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2010年12月

2010年12月31日 (金)

1年を送る

今5時半。静かな朝なので外は雪かと思いきやラジオは晴れ時々曇りと言っている。
早い目覚めをしてしまいこんな遊びをしている。
ラジオにならって1年を振り返ってみる。
親しい方、主にある方々が召されたり病に落ちたことに気づく。
その中礼拝や聖書に励ましをいただいた年でもあった。
主を仰いで今年を送りたい。

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2010年12月30日 (木)

朝の祈り

今朝も恵みのうちに新しい一日を始められた。目覚めの時、そう気づく。そして祈りから今日を始めようと枕元のある「日常の祈り・苦しみの時の祈り」(シューラー著、佐藤正子訳)を開いた。
次の祈りを声にして祈る。

「主よ、あなたが私を愛してくださるというこの聖なるみ旨を感謝します。この喜ばしいニュース、この嬉しい知らせ、この胸おどる思い、この恵みに満ちた真理、このすばらしい教えに感謝します。神は私を愛してくださるのです!たとえ私が最悪の状態にあろうとも!神は私を愛してくださいます。私の信仰が曇っているときでさえ神はなお私を愛しておられます。
それは人間の理解を越えたことであり、まことにすばらしいことです。
聖なる神さま、感謝いたします。アーメン」
神が私を愛してくださるのだから、必要な時間、物、人はきっと与えられる、周囲のものをそう用いてくださる、この確信に感謝。

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2010年12月28日 (火)

一緒に動くことの大切さ

「ゲゲゲの女房」が終わって、今、NHKの朝のテレビ小説では「鉄板」をやっている。いつものNHK番組らしく古き良き時代の家族風景を描いているのだが、そこには人間関係の基本的な大切さがあるようでつい見とれてしまう。
今回のドラマは訳あって家を飛び出した娘が生んだ子どもがよその家で育てられ、家族として成長し、育てられた家と飛び出した家の関係を温かく結んでいくストーリーになっている。
毎朝多くの人が登場し、賑やかにドラマは展開するが、そこでは家族や職場の仲間、下宿の人たちが一緒に食事をし、時間を共にし、絡みあって行動している。
家族がこんなに一緒に食事をし、他人同士がお互いのことに口をはさみながら生活する姿は最近見られなくなった。それだけにその大切さを思うし、憧れてしまうのだ。

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2010年12月26日 (日)

「目から涙をぬぐいなさい」

エレミヤ書31章には、滅びが確実になったイスラエルのために新しいメッセージが語られている。彼らの上に新しい希望、救い主が来られるというのだ。「あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる」(16節)。
祈り
  主よ、祈ります。今日また新しい慰めの言葉を頂きました。聖書を開きあなたを呼び求めることを忘れたこの1週間であったことを懺悔いたします。あなたは慰めの言葉を用意して、御顔を私に向けて今日も待っていてくださいました。
日々苦しみを友として生きております。その苦しみは報いられるとあなたは言われます。ありがとうございます。礼拝に与れれたこの喜びをあなたに感謝してお捧げいたします。

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2010年12月24日 (金)

叔父の死

母の妹、イトはもう14年前に亡くなっているのだがその夫である叔父さんが一昨日亡くなった。今日はその葬儀に行ってきた。おおいに疲れた。
出席しないではいられない葬儀であったのだ。叔母さんもたいへん私を可愛がってくれたが、それを見ていた叔父さんは何故か私を尊ぶような態度で援助をしてくださった。大正7年生まれだそうだからかなり目上の方なのに私に話すその言葉は丁寧だった。
叔母さんが亡くなってからは息子夫婦と一緒に生活し、共働き夫婦の洗濯物を取り込んだりして家族に尽くしてきたらしい。
叔父さんが亡くなって、もう母の兄弟姉妹関係の方は皆いなくなってしまった。一つの時代が終わったという感がある。

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2010年12月22日 (水)

眼鏡がない

日曜日の夜、寝室に眼鏡を持ち込もうかと迷ったとき、もう字を見るのはやめよう、と決めたことまでは覚えていた。その先、いやそれ以前も、眼鏡をいつ使って、どこに置いたのか全く記憶にないのだ。
月曜日の朝、ふと眼鏡が書斎のデスクの上にないのに気づいた。寝室、書斎、居間、はては廊下の棚の上まで探したが何処にもなかった。
眼鏡がなくても全く字が読めないわけではないのでなんとかその日はやりくりした。だが、火曜日になるとどうも目の疲れが気になる。もしや日曜日教会においてきたかもしれないと思って牧師に電話もしてみた、やはりない。
メガネ店で新調しなければならないかな、このまま正月を待つわけにもいくまい。
そう決心した昨日の夜、ヒカちゃんに、爺ちゃんの眼鏡どこかで見なかった?と聞くと、懸賞金くれたら探してあげる、と言う。いいよ、1000円上げるよ、と言うと、その後数分して、これ?とメガネケースを持ってきた。
ああ、それ、それ。どこにあったの?と聞くと、寝室のボタンがいれてある引き出しの前だとのこと。
自分でも探したのになー、と我ながら注意力の低下に驚いた次第。
爺ちゃん、お年玉の額を1000円増やしておいてね。そう言ってヒカちゃんはもう宿題にとりかかっていた。

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2010年12月20日 (月)

主の祈りを声高に

「主の祈り」はキリスト者の最も大切にする祈りである。
 
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに会わせず、悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
 
最近、この祈りが切実に感じられるようになってきた。天におわす神を確信して、その神に不誠実なこの私が御名が栄えあることを心から祈らせてくださいと願う。
争い、憎しみの漂う地上に御国が広がって欲しいと願う。ちょうど多くの仲間が召された神の支配したもう天国のように。
今日も体を保ち続けられるように糧を与えれることを願う。当然のごとく朝、昼、夕に頂いていた糧を、この頃は与えられる毎に喜びがあふれるようになってきたのだ。
罪の許しを乞うとき、主は一人ひとりを既に愛し、許しておられることを確信している。
このような背景もあって、私は主の祈りを自分の体をその祈りに与けて祈る。

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2010年12月19日 (日)

主が来られた

クリスマスおめでとうございます。

礼拝で唱えたリタにーを紹介します。

クリスマスのリタ二ー

司式者 闇の中に輝く真実の光である神さま、

一 同 今ここに集まったわたしたちをかえりみてください。
司式者 一人のみどり子がわたしたちのために生まれ、
一 同 一つの希望がこの世界に生まれました。
司式者 そのみどり子こそ愛の人、平和の君
一 同 そのみどり子こそわたしたちの救い主。
司式者 主よ、わたしたちに御言と信仰とを与えてください。
一 同 わたしたちは心をこめて御子を礼拝し、感謝をこめてクリスマスを祝います。
    アーメン。

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2010年12月17日 (金)

主よ、豊かな慰めを

N先生が15日、召天なされたという。今朝の新聞でその報に接した。
原子物理学の大家であったので新聞はその業績しか報道していないが、先生は小さな教会の牧師でもあった。
その教会は私の大学と下宿の近くにあったので通うことになったのだが、在京時結局この教会で通すことになった。
近くには大学が多かった性もあって学生が多く、先生は皆に慕われ信頼を得ていた。家庭集会にも会員は喜んで参加し、交わりを深めたのだった。
その陰には夫人の支えも大きかった。
一時先生のお宅にお世話になったこともある。先生は当時NHKの物理学講座を持っていて夕方になると迎えの車が来たが、それまでの時間食事をしながらも講義の準備をしたものだ。奥様に洗濯までしていただいて1,2ヶ月住まわせてもらった。
アメリカに派遣されることになり牧師を退いた後、後進の指導に当たられ、その後は新聞にもあるとおり、学長として信頼を集めていたのだが、体に変調を来たし、最近はホームで奥様に見守られながら日々を送っていたという。
主は先生に天分を授けられ、先生はそのタラントを世のため、人のために用いて生涯を終えられたのだろう。
天において神様の祝福に与ることを信じ、また二人のご子息、とりわけ奥様の上に慰めがあるようにと祈る。

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2010年12月14日 (火)

今日も送りぬ、主に仕えて

「今日も送りぬ、主に仕えて・・・」、これは讃美歌の一節である。
夕べ、一日を終えて眠りに入る前、祈りのあとで一人ベッドで口ずさんだのだった。「今日も送りぬ、主に仕えて。世の日かげ移れどもあまついのち、日に日に近くぞある・・・・」と。
小さなものを洗濯し、パソコン台の下に吹き出すストーブの風で乾かし、昼にはレンジで一品の食事をし、午後はマッサージを受けつつ会話を楽しむ。また、友が周囲との関係を絶って病に苦しんでいる旨の電話も受けた寒い一日だった。
ベッドで神様、恵みを彼に送ってくださいと祈り、自分の置かれている今に感謝した後、思わず口ずさんだ曲がこれだった。
「御旨かしこみ、いそしめる身に、憩いを告ぐる夕べの鐘」。

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2010年12月10日 (金)

夕方になったぞ

外には闇が押し寄せて来ているよ。今までベッドで「世界街歩き」を見ていたんだ。ルーマニアの古い街で皆がそれぞれに楽しく時間を過ごしているようすが紹介されていた。子どもがお母さんと階段の数を数えながら道を登っていたり、お城のような教会では高いところで歌う聖歌隊に併せて讃美がされていた。
明るいうちにベッドに乗ったから真っ暗になる前に降りて来たというわけさ。
子どもや老人、若い女性、道端でビールを楽しむ男達、いろいろな人達が元気に居る風景っていいもんだね。
それを思うと今日も僕は一人でずっと家で過ごしたな、という感慨にふけらざるをえないさ。でもね、これは僕だけではないんだ。午前に電話で話したS氏は僕より3歳歳上だけど、前立腺癌のためにすっかり枯れた境遇らしい。東大病院まで月に一度抗癌剤の治療に電車で行けるけど、毎日は何をするでもなく家でそっと過ごしているんだって。何も趣味がないと言っていた。部屋でできる植物栽培でもやったらどう?と声を掛けるたら、いいこと聞いた、今日は励まされたよ、と言って電話を切った。実はS子さんの病状を伝えるために電話したのだったが、もう病人の話はいいよ、だってさ。
僕などこうしてブログで多くの人と交わりができるし、教会の仕事やその他の役割を果たすことも出来て、幸せな方かもしれないね。
ルーマニアの人とは違う精神世界が僕の周りにはあるんだと思うよ。

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2010年12月 9日 (木)

大丈夫よ、と言った女性

妻の病床を訪ねて下さり、笑顔で「大丈夫よ、大丈夫よ」と言ってくれたS子さん。数年前に、自らの住まいを伝道所に変え、定年後の日々を牧師として生きたご主人を天に送ってからも明るく多くの人に接してこられた女性である。
病床でも大きな声で、妻と私に、「うん、うん、大丈夫」と言いながらベッドの毛布を直したり、頭をなでたりしたのだった。
妻の召天後も時々私のもとに「毎日飲む野菜」とか言う野菜ジュースを送ってくれていた。
このSさんが脳梗塞で倒れられ、今意識が戻らずに入院しているという。
神はどんなご意思のもとにこうしたことをなさるのだろうか。伝道所の貸借関係がSさん家族とどうなっているのか知らないが一体これから伝道所の教会員は礼拝を捧げ続けられるのだろうか。
先程牧師にメールを送って主の導きを祈ったところだ。彼女が言ってくれた「大丈夫よ、大丈夫よ」が伝道所の牧師、信者の上に豊かに響くことを祈りたい。
主はよしとされる最善の道を選ばれるはずである。それを信じ、後に続こう。

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2010年12月 7日 (火)

力は主から

心が痛む時、弱くなる時、また人を信じられなくなる時、顔を上に上げよう。
痛みは、弱くなる要因は、信じられない言葉は自分と同じ地平の出来事、人から来ている。
上にあげて神の心を思う時、周囲の出来事は心から消え失せ、神の愛が降り注ぐ。そして、そのきざはしを通って私の心は神に近づく。そこには慰め、祝福、希望の光が満ちている。
心を高く上げよう。

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2010年12月 4日 (土)

戦争に進む道

韓国の島が砲撃を受けたことをきっかけに韓国でも日本でも軍事訓練が活発に行われている。ミサイル攻撃を想定して、それを迎え撃つ訓練もするそうである。自衛隊員が荒波の中でボートに乗って上陸作戦の訓練をしている様子も報道されている。ニュースによれば自衛隊は西南諸島に部隊を移動し、守りを固める方針だそうだ。
また、武器輸出三原則への見直しが話題にのぼる事態にまでなってきている。
北朝鮮の行為を危険視するあまり、世論が日本国内のこうした動きに疑問を挟まず、むしろ必要な措置であると受け入れる風潮はいつの時にも醸しだされた動きではなかったのか。
終戦記念日前にはマスコミも戦争の悲惨さを連日報道するのに、今は国の動きに何も発言しない。
市民は一人の人として、国家という言葉に惑わされることなく、平和の基礎を今こそ心のなかにしっかりと築かねばならない。

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2010年12月 2日 (木)

期末テスト

中学2年生の孫が今期末テスト中だ。普段はテニス漬けの毎日だから勉強はほとんどしていない。先日は高校生を破ってジュニアリーグで優勝し、地方新聞に写真と共に大きく報じられるほどテニスに毎日を賭けているのである。
そんな子でもテスト期間はテニスを休んで夜になると勉強を始める。昼間からやればいいのにテレビを見ている。
夕食が済んでから私が教師役をさせられる。一昨昨日は英語、一昨日は国語、夕べは数学だった。私の現役の頃と違って教科書が大判になり、挿絵も多い。英語は会話調の文が主だったがまだ私の力でも大丈夫。国語は古文だったがこれも問題ない。本棚から教師用指導書を取り出して問題文を見せてあげた。
数学には手こずった。代数なら私も得意なのだが、図形が出題範囲とあってこれには参った。とうとう一問解けないままだった。
連夜11頃までお付き合いさせられて疲れたが、楽しい時だった。子どもたち4人には大学入試問題まで関わらせられたのだったが、孫とまた勉強するハメになるとは、私は勉強と縁が深い男である。

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