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2010年10月22日 (金)

信仰生活を豊かにするために

「シャローム第115号」が送られてきた。東中国キ障共の機関紙である。この冒頭に葉以潔牧師の説教が載っている。私はここで信仰生活を豊かにし、真あらしめるにふさわしい言葉に出会った。紹介させていただこう。

 礼拝は、自分の体を神様の前に運んで、差し出すことです。礼拝が説教を聴くことだけならば、説教集を読めば良いですが、この「自分の体を捧げる」とは、「あなたはどこにいるか」という創世記の神様の問いかけに対して、「私はあなたの前にいます」と答えることです。キリスト者は、週のはじめの日曜日に、皆がそろって集まり、「私たちはあなたの前にいます」と言って、神様を礼拝します。ここに、天の父と呼ぶ神様の家族である教会が見える形で現わざれます。
  

 パウロがここで、「献げる」と言っているギリシア語原文の意味は、「ある人の側に置く」ということです。自分の側にある大切な物を、その人の側に移すのです。そして、どうぞお使い下さいと言うのです。キリストにおける新しい生活というのは、私たちの体、つまり一番大切なものを、神様のおそばに置くのです。
  

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