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2011年2月

2011年2月27日 (日)

全ては神の計らい

礼拝の恵みをお分かちしたい。
今日の聖書は創世記50章15節から21節。ヨセフが兄たちを許す場面である。幼い時に兄たちにのけ者にされ、エジプトに売られていったヨセフが、故郷に飢餓が起こり下ってきた兄に会うのだが、仕返しをされることを恐れていた兄たちを「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日このようにしてくださったのです」と言って受け入れたという場面である。
聖書には人の世の悪が多く描かれている。有島武郎の著書に「カインの末裔」という有名な小説があるが、このカインとは創世記4章に登場するカインであり、弟アベルを恨んで殺した人間だ。
しかし、こうした人間の営みを通じて神は自らのご計画を遂行されていると牧師は語った。なぜならこのカインの系譜はやがてモーセの出現になり、エジプト脱出からカナンの建国へとつながっていくからである。
神は人間のこのような争いを全てご存知で、そこに付き添っておられる。これは現代の人間不信の世にいきる者にとって慰めであり、感謝すべきことであろう。

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2011年2月25日 (金)

「教え子」という言葉

教員になって二度目の担任をしたクラスの生徒にKさんがいた。今ではお孫さんもいる歳の女性である。東京でヘルパーさんの助けを借りて、元気に生活している。いや、元気に生活している、などという平凡な表現では表せないアクティブな生き方をしているのだ。
電動車椅子で公共交通機関を利用し、何処にでも行くし、その際、着たければ和服姿にもなるのである。
このKさんを「教え子」と呼ぶにはどうも抵抗を感じてしまう。いや、Kさんに限らず、生徒と教師という関係にあった人を「教え子」と呼ぶのはおかしいと私は常に思っている。教師は「教える」ことも活動の一つとして行うのは事実だが、それは生徒と一緒に成長していくときの活動の一つに過ぎない。
人が成長する過程に関わって、自分もよりよい人間になっていく、教育はそういう場なのだ。「教え子」などと単純に言えるような関係は知識を注入すだけの実利的な場のみに当てはまるだろう。

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2011年2月24日 (木)

運転免許の更新

高齢者の運転免許更新は今までと違って面倒だ。更新手続きをする前に高齢者講習を受けねばならない。時間が3時間かかり、費用も5800円。
前回の更新は69歳の時。ゴールド免許だから5年間有効だったのだ。
思えばこの5年は激動の時だった。更新の3年前妻は癌の手術を受けたのだが、その後は元気になった。私とキ障協の働きのために全国あちこちと出掛けたりもした。だが、更新の翌年には新しい癌が見つかり、そして次の年には天に召されたのだった。以後は痛む腕で必要な時、一人運転を続けている。
先程講習日の予約を入れた。後何年車の運転ができるかわからないが、妻は同乗しなくてもまだ手放すわけにはいかない。

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2011年2月22日 (火)

イエス・キリストの事実

「イエス・キリストの事実」とはなんだろう。最初に思い浮かぶのは十字架の事実である。その前提には神がイエスをこの世に下したもうた事実もあるかも知れない。この事実には計り知れない大きな神の愛が隠されている。
この言葉を最大のキーワードにして今回一編の文章を書いた。キリスト教雑誌に「共助」という長い伝統を持つ雑誌があるのだが、その編集部から昨年暮れに亡くなった元東京理科大学学長、東大名誉教授西川哲治先生のことについて書くように依頼されたからである。
実は先生は私が上京し、教会に行くようになった時、護国寺(東京文京区)裏にある豊島岡教会の牧師を兼任していたのだった。
私は文章を書き進める中で、物理学者の西川先生が無駄、無益という言葉を何度となく用い、そこに神の恵みを重ねていることに気づかされていった。そして、その最たるものが神の独り子イエスをこの世に下したもうた事実であると説く先生の信仰に触れたのだった。
先生は晩年体を不自由にし、ホームでの生活になったのだが、その一見無駄の、無益の最後の時にこそ先生は主の愛を全身に浴び、天に帰ったと私は確信したのである。この理解は全ての人への愛のメッセージになるに違いない。
この小論が雑誌に発表されたら、許可を受けて私のHPにも掲載しよう。

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2011年2月18日 (金)

良い買い物

近頃買ったものでうまく使いこなしているものが二つある。
一つはカシオの電子辞書である。EXーwordという型なのだがとても便利な品だ。最近とみに漢字を忘れて、極簡単な字にも自信が無くなってしまった。一度不安になると、その字の形が頭から消滅する感じまでする。また、新聞の俳句欄に興味を持って読んでいると俳句愛好者はよく日常的でない単語を遣うので困ることがしばしばある。こんな時、電子辞書は簡単に不安やら疑問を解いてくれるので大助かりである。
辞書には他に季語検索機能やら医学辞典、歴史大辞典などたくさんのコンテンツが収められているのでこれは持っていてよい品である。
もう一つの買い物は「アンヨのコタツ」である。バッテリーで通電し、靴下を温かく保つことができる機能をもっている。夜寝る前に充電しておけば翌日日中ぐらいは保温できる。お陰でこの冬は足が冷えて困るということはなかった。腰にバッテリーを付け、細いコードを靴下に結ぶのでこれが面倒ではあるが、まあ、これくらいは我慢しよう。

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2011年2月16日 (水)

役場も出張サービスを

障害を持っていたり介護保険を受けていたりすると役所とのやりとりも多くなる。医療費の請求、介護保険に関わる福祉機器の利用料金補助費の申請、あるいはこれも近々に済ませなくてはならないのだが高速道路でのETC利用割引の更新等々、役場に出掛けなくてはならないことが次々に起こってくる。
だが、寒い季節、また、体の痛みをかかえている現状では、そう簡単には出かけるわけにはいかない。大げさに言えば、決心をして家を出るのである。
そこで思うのだが今やサービスの時代である。旧態依然としてデスクを構えて利用者がやってくるのを待っているのではなく、役場の担当者も自ら巡回して住民の便宜を計ってみたらどうだろう。
人件費の削減が叫ばれている昨今、これは無理な話だと一蹴されるかな。

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2011年2月13日 (日)

礼拝の喜び

今日の御言葉はルカによる福音書19章1節から10節。徴税人ザアカイがいちじくの木に上ってイエスを迎えたところである。
徴税人は当時多くの人に嫌われていた。また、彼は金持ちでもあった。罪深い人、金持ちは救いからは遠い人、これがイエス以前の信仰理解であった。
だが、その理解故にイエスに近寄り難いザアカイは木の上からイエスに接し、イエスを求めていたのだ。
イエスはその彼を呼び、彼の家に泊まりたいと自らおっしゃる。そして、「今日、救いがこの家を訪れた。」と救いの宣言をしたのだ。
イエスの救いはこうして救いを求める人のところに来られる。明日ではなく今日に。

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2011年2月11日 (金)

如月句会

定例の句会。3人。お一人は退院後間もない故欠席。もう一人は連れ合いが入院。
2点句。
肩寄せて子と通院の春日かな    悠歩
加湿器の蒸気に踊る春の色     悠歩
寒肥や鉢ごとに声かけながら     いく
雲流れ術後病室冬の空        由美子
一丁ほい孫とおはじき春炬燵     いく
遠来の客を迎えて春炬燵       いく
読む人も寝る人もいて春炬燵     悠歩
七十路を越えて向き合う春炬燵    ひさい

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2011年2月 9日 (水)

雪来る…春近し

Photo 白い世界となった。今年はじめての雪だ。庭に、垣根の上に2センチほど積もっていた。
子供のように心が弾んだ。新しい経験は人をいつもとは異なる心理にするらしい。
裏日本や北国の人にとってはこんなに少ない雪は雪と言えないだろうし、雪は厄介なものに違いない。でも、いつも同じ生活環境にいる者にとっては初体験はそれなりにうれしい。
関東地方の人には雪が来る、すなわち低気圧が南の海上をやってのは春がもうそこまで来ている知らせである。
  
午後になって暖かくなると雪はすっかり解け、道路がいつもの乾いた顔を見せていた。

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2011年2月 8日 (火)

「ねえ、バアちゃん」

「ねえ、バアちゃん」。
つい、この言葉があちこちで口をついて出る。
寝室に入って、寝る前、ああ、今日は寒かったなあとしみじみと思う。そんな時、写真になってしまった妻に「ねえ、バアちゃん」と呼びかけるのだ。妻のことをバアちゃんと呼ぶのはちょっとおかしいが、孫たちがバアちゃんと言うので、私もこれを呼称にしてしまった。
生活の中で寂しいのはふと心に浮かぶ由なし事を聞いてくれる人が居ないこと。
そこで、ついつい「ねえ、バアちゃん」とつぶやくことになるという顛末。
わかるかなー。この心境。

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2011年2月 7日 (月)

夜が来た

夜が来た。一日が無事に終わる。
朝、皆出払った後、一人で食事。そして、東の窓のカーテンを開けて、陽をいっぱいに迎え入れた。
 
頭を垂れて声に出して祈りの時を持つ。
混乱の政治、不況の中で苦しむ世の人々、それらが主の御心が顧みられることによって変えられていきますように。
何の心配もなく朝が与えられ、食事を終えた自分の生活を感謝。また、学校や職場に行った者の一日が守られますように。
Kさんの家の息子さんが無事脳腫瘍の手術を受けられますように。
教会の病にある兄弟姉妹が今日を希望のうちに過ごせますように。
  
10時頃から昨日の教会役員会の議事録を整理し、教会通信の仕上げをした。
週2度のマッサージを2時から受け、その後しばし休息。
  
こうして一日が終わる。

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2011年2月 5日 (土)

主の恵は永遠に

Photo_2 「信徒の友」2月号に倉敷市にある児島教会が新会堂を与えられた記事が載っていた。外観だけの写真なので詳細は分からないが、なぜか40年前の空気がそのまま漂っているようだった。
実は1972年、私は同僚のM氏とこの教会を訪問している。岡山、倉敷方面の修学旅行の下見だった。M氏はそれ以前伝道のために宣教師と一緒にこの教会を訪ね、大切な働きをしていたのだった。会堂内の額の裏にはM氏のサインまで残っていた。
岡山駅の前にある天満屋近くからバスに乗って、この地方が学生服やイグサで有名だという説明を彼から聞きながら児島に向かっていったことが昨日の如くに思い出される。
教会では実直な牧師夫妻の歓待を受け、その後牧師さんの車で案内され下見を済ませたのだった。
その教会がこうして今にいたるまで守られて、今度は障害を持つ人も自由に礼拝が出来る設備を整えて新しい会堂を与えられたのだ。主の御名を誉めたたえよう。
なお、M氏はその後大学教授となって京都に行かれたが事故で天に召された。

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2011年2月 1日 (火)

日毎の俳句

肩寄せて子と通院の春日かな・・・病院で今朝目にした出来事。
 
新聞を落ちぬ抜け毛や老いの春
春風や甘き香りの製菓場
水仙や赤城おろしに乱れけり
加湿器の蒸気に踊る春の色
日脚伸ぶ道路工事の続いてる
 

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