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2010年10月

2010年10月29日 (金)

懐かしい友との一日

職場時代の友が4人、雨の降る中そろっておいでくださった。
池袋発、10時19分、私の町の駅には11時41分着、とこんな計画をSさんが立ててくれて、それはあたかも学教行事の際、いつもこうして作成される実施計画書のようでもあったのだが、今回の訪問は実現したのだった。
Sさんが途中の大宮駅で会席料理のような豪華な駅弁を買ってきてくれたので、まず食事をすることにした。ビールで乾杯、いや妻の遺影が飾ってある部屋だったし、皆さん妻とも親しく交わってくださった方であったので、「献杯」をしてから美食に与った。
そして、3時間の打ち解けた素敵な時間を共有した後、これも計画にあるとおり、15時31分発の湘南新宿ラインに乗って帰って行かれた。
職場では理科、音楽、養護訓練、重複学級担任、とそれぞれの持場で毎日子どもたちと過ごしていた方々であるが、学校行事や日常の勤めを通してお互い信頼関係を築いていったのだろう。職場を去って10年以上も経った今、こんどは年を重ねた人間が背負う多くの課題を共有しながら温かい交わりが続いている。
昨日はそれを具体的に体験できるよい場を皆さんが一日かけて設けてくださったのだ。なんと幸いなことだろう。

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2010年10月26日 (火)

共にいる幸せ

病院で偶然姉夫婦に会った。姉はいつものように義兄を助け、車椅子を押していた。
兄は以前から病気を抱えていたが、この頃は歩行にも不自由を持ち、ほとんど家で過ごしている。だから診察には必ず姉が付き添っているのである。
姉は家でも風呂の介助や夜の排尿の手伝いをしているらしい。
だが、それらを極当たり前に、いつも兄を立てて、少し耳の遠くなった体でやっている。笑顔を絶やすことなくしているのである。
会計を済まそうとしたら姉夫婦も来たので一緒に食堂に行って、ラーメンをご馳走になって帰ってきた。
なにをするでもなく毎日を平凡に送っている姉夫婦であるがああして共に日々を送ることが何よりの幸せなのだろう。

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2010年10月24日 (日)

ばあちゃん(妻)へ

書斎を引き上げて寝室に来た。今日も無事終わりそうだよ。
もう寝るね。外は雨が音を立てて降っている。
と言っても君は返事してくれないだね。
お休み。

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2010年10月22日 (金)

信仰生活を豊かにするために

「シャローム第115号」が送られてきた。東中国キ障共の機関紙である。この冒頭に葉以潔牧師の説教が載っている。私はここで信仰生活を豊かにし、真あらしめるにふさわしい言葉に出会った。紹介させていただこう。

 礼拝は、自分の体を神様の前に運んで、差し出すことです。礼拝が説教を聴くことだけならば、説教集を読めば良いですが、この「自分の体を捧げる」とは、「あなたはどこにいるか」という創世記の神様の問いかけに対して、「私はあなたの前にいます」と答えることです。キリスト者は、週のはじめの日曜日に、皆がそろって集まり、「私たちはあなたの前にいます」と言って、神様を礼拝します。ここに、天の父と呼ぶ神様の家族である教会が見える形で現わざれます。
  

 パウロがここで、「献げる」と言っているギリシア語原文の意味は、「ある人の側に置く」ということです。自分の側にある大切な物を、その人の側に移すのです。そして、どうぞお使い下さいと言うのです。キリストにおける新しい生活というのは、私たちの体、つまり一番大切なものを、神様のおそばに置くのです。
  

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2010年10月19日 (火)

俳句ができる喜び

競走馬秋突き抜けて走りけり
ただいまと犬にあいさつ秋の午後
一人居る部屋に秋陽の暖かし
眼鏡して繕う母や秋の午後
絨毯を道に広げてキンモクセイ
万感の感謝で起きぬ秋の寝屋
談笑の満ちる小路に教会堂
一人して祝う結婚記念日天高し
よい秋に四十四年を振り返る
  
秋天、爽やかなり。

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2010年10月18日 (月)

喜びの一日

昨日、それは感謝の日であった。
朝8時、かつて在籍した東京の教会の友が笑顔で車を降りた。私を迎に来てくださったのだ。
昨日は日曜日。礼拝を献げる日である。この日のために私を証し人として神は用いて下さり、友に助けられて上京しようとしていたのである。
  
「主の言(ことば)が聞こえる」と題して、懐かしい会堂で声高く主の恵みを私は公にした。私にとってもそれは喜びの時となった。
 
礼拝後に私を囲む懇談の時が少時持たれた。かつて信仰生活を共に送った友、初対面の友と親しく交わり、私の心は満たされていった。
妻を偲ぶ言葉も多く聞かれた。
 
帰りの途は朝とは異なる兄弟の運転だったが信仰に生きる勇士の語る言葉を楽しみながらの時となった。
 
私に対する親愛、愛慕、懇願なども多く示された一日ではあったがここには記さないことにする。主イエスこそ交わりの主、讃美の対象者である所以である。

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2010年10月14日 (木)

フクロウさんが世界の国から

トルコ、フィンランド、イタリア・・・あっちこっちから福を担いで、賢さを抱えてフクロウたちがやってきた。
どうぞ「梟展示館」にご来場を!!

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駅のバリアフリー化

我が町の小さな駅にエレベーターが付くという。新聞で、昔を残す駅と紹介されたことのあるこんな古い、ちっぽけな駅舎にもエレベーターが付くとは時代も進んだなぁと思わず喜びの声を上げたくなった。
  
高校時代寄宿舎に入っていた私は月に一度帰省の日があった。帰ってくるときは列車から降りれば直ぐに改札口に行けたから良かったのだが、宿舎に戻るときには反対のホームに行かねばならず、高い跨線橋を松葉杖を突きながら懸命に上ったものだ。当時は列車の本数も少なかったから、時には見かねた駅員がおんぶして線路上を渡してくれたことを思い出す。
 
車椅子になった現在、反対側のホームには行くことができない。あまり列車を利用することもないのだが、一度はわざわざエレベーターのある隣町の駅まで行って乗車する始末っであった。
それを思うと今回の駅改修は誠に結構なことである。
 
このニュースを聞いて、駅利用者でなくても足の衰えた者が駅の南北を往来する際にこれは福音になると私は喜んだのだった。
踏切利用は車椅子には危険があるし、遠回りでもある。エレベーターができたらこれを利用し、簡単に向こう側に渡り、今は自動車に乗り換えて行く役場への往復も楽になるだろうと思ったのだ。
ところがエレベーターは乗降客が利用出来るだけだということが分かってきた。
せっかく設置するのだからこの機会を逃さず町もJRに協力し南北往来が出来るようにすべきであると先日、町長宛にメールを送ったのだがさて効果があるだろうか。

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2010年10月13日 (水)

見えない相手との対話

ネット上の銀行へ振込をしたかったのだが、その過程で書き込みを要求されたパスワードなるものが一体手元に控えてあるどのパスワードか分からなくなってしまった。決済用なのかログインパスワードなのかその他口座開設時にもらったほかのそれなのか見当がつかないのだ。
 
仕方なく電話を掛けた。すると最近の企業のサポート方法でよく出くわすメニュー選択方式だった。
それも何段階かに設定されていて、なかなか目的のサポートに到達しない。難解な迷路を進む心地さえする。
  
人件費の節約であろうが、ここまでコミュニケーションが機会化され、生きた人間が見えなくなってしまうと今後人間そのものが滅びてしまうような気さえする。

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2010年10月11日 (月)

秋晴れの朝

雨戸を開けると朝の光が飛び込んできた。快晴である。目元にはネコジャラシが風に揺れている。

一昨日から寝る前に痛み止めを飲んでいる。そのせいか腰の痛みもなく朝までぐっすり寝られた。

光の中、車椅子で新聞受けまで行く。ライアン(我が家の愛犬)が朝のジョギング好きのとなりの主人に連れられて散歩から帰って、じゃれついてきた。

戸開くを待っていたのかネコジャラシ

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2010年10月 9日 (土)

結婚記念日

万感の感謝で起きぬ秋の朝
一人して祝う記念日天高し
感謝して感謝してあるこの善き日
  
運動会我ら休みて結婚す
談笑の満ちる秋路に教会堂
  
よい秋に四十四年を振り返る
四十余年歩みし妻や秋の天
 
44年が経った。44年前の今日、学校は運動会の日だった。休暇をもらって二人は結婚式を教会で挙げた。同僚はもちろん来られなかったが校長と前校長(大学時代の恩師)が来てくださった。
教会は狭い。式を終わってから祝会の準備をする。その間、列席者(両教会の信徒、大学時代の友、家族・親戚、兄弟姉妹)は会堂の外に出て歓談しながら待っていた。池袋のお店にケーキを取りに行ったり、サンドイッチの準備をしたりしたのは教会の友だった。
式後、上野駅には高校時代の友が見送ってくれた。妻となったK子はふたり分の荷物を大きなスーツケースに入れて列車内に持ち込んでいた。
 
あれから44年。K子が私の元を去ってもう2年になるが、二人の大事な結婚記念日であることに変わりはない。

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2010年10月 8日 (金)

生活俳句

 秋の風雨戸揺らして遊びけり
 ラジオ聞き曙を待つ老いの冬
 あけぼのを待つ手に聖書冬の床
 失敗も老いの遊びや秋温し
 
今月の俳句。朝の意図しない早起き。その時に作句することが多い。三句目まではそんな俳句である。
最後の句は思わず車椅子を入り口にぶつけたり、おかずを膝に落としたりする最近の様子を詠んだもの。私だけではないとみえて、昨日の句会では共感を受けた。 

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2010年10月 6日 (水)

祈りの会に行ったご褒美

小春日和になった。早くから準備して教会で行われる「祈りの会」に参加してきた。
 
実はもう2ヶ月も出ていなかったのだ。体の不調やら通院が重なったりで欠席が続いたのだが、仲間がいなくなったことも理由としては重い。
 
妻が召天し、S姉は病気で一人歩行がむりになり、SA姉は母上を一人家に残すことができなくなった等々で多いときには6人ほど出席者がいたのに最近は0。
祈りのない教会は教会らしくないと常々思うのだが、参加者はどこの教会でも少ないのが現状である。
 
今朝も私と先生二人の会ではあった。だが数に関係なく、主の言葉に接し、感謝であった。
 
家に帰って買ってきたレタスバーガーを食べていると、昨日インターネットで発注した電子辞書が届いた。どなたかが褒美にくださったような感じである。

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2010年10月 4日 (月)

いろいろのものが居てこそ

ドイツが統一して20年。その記念式典でウルフ大統領は多様性を大事にした社会の真の結びつきを訴えたそうだ。これは国家の民族間の問題である。
一方生物の世界でも多様性を大事にする声が大きくなってきているという。狼を退治した結果鹿が増え、その鹿が木々を食い尽くし、その結果森林の水分貯蔵能力がなくなり、洪水を引き起こす。こうして地球環境が破壊されていく。
飛躍するかも知れないが、臓器移植もこの風潮に沿っている気がする。人間を造り替えて弱さを持った者をなくそうとするからである。
今、人間は良かれと図って本来与えられている世界の秩序を乱しているのではなかろうか。

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2010年10月 2日 (土)

日照り草

Img_0433 玄関脇に色とりどりの小さな花が咲いている。可憐な花である。
今朝は日が差しているのでもう大方花を開いた。
昨日のように曇っていると咲くのを躊躇するかのように花を開かずじっとしているのだ。
草花に弱いわたしはこの花の名前を知りたくて写真に撮りウエブの掲示板に載せどなたかに教えてもらおうとした。だが、どうも掲示板なるものにはIMAGEは出せないようだった。
その後、種々工夫をした結果、これは松葉ボタンであることが分かった。誰でも知っている名前だろう、と笑われそうで恥ずかしかった。
  
でも検索したお陰で嬉しい付録をいただいた。この花は別名「日照り草」とも言い、朝に咲き、夕べには花弁を閉じるという。
朝毎に朝日を頂いてその喜びを表す花なのだ。
私の毎日もそうありたい。
 
日照り草今朝も光りて咲き始む

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