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2010年8月 2日 (月)

平和を求める人と主イエス

終戦記念日が近づくとマスコミに平和を求める人々の姿が毎日のように登場する。
市井の人が「もう戦争はいやです」「平和の尊さを実感しています」と体験談の後に言う言葉も重い。
また、韓国併合100年に当たり、その不当性や朝鮮の人々に与えた苦しみについてもテレビ、新聞でかなり綿密に報道されている。
これらからは平和を求める心が人々の間に広く根付いていることが伺える。
一方、報道によると内閣か首相の懇談会に非核三原則を見直す動きがあって、「持ち込ませず」を変更する方向が出てきているという。
政治の前には人々の願いは簡単に一蹴される虞を感じるのだ。平和を求める人はその尊さを言うだけでは何の力を及ぼすことも出来ないという無力感にさいなまれる。
 
昨日は日本基督教団の定める平和聖日であった。礼拝では哀歌2章が読まれ、バビロン捕囚で苦しむ人の祈りが語られた。主を忘れた者の主への立ち返りであった。また、出エジプト記22章では「もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。」と主はおっしゃる。
私たちは自らの力では平和を造れない。主に立ち返り、主に訴えて平和を求めよう。

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