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2010年9月

2010年9月30日 (木)

池内淳子さん死去

池内淳子さんが亡くなったという。肺腺癌だそうだ。3年前に癌が見つかり治療をしていたのだがこの26日とうとう召されてしまった。
肺腺癌は女性に多い癌で、タバコを吸わなくとも罹る。でも3年とは早かった気もする。
妻の場合も同じ癌だった。でも5年もってくれたのだった。癌という病気が早く克服されたらいいとつくづく思う。
池内さんはおかみさん役をよくやっていたし、その風貌もどこか人を包み込む優しさが漂っていて安心出来る女優さんだった。

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2010年9月28日 (火)

「ゲゲゲの女房」に我が妻を見る

タイトルの題でしばらくぶりでエッセイを書いた。どこかぎこちない流れの文章になってしまったが公表することにする。
ゲゲゲの女房を見た、高年の方にはご理解いただけるかも知れない。

http://homepage3.nifty.com/bridge2/379.html

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2010年9月27日 (月)

主の言が聞こえる

秋冷という言葉がぴったりの季節となった。あの猛暑はどこへ行ってしまったのだろう。
下半身にはひざ掛けをしっかりと巻きつけてこれを書いている。まだストーブの準備が終わっていないのでつけられないが、できることなら使用したい涼しさである。
  
月曜日の朝。新しい週の始めを迎えて、今週も主の言(ことば)をいただきながら日々を歩んでいきたい。
 
ここ数日、来月予定されている礼拝奉仕の準備をしている。お陰で聖書の言葉が強く響く気がする。題を「主の言(ことば)が聞こえる」とした。言とは世の初めからあったもの。光と共にあったもの。それは主ご自身でもある。また、主の働きでそのものである。
痛みと孤独の中にあっても、いやそれ故に聞こえる主の言を感謝して語りたいと思っている。

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2010年9月24日 (金)

自然の中の人間

iPS細胞を創りだした山中教授はノーベル賞候補の第一人者だという。それほどまでにこの研究は注目されているのだ。
この細胞は人間の器官の元になるものだから例えば脊椎を損傷されたねずみにそれを与えると脊椎が新たに誕生し走ることが出来る。人間においても同様な効果が期待され、難病の治療に画期的な結果をもたらすだろうというわけである。日々の困難が解決されて重荷から解放される人がでることはいいことだ。
  
だが、科学者の興味関心はこのような事態になるとその枠を広げ、動物の体を借りて人間の臓器を作り出すことさえその対象に捉えてしまう。
臓器不足とか今患者が抱えている苦しみを解決するという「恩恵」に与れるのだから応用の是非は後回しにして研究は推進するべきであるとジャーナリストは言う。
 
そう簡単な問題であろうか。人間の体は自然の摂理の中で創造されたものだ。何処へ向かって行っているのかも定かではない。その中で、現在理解されたことは海の真砂ぐらいのものだろう。その砂を用いて人間を作り替えることは慎重にも慎重でなくてはならない。造り主の意図を犯して、人が造り主になることは許されないだろう。

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2010年9月21日 (火)

喜びに満ちた交わり

聖日礼拝の後、「一日研修会」が持たれた。テーマは「私の信仰生活」。
 
三人の友がそれぞれの信仰生活を10分ほど話してくださった。アメリカの生活を交えて多くの方に支えられた経験を笑顔で語る女性、イエスに自分を賭けて生きておられるという友、毎日聖書を読み、祈り、讃美歌を歌い、奉仕をし、礼拝を欠かさず、交わりに務め、献金をささげる、この7箇条を大切にしているという「受洗後今日が168日目です」とおっしゃる男性。
 
この教会に来て、こんなに豊かな証を聞くのは初めての経験だった。思わず「ありがとうございます。もう今日はこれでおしまいにしましょう」と冗談を言ってしまうほどであった。
 
その後、ギターによる讃美の時、懇談の時を持って、3人ずつ小グループで祈りの時を持って「研修会」は終わった。
  
12名という少人数での会ではあったが、教会ホールはいっぱいの喜びで満たされていた。

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2010年9月19日 (日)

老いを恵みとして

 恵みに富みたもう私たちの主なる神様。あなたの大きな愛に心から感謝します。あなたを賛美します。

 孤独の中にいたとき、心配に心がふさがれているとき、友が信じられなくなりそうなとき、この1週間のさまざまな時々にあなたは私たちを勇気づけて、引き上げ、友を信じる心を呼び覚ましてくださいました。ありがとうございます。

 そして、今日も、こうしてそれぞれの生活の中からあなたは聖なる呼びかけを持って私たちを教会へと導いてくださいました。感謝します。
 
 私たちは今日の礼拝を「恵老の日」礼拝として御前に献げます。私たちは年を重ねるごとに不自由なこと、苦しみが増してきます。しかし、神様、それ故に私たちはあなたの愛をより身近に感じることができます。あなたがおられることを感謝して受け入れることができるようになってまいりました。ありがとうございます。
 
 今日、私どもは礼拝後には1日研修会を持とうとしています。あなたが与えてくださったこの聖別された友と交わり、心を開いて語り合い、あなたにある信仰と交わりを豊かにするときとして午後のひとときを用いさせてください。私たちがいただいている信仰があなたを知らない人々にも伝えられる力を養う場としてください。

 教会にさまざまな事情で来られない友もあなたの愛のうちにあることを信じます。どうぞ、その友を私たちがあなたに代わって喜ばせ、励まし、慰める者となることができますようわたしたちを養ってください。

 あなたから特別の御用を与えられ御言葉を説き明かす先生を今日も力づけてください。

 この祈り、主の御名によって御前に捧げます。 アーメン

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2010年9月17日 (金)

新しい朝

カーテンが白み始めている。新しい朝の始まりだ。夏掛けでは涼し過ぎるのでエアコンをつけている。
4時に目覚めてラジオ深夜便を聞いた。ファーブル研究学者の自然の楽しさを語るよい番組だった。

かすかに白い天井を背景にして伸ばした両手の指が作るシルエットで遊んでいたが、この安心感を残したくて携帯電話を使って書き始めた次第。

今日1日が神様の下によい日でありますようにと祈る。
昼にはヨハネによる福音書を読み続けよう。

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2010年9月15日 (水)

本を読む娘

Photo_2 これは子どもたちが小学生の時、夏に海の家を訪れたときのものである。電車に乗って、私は松葉杖をついて、千葉・館山まで何年か続けて行っていた。
娘は喘息があってあまり運動はしない子だった。この日、なぜワンピースなど着て横になっていたのかわからない。雨降りだったのか体の具合が悪かったのかしたのだろう。この姿を見ていると読書好きだったE子の子供時代が浮かんでくる。

代わって、孫の日常を見ているとニンテンドウDSをどこへ行くにも持って行く。下校後一人になった時もテレビを見るかゲームをやるかのどちらかである。確かにDSは面白い。私も孫の留守を見計らって楽しんでいる。
  
昔とは生活環境がすっかり変わってしまった。どちらがよいとは一概に言えないが、本が慰めの友だったE子の時代が懐かしい。

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2010年9月13日 (月)

介護と親子関係

今朝のNHKで介護をしていた息子が父親を殺した話題を取り上げていた。
良く面倒をみる息子として近所でも認められていたという。父親の痴呆が進んで、二人の関係が険しくなり、ついに親殺しという悲しい結末になったのだそうだ。
ニュースは介護における親子独特の難しさにも触れていた。
 
他人を観るように親を一人の援助を必要としている人として捉えられなくなるのだろう。自分を育てたしっかり者の父親が、そして毎日援助をしているこの親が大便で常に下着を汚している。他人なら突き放して、仕方ないなー、と冷静に言えるのだが、親ではそのようにはいかない。
  
こんな難題に直面している親子がいったいこの世にどんなにかいることだろう。

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2010年9月 9日 (木)

寝返りをうてない人

夜中に腰が痛くて目が覚める。寝返りをうつことができないから腰に痛みが来るらしい。電動ベッドの頭部側を上げたり、足の方を操作したりするのだがうまくいかない。
ベッドに起き上がって、体を半分に折ってうつ伏せの状態でしばらく休んでいる。そして、また寝る。
人は一晩に何回か寝返りをするという。子どもがベッドから落ちるのもそのためだろう。だが、体が弱り自然に寝返りをうつことのできない者は一定の姿勢でいなければならない。これはつらいことだ。
筋萎縮性のS君は21歳で天に召されたのだが、お母さんはそれまで添い寝をして寝返りを助けたとおっしゃっていた。上掛布団も400グラムであったという。
うつ伏せ寝が好きだった私だがもうその楽しさを味わうこともない。

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2010年9月 6日 (月)

わたしはあなたと共に

「わたしは必ずあなたと共にいる」。(出エジプト記3章12節)
神はエジプトで苦しむ民を救い出すためにモーセを遣わすことを決めた。だが、羊飼いをしているモーセは「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」と尋ねる。
その時の答えが「わたしは必ずあなたと共にいる」だった。「このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」と神は言うのだ。
  
神に選ばれた者にはそこには使命が生じる。そして神はいつも共にいて終りまで支え続ける。
 
キリスト者は神に選ばれた者である。モーセが神の民をエジプトから導きだし、カナンの地に神の国を実現しようとされたが人間は神を裏切り未だ神の心は実現していない。私たちは神の国実現に向けて歩く人々の群れの一員である。「わたしは必ずあなたと共にいる」というみ言葉に励まされて今日も歩もう。

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2010年9月 4日 (土)

音楽の魅力 人の魅力

ずーと、ずーと昔の「教え子」がライブハウスでギターを弾き、歌っている姿にユーチューブなるところで出会った。
S君という彼は病室でギブスに入り、寝ながら授業を受けたのだが、覚えが良くて一度教えると直ちに理解してしまった。英語の基盤が弱い私はその日の授業内容をどう補ったらいいのか苦労したものだ。
 
今の様子は実際に見ていただいたほうがいいだろう。こんなに爽やかな大人になっている。今回音楽の魅力、彼という人の魅力を再認識した次第である。

http://videosearch.seesaa.jp/video/watch/3c70fe6b174c31dd

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2010年9月 1日 (水)

診察を終えて

いつもの道を通って通院。診察を終えて帰る道、妻を見舞って悲しみを抱きながら運転していた二年前を思い出していた。姉が脇に乗って、子どもたちが成長し、何も心配なくなった時でよかったと思いなよと慰められながらの帰宅だった。
 
そういえば、妻の入院中は診察そのものが緊張と重い判断の連続だった。医師と会うごとに新事実を知らされ、治療手段を選択することを迫られたものだ。
 
今日の診察はそんなことはない。「肝臓は落ち着いていますね」と、それだけを聞く平穏な時。
 
妻よ、君の人生の終焉は試練の連続だったね。

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