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2010年11月

2010年11月30日 (火)

新島学園、我がオアシス

新島学園同窓会は「根笹」という会報を発行している。昨日、その四三号が届いた。会報をリニューアルしましたという冒頭の言葉どおり、なかなか読み甲斐のある号であった。懐かしい恩師の近況が率直に書かれていたからである。英語の弁論大会にジープに乗せて連れて行ってくださったベーケン先生、小生のこころの支えとなってくださった永井先生、音楽の時間にはいつも困らせていた綾子先生、多くの恩師が天に召されたなか、この先生方はご高齢ながら豊かに日を送っておられるようだった。
 
会報の最後に「学校から」と題して「同窓生の著書寄贈のお願い」という小さな記事があった。先日完成したフィリアホールの図書館に同窓生図書コーナーを設けたというのだ。在校生が先輩の著書に接し、励みをもらうためだという。
私は今日午前の時間を全部割いて本を選び、荷造りし、宅急便で何冊かの本を送った。専門書、キリスト教雑誌、個性化教育関連の会誌、エッセイ集、韓国語に翻訳された刊行物などである。
これらを自分の元に置いても将来子どもたちがどれほど関心を持って読むかは疑問だ。部屋いっぱいにある本と共にゴミ処理場に持ち込むかも知れない。そう考えると、自分を愛し育んでくれた母校の図書館の一角に保存されることはなんと嬉しいことだろう。
卒後五〇年経つ学校とこうしてつながりが持てる、そして自分が生かされる。母校はオアシスのような気さえする。

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2010年11月29日 (月)

天国のたくちゃんへ

たくちゃん、今日で君が天国へ行って10年になるね。神様の元で祝福のうちに過ごしていると先生は信じているよ。
君は21歳という若さで帰っていってしまったけど、その21年の間、たくさんのよいものを創りだしてくれたのだった。筋萎縮というだんだんと体の機能が弱っていく病気を背負いながら、友人と積極的に交わり、電動車椅子サッカーを通して多くの人に希望を与え、また、君の存在自体が周囲に新しい価値基準を生み出してくれていた。
君を送り出す式で、お母さんが「たくちゃんありがとう。」と涙ながらに礼を言っている姿を見て、お母さんに全面的に世話になっている君が逆にお母さんに尊いものをあげていたんだと先生は気付かされ、「弱い者」がいていいことを先生は確認できたことを今思い出している。
さっきお母さんと電話でいろいろ近況などを話し合ったところだ。お母さんはまだ君が寝返りに使っていたマットを大事に持っているとのこと。今度は先生も寝返りができなくなったのでそれを使わせたもらうことにしたからね。
記念の日にこうしてメッセージを送る幸いを感謝。やがて天上で君や先生の奥さんなどと一緒になれることを夢見て今日は一先ずさようなら。

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2010年11月27日 (土)

神様はどこ?

朝夕に祈る。一日の終り、布団をかぶる前、すべてを忘れて一日の感謝を神にささげる。
朝、目覚めるとカーテンが明るい。一日が始まるな、と気を取り直し、一日の導きを祈る。
祈るとき、頭を垂れ、目を閉じることが多い。天井を見上げることもある。だが、そこに神の姿があるわけではない。見えない神に祈るのだ。
ふと、カソリック教徒のことを思い浮かべた。カソリック教徒の皆さんはマリア像を持っていたり、正教会ではイコンを飾っていたりするだろう。そして、祈るときそれに手をあわせ、祈るだろう。具体的な行為を取りやすくいい方法に見える。
だが、私たちは見えない神により頼んでいる。見えるもののない不便性はあるがトマスに体を触らせたイエスの愛を信じ、この不安や頼りなさを持つ我が身をイエスに任せよう。

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2010年11月26日 (金)

小さな触れ合い

Img_0476毎日が平坦に過ぎていく。体調も特に変化なく、周囲の環境もいつものとおりだ。
家族は家族でまとまって、勤めや学校、スポーツに余念が無い。そのなかで私は一人孤高を保って独自の生活をしている。
そんな毎日が過ぎるある日、小学校5年生の孫が(この子もサッカーに夢中で、昨夜は9時過ぎまで練習に父親と出かけていたのだが)玄関の飾り台の上のフクロウを並べ替えて遊んでいた。写真にあるようにフクロウの塔を作っていたのだ。
私が大事にしているフクロウで遊んでくれて、孫との以前の触れ合いが戻ってくれたようで嬉しかった。

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2010年11月24日 (水)

熱い茶碗

昼食を終わったところだ。台所に茶碗に入れたままのご飯があったのでそれをレンジで温めて食べた。
おかずは5分間熱湯の中で温めれば食べられる買い置きの料理である。
ガスレンジが壊れたのを機にクッキングヒーターを入れたので熱湯を作るにもあまり不自由なく出来るのはありがたい。
 
だが、レンジで茶碗ごと温めるのは好きではない。熱い茶碗をもって食べるなんておかしなことだ。炊きたてのしっとりした温かな御飯をよそって食するのが本来の姿だろう。
再び「だが」である。だがそうは言っておられないのが現実でもある。
若いものはこれを当たり前のようにやっているのだから、それを拒否したら食いはぐれることになる。

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2010年11月22日 (月)

灯火親し

灯火親し遠出の友を羨まず
これは今朝の読売俳壇に載った句である。
紅葉の盛り、皆紅葉狩りに出かける季節。週末ともなると高速道路は渋滞が著しい。
そんな中、家で秋の灯を楽しみながら、ゆっくりと自分の時を過ごす。読書をしているのかも知れない。
遠出はできないが、出かけていく人を羨むでもなく、ゆっくり家で過ごしたいものだ。
私の心情をそのまま詠ってくれているようで親しみの持てる句であった。

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2010年11月21日 (日)

元気に生きる姿

>お久しぶりです。お元気でしたか?寒くなってきましたが、風邪を引かれていませんか?
>私は11月の上旬に熱を出して、ヘルパーを驚かせてしまいました。
>いつも元気なのに、ベッドでフーフー言ってるものだから、病院に連絡したり、氷枕を取り替えたりして、お手をわずらわせてしまいました。子供から「鬼のかく乱」だと言われました。

>この間、S先生から指笛コンサートのチケットを頂きましたので、行ってきました。
>先生がお習いになっていらっしゃいました恩師の追悼公演だったのです。
>Y先生も来てらっしゃいました。今年のS先生は去年と打って変わって、まるで先生の先生がお吹きになっているような錯覚におちいるような演奏でした。さびのきいた柔らかな音でした。
>終わるのが予定より1時間くらい遅くなりましたが、いい時間を過ごさせてもらいました。家に帰ったら、真っ暗でしたが、幸せな気分でした。
>明日は同窓会の幹事会なので、もう寝ます。おやすみなさい。

これは昔の「生徒」からのメールである。車椅子で生活している女性だが、積極的に外に出て多くの人と交わっている。私は彼女のその生き方に叱咤される思いさえするのだ。お断りしてここに紹介させていただいた。

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2010年11月20日 (土)

腕が痛い

この2週間はそれなりに多忙だった。先週はこなすべき作業が多くあったし、今週は体への負担の多い週であった。
先週はキリスト者で障害を持つ人の全国組織「キ障協」の夏の総会の総まとめをしたり、永眠者記念礼拝を持ったことを妻の兄弟に絵葉書を作ってお知らせしたり、その他、なにやら二三、文書作業をしたのだった。
それに比べ、今週は通院が二回もあった。出かけることがきつくなっている身には応える。木曜日には教会の地区集会もあった。それ自体は恵みの多い時だが、人が来るとなるとそれなりに準備もしなくてはならない。
こんなことで慌ただしく二週間が過ぎたのだ。だが、考えてみるとなすべき課題がなくなったら日々どう過ごすことだろう。多少の負担を負っている現状を受容すべきなのかもしれない。

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2010年11月17日 (水)

永遠の命

キリスト者は永遠の命にあずかっているとよく言われる。礼拝で告白する「使徒信条」にも「永遠の命を信ず」とあり、私たちは聖日ごとにその信仰を確認しているのだ。

だが、気づいてみると、「永遠の命」を自分の都合のよいように理解してる自分がいた。自分の命が永遠でありたいという自己中心主義の理解であったかも知れないということである。

ヨハネ福音書17章3節にはこうある。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」。
どんな逆境にあってもイエス・キリストを知る、イエスの方向を向いて主とつながっていること、それなくして永遠の命はありえないのだ。

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2010年11月16日 (火)

痛みとの共存

冬の陽やパンツのゴムを入れなおす
 
居間は暖かい。朝の日がいっぱいに差し込んで冬ならではのくつろぎを覚える。
買ったばかりのパンツだがきつくて着脱しにくい。新聞をゆっくり読んでから、柔らかなゴムに入れ替えをした。
 
昨日は肝臓のCT検査だった。検査そのものは20分ほどで終わるのでなんの苦労もない。問題は病院への移動、車の昇降、検査台への移乗などだ。足の力がなくなったのでこれらをみな手に頼る。そのために昨日から上腕部の痛みがひどい。パソコンも今日は自粛しなければならない。
 
検査台に乗るときは看護師に車椅子をおさえてもらった。カーディガンを脱ぐにも手が思うように回らないので手伝っていただく。ズボンを少し下げなければいけないのだが腰を浮かすことができないから一人に持ち上げてもらいもう一人の方に引き下げてもらう。
万事こんな具合で検査は終わった。
皆さんが親切な応対をしてくださるのがなんとも有り難い。

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2010年11月14日 (日)

礼拝の祈り

 慈愛に満ちた天の父なる神様。
 今朝も私たちにこの新しい朝をお与えになり、こうしてそれぞれの生活の中から教会に招いてくださり、本当にありがとうございます。
 私たちは今、こうしてあなたの御前に集まっています。

 ぞうぞ、これからのひととき、あなたからいただいている愛に応え、こころからの讃美と感謝を献げることができますように。

 そして、どうぞ神様、今朝もあなたのみ言葉を私たち一人ひとりに聞かせてください。

 私たちはあなたのみ言葉なしには生きていけません。あなたのみ言葉は私たちのいのち、私たちの光、私たちの力です。

 この礼拝に集えない多くの兄弟姉妹がおられます。どうぞ主よ、その方々にもみ言葉を聞かせてください。あなたが臨んでくださるようにと祈ります。

 あなたのみ言葉を取次ぐ先生の体と心を自由にし、その務めを果たさせてください。

 この祈り、感謝の心をもって主のみ名によってお献げいたします。 アーメン

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2010年11月12日 (金)

11月句会

 冬の蝿急須の上で休みをり
 競走馬秋突き抜けて走りけり
 只今と犬に挨拶秋の午後
 
 上掲の句は昨日の句会で3点を得た句である。4人の句会だから皆さんが選んでくださったということになる。
 独りの生活の中で出会った小さな出来事を大切にしてこれからも句を作っていきたい。

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2010年11月10日 (水)

亡き妻を偲んで献花

ここ数日晴天で爽やかな秋の日が続いている。昨日は車椅子に乗って隣保館前にあるポストに妻の兄弟へ送る手紙を投函してきた。
日曜日、教会では永眠者記念礼拝が行われ、今を主のもとに生きることの尊さを教えられた。そして、礼拝後墓地に眠る信仰の先達に皆で花を捧げた。子どもたちもそれぞれ都合があって参加できなかったし、遠方の妻の兄弟にはこの礼拝の案内も差し上げなかった。
そこで私が献花している姿を写真に収め、挨拶文と共に送ったというわけである。仏教と違って法事が少なく、兄弟たちも寂しく思っているに違いないと思う故の配慮である。

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2010年11月 8日 (月)

朝日から読売へ

11月から読売新聞をとることにした。
一度も替えたことのなかった朝日を止めるには少しの心配があった。朝日の論調には同感することも多く、また執筆陣もリベラルな方がいたからである。
個人的には、何度か声欄に投稿し、学生時代から採用もされている。オリンピック・マラソン競技で有森裕子が「自分で自分を褒めてあげたい」と言ったことを取り上げてみたり、あるホテルの障害を持つ人用の部屋の偽装問第についても書いた。最も反響の大きかったのは高校入試から国語の試験を外すことを提起した時だったろう。
朝日俳壇も楽しんでいるので他紙でこれに変わる満足が得られるかも心配の種だった。
だが、最近の朝日は何処を向いて編集しているのかわからなくなっているように思える。記事のための記事が多く、コクがない。
まだ読売にして10日も経たないのだがその記事には人の垢が付いている。朝日のようにキレイ事の記事ではないように見えるのだ。
朝日神話から抜けてよかったのかも知れない。

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2010年11月 5日 (金)

抗癌剤を使う友の声

かすれている声が電話の向こうから聞こえてきた。長く東京の教会で信仰生活を共に送った友の声である。
「抗癌剤でこんなになっちゃったんだよ」。「手紙と説教をもらったけど返事書かなくてごめんな」。
二年前に前立腺がんの手術をし、その後抗癌剤を用いてるが、手先の器用さがなくなり、食事をとってもその後横になることが多いという。
「だらしないんだよな」。と友はままならない自分を責めるように会話の間に言葉を挟んだ。
「そんなこと言わないで。僕も以前出来ていたことができないで、生活を少しでも充実したくていつも何かやって、疲れきっているけど、僕たちは頑張ることを大事に生きてきたからつい今の生活をだらしないなんて言ってしまうんだね。」
私がそう言うと、「そのとおりだな」。「分かった」。と彼は弱い声で応えた。
「また、電話くれよな」。彼のその言葉を最後に、私たちはお互いにお礼を言い合って電話を切った。

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2010年11月 3日 (水)

「私は日曜日が嫌い」

「私は日曜日が嫌い」。これはラジオ深夜便でジュリエット・グレコが歌っていたシャンソンの名前である。
昨夜疲れて早寝したことと歯科に1年半ぶりで行き、腹筋を使いすぎ夜中に痛みがでたことで2時に目覚めてしまった。ラジオのスイッチを入れるとグレコ特集をやっていてこの曲に出会ったというわけである。
フランス語なので全く中身はわからないのだが、あまりもおかしな曲名なのでメモを取っておいたのだ。
私は日曜日が大好きである。礼拝で主の言葉に会えるし、教会の兄弟姉妹とも親しい交わりが出来る。一週間家で過ごす者にとって日曜日は命の復活の日である。
ついでに言えば、この日は中央競馬の開催される日でもあるのだ。
グレコの歌の歌詞を知りたいものである。

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2010年11月 1日 (月)

留萌宮園伝道所の祈りの交わり

先日このブログに紹介した「信徒の友9月号」掲載記事の感想を留萌宮園伝道所にもお送りした。するとお礼の手紙が私の所属する教会に送られてきた。
そこには週報や教会の通信も同封されていた。そして、その通信「シャローム」に私が「信徒の友」を読んで最も心を打たれた「祈りの交わり」が紹介されていたのでここに皆さんにもお知らせしたい。
留萌宮園伝道所ではこの交わりを礼拝の一部としておこなっている。食事は各自の持ち寄り。礼拝と主の招きの食事に一緒に与れることの感謝をささげた後食事を分けあっていただくのだそうだ。そして、食事の後、一人ひとりその日の気分と体調、一週間の苦労や恵みなど感じたことを話し、聴き合う。(私はこの「聴き合う」になんとも言えない大事さがあると感じる)
伝道師の三浦先生によると、初期のキリスト教会もこのようなものだったと思うとのこと。
  
こんな豊かな交わりが許されている教会に主は喜んで臨まれるだろう。
 
なお、ついでながら、小生の信徒説教を「こころの便り」にアップしました。ご覧くさい。http://homepage3.nifty.com/bridge2/380.html

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