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2011年3月21日 (月)

弱き者を用いたもう神

昨日、主の礼拝に与れたことを感謝。
聖書はイザヤ書6章1節から13節。ガラテアの信徒への手紙3章26節から29節。
イザヤ書はイスラエルが滅びるときに用いられたイザヤの召命を語る。神の前に自らの汚れを知ったイザヤは神の召しに躊躇するのだが、神はそれでも彼を召したのだった。
牧師は、神は不信仰な者、不十分な者をも用いて神の計画を果たされると語った。
これはこの世で困難な中にある者、弱い者の肯定につながる恵みのメッセージである。障害を持つ人、その者の教会における存在の根拠にもなる。
あえて言えば、今地震で困難な中にある者、その人達を神は必要とされているのかも知れないのである。その人が無言のうちに語る援助の要請に応えることの中に神の御心が働くのかも知れないのだ。
家が倒壊し、車椅子で寝起きしている友よ、主の御意を信じて耐えて欲しい。

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