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2011年3月

2011年3月31日 (木)

太陽の恵みを断りますか?

地震で大きな被害を受けた友に援助の手を差し伸べようとしたら、彼は最初は、「大丈夫です、ありがとうございます」と言ってきたのだが、その後で、三浦綾子の書物の中で彼女が「太陽の恵みを断りますか?」と書いていることを思い出したとのことだ。そして、私も皆さんの援助を受けることにしましたと新しい連絡をしてきた。
太陽はいつも温かく、天から限りない愛を光として人に贈り続けている。その愛を私たちは断るなどしていない。その愛なしでは生きられないからだ。
そう気づくと弱さの故にいつも他人の世話になっている者も、頼ることを遠慮しなくていいのだと心が晴れる思いがする。
太陽は人によって異なるだろう。神であったり、親であったり、友達だったりするかも知れない。その愛に安心して身を任せ、恵みのうちに生きていこう。

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2011年3月30日 (水)

非社会性の高まり

運転免許更新のための高齢化講習を受けた。3時間以上かかったのでおおいに疲れた。
その疲れの元は3時間が体にきつくなっているということにもよるがそればかりではない。
社会適応の力が低下していることもおおいに関係しているのだろう。
いつもは家でのんびり過ごしているから、3時間も拘束されることがきつくて仕方ないのである。また、運転の力が適正かどうかなどを判断されることも負担であった。
もう一つ、講習会場が車椅子に適した構造になっているかどうかも私には大問題であった。3時間、いや家を出てからの時間を計算すると4時間近く、トイレに行かずには済まないが、果たして車椅子用の設備があるだろうか、そう考えると神経質にならざるを得ないのである。
どんな環境でもそこには人がいる。その人との関係でなんとかことは済む、そう考えればよいのだが、やはり前記の諸事項が脳裏をよぎる私であった。
結果を記せば、運転適性など全く問題にならなかったし、私のできないことは全部観察で済ませてくれた。トイレはやはり私の利用出来るものではなかったが、万一に備えて下着を工夫しておいたので4時間を凌ぎ切った。
それにしても、心配の種は尽きないものである。

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2011年3月29日 (火)

残された者

イザヤ書4章2節からのところには「エルサレムの将来の栄光」と名が付されている。そして、ここには「生き残った者」「残された者」という表現が何度も使われ、また「若枝」という言葉も見える。この「若枝」も枯れた木株から出るのだから、「残された者」と同義だろう。
なぜなら、「生き残った者」は古い生き方を背負った敗残者ではなく、バビロン捕囚の後に新しく主の命をいただいた者だからである。
預言者は、その者たちは麗しさとなり、栄光となると告げる。そして、主は昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造ってその者たちの集会を覆い、守られると約束される。
この聖書を震災で被害に遭われた方々に伝えるのは亡くなられた人たちのことを思うと躊躇せざるを得ない。だが、もし残された方々がここから力を得ることができるならそうあって欲しいと思う。

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2011年3月27日 (日)

親の目、教師の目

終業式があった日。中学二年生の孫に「○○ちゃん、2はあったかい?」と聞いてみた。孫はニコニコしながら「あったよ。理科と社会科」と応えた。だが、すっかり大人の体になった孫は愛くるしい笑顔を崩すことはなかった。
私も特に驚くことはなかった。学校には仲良しの友達がたくさんいて、時間があれば若者らしいおしゃれをして遊びを楽しみ、日頃はテニスを友として毎日を明るく過している彼女は我が家の大事な女の子なのである。
だが、ふと私は教師であった時の自分を思い出していた。学校というところでこの子を前にしたとき、質問しても満足に答えられない成績の悪い女生徒のH子として彼女を理解するかもしれない、と思ったのである。教師は自分の基準で生徒を見る目を離れられないからである。
くったくのない孫との終業式の日のやりとりは、教師と親の目の違いを改めて認識させるひとときとなった。

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2011年3月25日 (金)

困難の時の聖書

先日からイザヤ書を読み始めた。ユダ王国が滅び、イスラエルもアッシリアの前に危機にある時、イザヤが召されて救いを語る書である。
妻の亡き後、私はヨハネ黙示録をしばらく読み続け、その後、ヨブ記にも親しんだ。ヨハネ黙示録は皇帝の弾圧で苦しむ人に対して、天上の神の栄光の姿を説き、地上の横暴な数々の行為はやがて終わることを語っていたし、またヨブ記は神の試みに遭うヨブの訴え、祈りを記していた。
どれも一般には親しみやすい書ではないが、しかし、これらの中にこそ、主の慰めの言葉が隠されている気がする。今日はこれからイザヤ書3章を読もう。

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2011年3月23日 (水)

宮沢賢治と災害

渡辺健さんが多くの芸能人とともに災害にあった人たちを励ますサイトを立ち上げた。笑福亭鶴瓶さんもその仲間に入っている。ここで渡辺健さんは自ら宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を文庫本らしきものを見ながら、静かに朗読している。
雨ニモマケズはかつて戦争の時代にも利用されたことがあった。貧しさを耐え、国民が一つになって国難に立ち向かう精神を鼓舞しようという意図があったのだろう。

宮沢賢治は農民の生活を支えることに心を砕いた人である。病気の中でも肥料の配合の仕方を教えることを惜しまなかった。それは「よだかの星」に見るように弱い人への共感に基づく行為だった。
もう一つ賢治を思うときに気づくことは彼が自然を友として、いや自然に生かされる人として存在したことである。彼にとっては水は母の羊水のようであり、熊は仲間であった。
 
今回、この災害を賢治はどう見ているだろう。岩手山を愛し、リアス式海岸で遊んだ賢治は自然に向かって、どうか人間を守ってほしいと頼んでいるかも知れない。
自分の詩が読まれることも今回は許すだろう。原発などということへの疑問を呈しながら。

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2011年3月22日 (火)

被災した友からのメール

何度かここに書いた東北の友からメールをいただいた。ここに紹介させていただく。

久しぶりにブログを読ませていただきました。今日散乱した家の中から持ってもらってきたノートパソコンをネットにつないでもらいました。メールアドレスが入っていると思っていましたがちゃんと入っていました。感謝です。奇跡を信じます。

私はセンター(注 彼は家が倒壊したので自分が責任をもっている支援センターで車椅子の上で過ごしている。障害のために一般の避難所よりはここの方が過ごしやすいのだそうだ)ではパソコンは使えないと思って一度も使っていませんでした。

テーブルの上に箱を載せ、その上にPCを乗せ、その横に広辞苑を置きマウス台にし、消しゴムの付いた鉛筆でキーたたいて成功しました。

できないと思っていたことができました。感謝です。

暗闇に光がさした感じです。早速、ブログを開きました。お祈り感謝です。

食事の用意ができましたので今日はこれで終わります。また書きます。

私はこう返信した。
貴重なメールです。ありがとうございました。
今日は兵庫共励会の春季聖会で貴兄のことを覚えて祈っているとの連絡をKさんからいただきました。皆が祈ってます。きっと神様は神様がよしとする方法でお守りくださると信じます。
今夜も主が共に過ごしてくださいますように。

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2011年3月21日 (月)

弱き者を用いたもう神

昨日、主の礼拝に与れたことを感謝。
聖書はイザヤ書6章1節から13節。ガラテアの信徒への手紙3章26節から29節。
イザヤ書はイスラエルが滅びるときに用いられたイザヤの召命を語る。神の前に自らの汚れを知ったイザヤは神の召しに躊躇するのだが、神はそれでも彼を召したのだった。
牧師は、神は不信仰な者、不十分な者をも用いて神の計画を果たされると語った。
これはこの世で困難な中にある者、弱い者の肯定につながる恵みのメッセージである。障害を持つ人、その者の教会における存在の根拠にもなる。
あえて言えば、今地震で困難な中にある者、その人達を神は必要とされているのかも知れないのである。その人が無言のうちに語る援助の要請に応えることの中に神の御心が働くのかも知れないのだ。
家が倒壊し、車椅子で寝起きしている友よ、主の御意を信じて耐えて欲しい。

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2011年3月18日 (金)

弱い足を愛する時

Photo 計画停電が予定されていたので早めに昼メシを済ませ、ソファーの裏のカーテンを開けた。春の豊かな日差しがいっぱいに入ってきた。暖房が切れてもこれでしばらくは問題ないと一安心。
ふと足にも陽を当てようと考えついた。長い間足は放っておかれっぱなし。どんなに動かない足でもそれでは申し訳ない。
靴下を脱いで両足をやっとのことでソファーに引き上げ、つくづくと眺める。むくんでふとっちょになっている。裏は見ることができないが、少し赤みを帯びているようだ。なんども交互にさすってあげる。だんだんと温かくなってきたようだった。
12時20分からだという停電は13時30分になっても起きない。私は足をそのままにして読書を始めた。約2時間、テレビも観ず、パソコンにも触らず、ゆっくりした時間が過ぎて行った。

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被災された主にある兄弟姉妹へ

主の御名を賛美します。主は困難の中にあっても私たちの主であることを告白します。
押しつぶされそうな数知れぬ困難を主はなに故に与えるのですか、あなたの御意を私たちは汲み取ることができません。
昨日は我が家で主につながる者3名が集って聖書を読む時を持ちました。民数記です。民数記にはエジプトを出た民の彷徨の様子が書かれています。民は困難に合う度に主に不信感を持ちました。これならば奴隷のままエジプトに留まればよかったとも言いました。そんな民を主はある時はマナを与え、またある時には水を飲ませて救ってきました。そうしてまでして長い長い旅をして来たのにこの民は約束のカナンには入ることができず、主の約束は次世代の者に引き継がれたのだそうです。
私たちの救いはこの歴史の流れの中にあるのだと思います。
被災地の皆様は余震、寒さ、生活の不便さ、体の不調など数知れぬ困難の中にあることと思います。歴史を支配したもう主イエスが皆様をお守りくださるように祈ります。

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2011年3月16日 (水)

車椅子に乗らないと!

服を脱ぎかけている時計画停電がありそうだと会社から帰った嫁さんが言った。25分後だという。一瞬迷った。私が入浴するにはきつい時間だ。
決心して入った。浴槽で体をまんべんなくこすってすぐに上がった。暗くなるのが困るのではない。車椅子に乗れなくなるのが困るのだ。床から立ち上がれない私は電動椅子、これは床まで座面が下りてくる、に乗って車椅子に乗るのである。
20分経った頃、私は裸のまま椅子に移り上昇させた。電気が消えるのを気にしつつパジャマを着た。
もう何時停電が来てもいいという安心感が私を包んだ。

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2011年3月15日 (火)

冷静に生きる

地震は自然災害だ。これにどう対応するかは人間の知恵による。だが、原発の事故は人間が創りだしたものと言わざるを得ない。自然界に存在するものをその範囲内で用いて生きることをいつの間にか人は超えてしまった。
しばらく前には原発に反対して、電気料金を一部割愛して支払うなどして抵抗したこともあった。科学者の中にはロジカルに原発の危険を訴え続けて亡くなった方もいる。
だが、消費社会が増長し、消費電力量が増すに従ってそうした声や運動もキリスト者の間でも見えなくなってしまった。
今福島原発で起きている事態がなんとか少ない被害で済み、近い将来原発について問い直す機運が盛り上がることを祈らずにはおられない。

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2011年3月13日 (日)

地震の怖れを取り除き給え 司会者の祈り

 天地の造り主なる、恵み深き神様。
 どうぞ私たちをお救い下さい。恐怖の底に落ち込んでいる人、絶望の中にある人、助けを求めている人、不安の中にいる人、今その方々が日本各地に満ちています。人の力を超える大きな災害で今、私達の国は混乱の中にあります。
 あなたはこの世界をお創りになりました。そして、一人ひとりをよしとしてあなたに似せて誕生させてくださいました。
 あなたは全てをご存知であると私たちは信じます。あなたにより頼みます。どうぞ一刻も早く平安を来たらせてください。
 私たちの教会は来る聖日今年度を振り返る総会を持とうとしています。あなたに一年の間、恵みを受けて、毎聖日礼拝を献げ、また交わりを持ってきました。このことを感謝して振り返り、またこの一年があなたの御心に沿うものであったかどうかを確かめる時として総会が献げられますように主の導きを祈ります。
 数知れない方々が未曽有の災害に遭っているとき、私たちがこうして教会に集わしめられ、あなたのみ声をいただけることに心から感謝致します。
 この礼拝に集えない多くの兄弟姉妹もそれぞれの場においてあなたを仰ぎ、恵みに与れますように。
 あなたの御言葉を取次ぐ先生の体と心を自由にし、御力を与えてください。
 この祈り、主なるキリスト・イエスのお名前によって御前にお献げいたします。

 アーメン

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2011年3月12日 (土)

地震と車椅子

電動車椅子に乗っていると地震の揺れを敏感に感知するらしい。エアー入りのタイヤにはクッション性があるし、また座高も高いせいだろう。
本震の時はさすがに参った。家が軋み、不安定な格好で棚にあった本が落ち、フクロウの置物が幾つか転がった。余震もかなり強かったので3度外に避難する始末だった。
最近動作がとみに遅くなったので、いつでも避難する態勢を整えておかねばと思い、入浴はやめた。また、ベッドにはセーターのまま入った。電動車椅子のバッテリーも夜の間に充電をした。(今、また揺れが来ている)
なんとか朝を迎えられたのはありがたい。東北に住む障害を持つ仲間が無事であることを祈る。

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主よ助けたまえ

主よ地震を鎮めたまえ。苦しみと怖れの中にいる人を救いたまえ。動きがままならない友を守りたまえ。

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2011年3月11日 (金)

最後の灯油買い

大分暖かくなった。玄関先に出ると、風が心地よい。
今日は金曜日、車で巡回する灯油販売が来る日である。食事を終え、新聞を読みながら待っていると、「カトーの灯油。18リッター1840円。見えるところに灯油缶をおいてくださればこちらから取りにうかがいます」というおなじみの声が聞こえてきた。
もう満タンにする必要もないと思って、書斎と居間の二つのタンクにそれぞれ半分っずつ入れてください、とお願いした。
94リッターで8,780円だった。もう今年はこれでいいだろう。寒い冬であったが毎日居間で、書斎で好きなことをやりながら無事に過ごせたことを感謝せねばならない。
ちなみに、この冬の灯油消費量は470リッター、48,000円ほどであった。

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2011年3月 9日 (水)

昭和35(1960)年のテレビ番組

西川哲治先生の信仰を調べているうちに、インターネットで昭和35年のテレビ番組表に行き当たった。7月3日、日曜日の番組が幾つかのテレビ局ごとに載っているものである。
先生の名は、「NHK教育12」の午後10時の欄に「原子力時代の物理学『トムソンとボーアの原子模型』ホハイト、西川哲治」と記されていた。
日曜日は先生が教会で説教をし、第一日曜日だから役員会もある日である。その忙しい中、先生は10時という遅い時間にテレビ局に出向いていたのだ。録画放送なら問題ないではないかという方のために言えば、私は先生の家にこの翌年少しの間同居させていただいていたので先生が迎えの車で出かけている姿を知っているのである。
この時先生は34歳、翌年には教授になられるのだが、教会と研究の両面で懸命に生きられた先生のお姿には感心する他ない。
ちなみにこの番組表にはこんなものが載っていた。「読売テレビ」・・・8時から「プロ野球巨人対国鉄」、「NHKテレビ2」・・・8時から「パノラマ劇場 森繁久彌、黒柳徹子、ジュエリー藤尾、藤田啓二、大山しのぶ代、加藤治子、植木まり子ら」。
この番組表は私の心を大学時代に誘い、しばし青樹のような想い出に時を忘れさせてくれたのだった。

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2011年3月 8日 (火)

ヤクルトレディへ手紙を頼んだ

火曜日の朝はヤクルトが来る日である。だいたい9時30分頃、「お早うございます、ヤクルトです」と言って帽子をかぶったレディがかすかに戸を開けるのだ。インターホンを鳴らすと私が取るのに手間がかかるから、直接ドアを開けてくださいと頼んであるので、そうしているのである。
私はそれまでトイレにも行かないで待っている。トイレに入ると簡単には出られないから多少我慢してもヤクルトを受け取ってから用を足すことが習慣になってしまった。
もう妻がいる時からのお付き合いだがあまり余分なことは話さないでいつもは去っていくのだが、前回と今回は彼女に手紙の投函を頼んだ。前回、寒い日だったが急ぎの手紙があったので「どこかポストの前でちょっと止まってこれ出してくださいますか」と遠慮しながら言ってみたら、快く引き受けてくださったので、今朝またお願いしたというわけである。
私の「教え子」の中には宅急便のお兄さんをつかまえて家の中の電球を取り替えてもらった者もいる。こうして多くの人と交わりを広げていくことも社会が豊かになくうえに大事なことだろう。

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2011年3月 7日 (月)

「こうりゅう広場」を本に

もう何冊目になるだろう。今度の本は布製の豪華本である。たった一冊の本だが自分の生きた証がここにある気がして嬉しい。
豪華本だけに費用も多くかかった。1万3000円弱である。
今までは子どもの数だけ印刷して、それぞれの子に持っていて欲しいと思ったのだが、もうその意図はない。最初に出版したとき友人に見せ、子ども用にも作ってあることを話した時、その友が「それはお子さんには重荷になるね」と言っていたのだったが、今になってその意味がわかる気がしてきたのだ。
親の生き様を残したいという気持ちは親の独りよがりかも知れない。子どもには子どもの世界があって、親が思うような共通の場には生きていないのだろう。
昨日曾野綾子著「老いの才覚」なる本を買った。親が最後まで自立して生きる7つの才覚について書いた本のようだ。ベッドで時間を持て余したときにでも読んでみよう。

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2011年3月 4日 (金)

新しい朝

新しい朝になった。無事に起きられたことに感謝。

昨日はひな祭りの日。すっかり季節感がなくなってこの日を待つ心も失せたこの頃である。子どもの頃、八帖間いっぱいにひな壇を組んで、蔵から出してきた雛を一体ずつ箱から取り出し、家族みんなで飾ったものだが、それは遠い思い出となってしまった。

でも嬉しいことが昨日はあった。教会の友で、俳句仲間のIさんが手巻き寿司を持ってきてくださったのだ。昔風の海苔巻きで中にはカンピョウや玉子、カニなどが入っていた。

 雛の日や玄関開いて寿司来たる

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2011年3月 3日 (木)

ポストポリオ後遺症とマッサージ

今日は木曜日。午後にはマッサージ師が来てくれる。一週間に2回のマッサージだがこの時は楽しい時である。むくんでしまった足を足裏から腿、お尻までもんでくれ、両腕の痛むところを解きほぐし、おしまいには体を反転して背中を押してくれるのだ。
若いマッサージ師なのでITにも精通していてマッサージをしながらパソコンや携帯電話のことをあれこれ話し合う。これも楽しい。
このマッサージは医療行為として必要性が認められると費用は安くなる。だが、そのためには医師の同意書がなくてはならない。その上、面倒なことにこの同意書は3ヶ月毎に更新が求められる。
先日診察の際医師に頼んできたのでもう出来ているだろう。でもこのところの寒さや、腕の痛みがあることなどでなかなか外出する気になれない。
まあ、あまり無理をしないでそのうち取りに行こう。

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2011年3月 1日 (火)

特別支援学校定員がいっぱいという疑問

今朝の読売新聞は特別支援学校が生徒を収容しきれない現状を取り上げていた。
これは今に始まったことではない。もう10年も前から言われていることである。もしかしたらその傾向がより強まったのかも知れない。
文部科学省は新しい教育のあり方として統合教育に重点をおいているはずなのだがこの傾向はそれに逆行するとも言える。
ではなぜこうしたことが起こるのか。その詳細をここで書こうとは思わない。今朝の読売新聞が的確に説明しているから興味のある方は読んだらいい。
ただ一つ指摘しておかねばならないことは厚く関わりを持つ必要がある子どもたちがいわゆる普通校からはじかれているということである。そしてそういう子供たちが増える社会に日本がなっているのだ。
昨日から京都大などで入試にインターネットを使用した不正が行われたらしいことが大きな話題になっている。簡便に処理することが横行する世の中。特別支援学校がいっぱいになるという現象も不正入試と同じ地盤の上にあると言えるだろう。

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