心を持って臨まれる方であった。また、正義観も強く、子供同士の喧嘩から、社会の不正にまで理の通らない時には異を唱えることをなさっていた。児童文学書を書かれる兄はユーモアもあって時々おどけたことをなさり、楽しい人でもあった。
一人寂しく逝かれた兄の死に多くの友がショックを隠しえない。兄のご冥福を祈る。
葬儀に参加できない私はメッセージを付けたお花をお送りして兄をお見送りすることにする。
「先生、あなたは愛の鎧を身にまとい、正義の御旗を立て、好奇心という愛馬にまたがってこの世を駆け巡られました。そのお働きに心からの感謝と賛美をお送り致します。ありがとうございました。」

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2011年4月22日 (金)

お茶漬けで昼メシを

冷蔵庫の中をあさっても何も適当なものがない。朝飯はパンだったから出来ればご飯物をと思ったのだが、わざわざ冷凍食品を袋から出して、容器に入れレンジに載せるのも面倒である。
見ると明太子やシソ、その他幾つかのお茶漬けパックが台所に置きっ放しになっている。そこで昨日の残りご飯を茶碗によそって明太子のお茶漬けで済ませることのした。
ただ、なるべくなら美味しく食べたい。せめてお茶だけでも熱いものをとポットの湯を再沸騰することにした。
明太子の消費期限が来ていると見えてあまり辛さは効いていなかったがまあそれなりの味を感じながら一杯のお茶漬けご飯をいただいた。
おかしなことに最近ではこんな簡単な食事でも「哀れ」を感じないでいられるのだ。妻が亡くなって一人になった頃は、それまでのようにしっかりした食事を採らないと自分が惨めに感じたものだった。だからインターネットで一食300円、400円する食品を取り寄せ、その食事らしさに満足していたのだが、もうそんな感傷は消え去った。
こんな風に一人になった今は一人の新しい生活が開けつつある。良くも悪くも仕方ないことである。

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2011年4月20日 (水)

町の再建は主の恵み

イザヤ書12章。ここはバビロン捕囚から還った人たちの喜びの歌である。人々は喜び勇んで故国の地を踏んだのだが、そこに見たのは荒廃した町々であり、特にエルサレム神殿の荒れ果てた様は人々に失望を与えた。復興に取り掛かろうとしても資材がなく、周囲の国々の妨害があり、その再建は不可能に見えた(日本基督教団南山教会HPを参考にして)。
12章はその町が再建された後に書かれたものだという。そこには人びとの力を誇るのではなく、主の恵みに感謝する信仰が表明されている。
国はアッシリアに、バビロニアに次々と征服され、破壊され、人びとは捕囚となって連れ去られ、全ては終わったと思われたものが蘇ったのだから喜びも一入だったろう。
東北の地に、日本の故郷に主のかえりみを願わずにはおられない。

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2011年4月19日 (火)

高い海

「海が高かったです」。そうマッサージの先生は言った。
高い海、なんとも奇妙な表現である。だが話を伺ってその現実感が実感できたのだった。
先生は陸前高田にお母さんを連れて親戚の見舞いに行ったのだ。昨日治療においでになったとき、私が「田舎はどうでしたか」と聞くと、開口一番先生は「海が高かったです」とおっしゃったのである。
震災前は海辺にはたくさんの家屋が建ち、また木々も豊富だった。それが一瞬に流され、なにもなくなっている。そんな状況では海だけが目前に迫り、海面が一段と高く認識されたのだろう。
海が高い、怖い話である。

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2011年4月17日 (日)

十字架の恵み

十字架はむごい刑だった。犯罪者は鞭打たれ、横木を背負わされて刑場に向かう。そして裸にされ、丘の上に立てられた木につるされ釘打たれる。イエスが「わが神わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれるのも無理のないこととうなづく。
しかし、神を知る人はそこで絶望に終わらない。イエスが息を引き取られたとき、地震が起こり、岩が裂けたのだが、その後で、それを見ていた人たちが「本当に、この人は神の子だった」と言ったと聖書にはある。
世の終わりと思える状況の最中に、それに重ねて救いの光が差し込む、これこそが十字架の恵み、栄光である。
今、地震が絶え間なく起こり、何万人もの人が苦悩の極みにある。また、日常の生活においても日々生きること重荷を背負う人も多い。だが、聖書はその苦悩、重荷を背負う生活の中に同時に救いの光が灯ることを告げているのである。

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2011年4月15日 (金)

誰に頭を下げる?

原子炉の事故が広範囲に影響を与えている昨今、政府の対応その他の情報を伝えるべく官房長官・枝野さんが記者会見をする機会が多くなっている。
会見場に現れた枝野さんは一段高くなった台に上るのだが、そのまま真っ直ぐマイクの乗っている演台に向かうことをしない。その前に、一瞬足を止め、上ってきた側と反対の台上にある日の丸に正対して礼をするのである。
日の丸がいつの日にか「国旗」になってからその旗は公の場、例えば国会の議場、自民党や民主党の総会議場、あるいはまた学校行事の式場などに飾られるようになってしまった。そして、ほとんどの場合、登壇する人は慣例のように国旗に礼をしてから持ち場に着くのである。
枝野さんは礼をしながら何を思うのだろうか。誰を敬って頭を垂れるのだろか。あるいは形式としてやっているに過ぎないのだろうか。
あの旗が内容を持ってくると、権威を持ってくると、今やっている形式が形式でなくなることを心のどこかに留めておいたほうがいいだろう。

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2011年4月14日 (木)

今日の句会

一時は7人いた句仲間も徐々に減り、今日は3人だけの句会だった。しかし、楽しさに変わりはない。
今日の句会から数句
 
小米花風に遊ばれ垣の外      ひさい
蕗味噌のやうやう吾の味になり    いく
涙して渡す証書や陸奥の春        悠歩
花垂れて堀の暗闇増しにけり    悠歩
塀にそひ赤白ピンク花ざかり       ひさい
荒ぶ世や少女無心に花を摘む     いく

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2011年4月13日 (水)

時移り、人代わる

菜の花が咲き、2 冷っこい風の中、少し離れた字にあるお寺さんに櫻を見に出かけた。
車椅子のバッテリーを気にしながら田の広がる道を進むと、途中で見知らぬ女性が「いいお天気になりましたね」と声を掛ける。
寺では境内に古木の櫻が4本ほど満開になっていた。駐車場の櫻はもっと見事で、つきたての餅が宙に浮いたように大きな拡がりを見せていた。
狭い境内なので数分留まっただけで外に出たのだが、ふと少年時代の友の家が近くにあることを思い出して訪ねることにした。
歩けない私を自転車の荷台に乗せて時々連れていってくれた体の大きな友だった。庭があって、黒光りの縁側が付いている大きな農家だった。その縁側から畳の部屋に案内されて話し込んだ想い出がある。
数頭の牛が傾いた小屋の中でばらばらになにやら食んでいる。その傍を車椅子をガタガタ言わせながら庭に回りこんだのだが、そこは車の回転も自由にはならない狭いところになっていた。耕運機につながれた犬が長いひもを引きずりながら吠え立てた。
家自体もすっかり古ぼけ、人が住んでいるのかどうかあやしい。サッシ戸になっている玄関を開け、ごめんください、と中を覗いたのだが、返事はなかった。
そうそうに車椅子を巡らせ、道に出た。そしてもしや近くに別の家を構えているのかもしれないと想像しつつ見渡したがそれらしき家の姿はなかった。
60年という年月はあまりにも長い歳月であったのだ。

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2011年4月12日 (火)

仔羊として生きる

何処の教会でも出席者が少なくなっている。それは若者が教会の門を叩かないことにもよるが、もう一つ今まで教会の中心だった会員の老齢化による。
我が教会も例外ではない。婦人会の人数も減ってしまった。老齢化で出席が思うに任せない方も多くなったし、妻のように天に召された方もいる。
先日来この婦人の集いといわゆる壮年会の合流の話が持ち上がっている。少人数で細々とやっているより、合同して賑やかに交わりをしようというのである。
先日の礼拝の後でその話し合いが持たれた。そして合同することが決まったのだが、その会の名称が問題となった。
私は、「本庄教会羊の会」ではどうだろうと提案した。
羊は聖書の中では中心的な動物である。牧師もよく羊の話をする。私たちは羊のような存在だからである。羊は弱い動物だ。いつも狼のような強いものに怯えている。だから群を作り、寄りあって生きねばならない。また、羊飼いに守られ、夜など囲いの中で過ごす存在でもある。羊飼いのイエスはこの羊の一匹でも迷いだすと他の羊を置いてでも探すほど一人ひとりを大切にした。
古くは羊は神への捧げ物として犠牲(いけにえ)にもなった。イエスご自身も私たちの犠牲として十字架に付かれたのである。
これからの生活のおいても私たちはイエスに従い、守られる羊として生きていくことだろう。
こんなことを念頭に名称を提案したのだったが、少し抽象的過ぎたかも知れない。
結局、当面、「聖書と交わりの会」という名でスタートとなった。

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2011年4月11日 (月)

春の温かさの中で

櫻が満開になり、あちこちで白く輝いている。車椅子で近くのお寺さんに出掛け、花の下から見上げて見ようかとも思うが、もう一つ踏ん切りがつかない。
東北に住む友からは余震に遭った翌日こんなメールが届いた。苦しい環境の中頑張っている友の姿に励まされる思いがする。どうか今日も主が彼の支えになってくださることを祈らずにはいられない。

「7日夜11時32分震度6強の余震がありました。停電しましたが翌日の4時ころ復旧し灯りのある生活に戻りました。ペットポトル2本のお湯で暖を取り新しい朝を迎えました。・・・・。強い余震の発生に「もう!いいです」と言いたい心境です。それでも守られていることに感謝しています。なんとなく落ち着かない生活に精神的に疲れますが、苦しんでいるのは自分だけでないと頑張っています。
明日は教会に行きます。まずはお知らせまで。」

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2011年4月 8日 (金)

勤勉というドーム

夕べ強い余震があった。一旦寝入ったのだが、その後しばらくテレビに見入らざるを得なかった。こちらでもそんな状態だから東北の地ではさぞ不安だったことだろう。
 
この震災の中で際立つ報道が日本人の危機に対する姿勢である。外国では支援物資を順番に受ける日本人の態度に賞賛の論調が投じられているそうだ。
国内の新聞でも被災地域や被災者への全国からの温かい援助の姿を毎日伝えている。また、頑張れ東北、頑張れニッポンという言葉が先日の高校野球に始まって今、ドームのように日本中を覆っている。
こうして日本国民が一丸となって困難を克服しようとする姿は一見何ものにも代えがたいようにも見える。
これ以上言うと誤解を招く恐れがあるからここまでにしておいたほうがいいのかも知れないが、戦争を経験した者には、あの時日本中が一つになって素直に生きていたことがふと脳裏をよぎる。
頑張れニッポン、頑張れ東北、この言葉が悪いのではない。戦争中の統治者がいけなかった、そう言ったほうがいいだろう。

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2011年4月 6日 (水)

今日と昨日のこと

ニュースは依然として東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故のことで占められている。日本をどう立て直すかの問題だからそれは当然だしやむを得ないだろう。
そのニュースの中にここにきてちらほら障害をもつ人の問題が顔を出してきた。まだ視覚障害を持つ人や肢体不自由の人のことは見たことはないが、聴覚に障害をもつ人が情報を得るのに困難をかかえている現状が昨日などはリポートされていた。
いつもそうなのだが、障害をもつ人こそ先ずその安全が問題になって然るべきであるのにこれらの人はしばらくたって混乱が一段落したころに話題にされるのである。
北上の友のように車椅子で避難所にいる人は人知れない困難に遭っていることを思うと、どうか健康が守られますようにと祈らずにはおられない。
 
昨日は運転免許の更新を警察でやってきた。77歳の誕生日まで有効の免許証となった。だが、それまで主は私をこの世に必要とされるであろうか。夕べ信仰の大先輩であるOさんの召天の知らせが届いた。天上がますます知人で賑やかになっていく感があるが、彼国への親しさが広がっていくこの頃でもある。

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2011年4月 5日 (火)

汚れを許す人

障害を持った子どもが成長するとその重さゆえに母親では世話をしきれないことがある。トイレの介助でも同じである。
だから時には朝の排便を家庭でせずに登校して学校で職員の介助に頼るということも起こる。もちろん教師仲間ではそういう保護者は評判が良くない。
先日、知的障害の特別支援学校で教頭をしていた友人Eさんに会った。そこでこのことが話題になったのだが、彼の学校でもそういう母親がいたそうである。彼によるとその親は抱えたり、便器に乗せたりすることが重労働だから、夜などは子どもが浴室に這って行って用を済ませることを許していたという。母親にしては後で風呂場をシャワーで洗うほうがよほど楽なのだそうだ。
こんな状態だからその親は朝は学校を当てにして先生方にやってもらうのが常なのだと言っていた。
Eさんは、笑いながら、お母ちゃんでは無理ですよね、とすっかり親の行為を容認するふうであった。
私も最近は車椅子の生活になったからトイレは重大関心事なのだが、この彼の前ならどんな方法でトイレを済ませても恥じ入ることはないな、と汚れを知った人の大きさに安心感を持ったのだった。

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2011年4月 3日 (日)

74歳の誕生日

新しい歳を生きることになった。74歳である。父が亡くなった歳に並ぶ歳を迎えるのが一つの願いであったのでほっとした気持ちになっている。
息子の嫁さんから可愛いカードと和菓子のセットが送られて来たり、家では息子たちがちょっとふんばって上等の鰻とケーキを用意してくれたりして、静かな祝福を受けて、誕生日は過ぎた。
妻が傍にいてお茶を一緒にいただけたらそれにこしたことはないが、天にいて喜んでくれただろう。

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2011年4月 2日 (土)

歴史を支配する神

イザヤ書5章が今日の聖書。その後半はイスラエルがアッシリアの攻撃を受ける様子である。山々が震え民のしかばねは芥のように巷に散った、と25節は言う。26節では敵は、速やかに、足も軽くやって来る、とその素早さを語り、29節には、うなり声をあげ、獲物を捕らえる、と敵のどうしようもなく強い姿を描写する。
だが、これらがみな、主の業であることを聖書は語のである。主が「御手を伸ばして、彼らを撃たれた」(25節)のだった。
これを読んでいるとアッシリアの軍隊は東日本を襲った津波を連想させる。
ここで誤解を恐れずに言えば、忘れてならないことは、この軍隊を差し向けたのは主であるということである。どんなに絶望的なことも主が関わっておられるということである。その主は愛の主である。イスラエルを愛しておられる方である。
毎日亡くなられた方の数が増えていくこの現実を主は忘れていることはないと信じることができる幸いを思う。

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