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2011年3月29日 (火)

残された者

イザヤ書4章2節からのところには「エルサレムの将来の栄光」と名が付されている。そして、ここには「生き残った者」「残された者」という表現が何度も使われ、また「若枝」という言葉も見える。この「若枝」も枯れた木株から出るのだから、「残された者」と同義だろう。
なぜなら、「生き残った者」は古い生き方を背負った敗残者ではなく、バビロン捕囚の後に新しく主の命をいただいた者だからである。
預言者は、その者たちは麗しさとなり、栄光となると告げる。そして、主は昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造ってその者たちの集会を覆い、守られると約束される。
この聖書を震災で被害に遭われた方々に伝えるのは亡くなられた人たちのことを思うと躊躇せざるを得ない。だが、もし残された方々がここから力を得ることができるならそうあって欲しいと思う。

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