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2010年7月28日 (水)

「皆が感動することがこの子の感動」

NHK昨夜のニュースですばらしい言葉に出会った。
障害を持つ22歳の女性が母親に背負われて北アルプス登山をする話のなかでである。知的な障害も併せ持っているわが子を、その母は今一緒に生きている証として毎年山に連れて行く。
車椅子を改造して背負い籠を造り、後ろ向きそれに乗せて山を登るのだ。
テレビでは多くのボランティアの助けを借りて、一歩一歩岩の転がる山道を進む姿が放映されていた。澄み切った空のもと、山並みが眼下に広がるアルプスを進みながら障害を持つ女性は笑顔を時々見せていた。だが、必ずしもいつも景色を楽しむ風ではなかった。
前を行く人の背に手を置き、後の人に背負い籠を支えてもらいながら、ようやくにして一同は頂上に立った。そこにはサポートしてきたたくさんの皆さんの喜びの顔があった。テレビの前の私も大きな感動に包まれていた。
その時お母さんはアナウンサーの問に答えてこう言ったのだった。
「皆が感動することがこの子の感動です」。
 
大きな意味を持っている言葉であった。人は援助する人の喜びを求めてその行為に加わる。自己の喜びを問わず、人に与えようとする。
障害を持っている人の信仰を考えるときも、その人に信仰の喜びを与えることを優先する。そしてその喜びを表現できない者を信仰の主体者から省こうとする。
お母さんの言葉は、先ず自らの喜び,感動、周囲の者の喜び、感動を問うものとしてハッとさせられる。
教会全体が、仲間が喜び、主の恵みに感動するとき言葉で信仰告白できない者も共に喜び、主に与れるのかもしれないのだ。

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