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2010年6月

2010年6月29日 (火)

電動ベッドが借りられました

以前介護度をアップするための介護認定が却下されたことを書いた。その際、電動ベッドがあったらもっと日常が過ごしやすいとも書いたかもしれない。
これを読んで教師をしている昔の教育実習生が心配のメールをくださった。
今朝、彼女にこうメールを返した。
 
AZさん
メールを頂いてからだいぶ日が経ってしまいました。
ご心配いただいた電動ベッドの件が片付いてからお返事を書こうと思っていたら今日になってしまいました。
おかげさまでベッドを借りられ、昨夜使い始めました。
全体が上下できるので閉め切っていた西の窓も開けられます。車椅子からの移乗も楽になりました。また、むくみがちな足を少し高くして寝ることも出来ます。
これで生活が少し楽になりそうです。
ご心配ありがとうございました。
いろいろな物をレンタルしていますので月々の支出が多くなりますが私の場合はまだ大丈夫です。
先日役場の係りの方が、支出が心配で欲しい福祉用品もレンタルできない人もいるとおっしゃっていました。
いろいろな面で、弱さを持っている人が取り残されている現実がありますね。
学校の生活が充実したものでありますようにお祈りします。
どうぞお元気で。

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2010年6月27日 (日)

主の日

礼拝に出席。感謝。
開始前に病む友にメールをする。「これから礼拝が始まります。Tさんの上にも主が共にいまして御心を示してくださいますように。」
礼拝後、月に一度ほどしか出席できない信仰篤いS姉妹と話す。
「僕は今、ヨハネ黙示録を読んでいます」と言うと「あたしは怖くて読めないわ」とのこと。「ヨブ記もダメね」。
聖書を傍らにおいて特養で気丈に生きておられる方であることがよくわかる。
  
「どう読んでおられるの?」
「黙示録はドミチアヌス帝の弾圧のもとに苦しんだ信仰者にヨハネが、今は苦しみの時だがその苦しみはやがて終わり、神の国が実現する、と励ましの言葉を送った書簡でしょ。現代はそのような圧政はないが、でも形を変えた苦しみは私たちの周りにいっぱいではないですか。その私に、神があなたの苦しみは私のところに届いているよ、神の国の住人になる時には栄光の冠を与えようね、と言ってくださっていると信じて読むんです。」
私はこう答えた。
 
Sさんは、また会いましょう、と言って友の車に急いだ。

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2010年6月25日 (金)

介護のこころ

体の不具合の増加にあわせて介護用品を使う機会も多くなった。今では、電動車いす、スタンディングチェア、肘掛が外れる車椅子をレンタルしている。
来週からは電動ベッドもこれに加わるようになった。
これらを利用して少しでも不自由度を軽減し、痛みを緩和できたらいいのだが。
  
しかし、貸与を受けた用品が必ずしも使いかってのいいものだとは限らない。ベッドや便器に移乗しやすいようにと借りた肘掛の外せる車椅子は二度も機種変更した始末である。
使いかってが悪いときにはこちらから申し出る。自動車の整備工場等は整備した翌日には「乗り心地はいかがですか?もしも不具合があったらすぐにおっしゃってください」と相手側から電話をしてくるし、時々訪ねてきて車の調子を見ていく。
介護用品レンタル業者にはこの精神がまだ不足しているように見える。車椅子の貸与の契約書を作成するさいにも他の製品の具合など全く尋ねもしない。ましてや利用者の体の快、不快など無関心である。
医師が病を見て患者を見ず、と揶揄されるように介護用品業者も貸与に関心あれども利用者の生活には心なし、との感、強し。

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2010年6月22日 (火)

外の明るさ

一日家の中にいて外に出る機会がほとんどない。
 
朝の所定の活動を終えて、一息つくのが10時。それからパソコンに向かい7月に予定されている集会のスピーチの準備をした。
昼食は思い切ってラーメンを作ることにした。クッキングヒーターに鍋を乗せて、冷凍麺をゆでる。
だが、どんぶりが高いところにあって届かない。ゆでた麺を運ぶことも出来ないので鍋を近くの台に下ろして、直接そこから食べることにした。水が多すぎて味が薄まってしまったが初めてにしては合格だろう。
 
もう2時。冷房の効いた部屋にいると疲れで眠くなる。子規の25歳の生き様を書いた本を読んでも長続きしない。
 
電動車椅子で外に出た。レモンイエロー色の百合が畑の中で鮮やかだった。

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2010年6月20日 (日)

礼拝司会者の祈り 10・6・20

 恵みに富みたもう天の父なる神様。
 あなたの豊かな愛によって今朝も私たちはこうして御堂に集うことが許されました。心から感謝致します。
 あなたは私たち一人ひとりを愛し、しっかりとその胸の中に抱きたもう故に、週の初め、御言葉をもう一度語りかけて下さり、それによって弱い私たちを励まし、また、私たちを用いてあなたの御心をこの世に伝えるべく兄弟姉妹そろって今朝もお招きくださったと信じます。
 どうぞこれから始まる礼拝のひとときが、あなたの霊に導かれて、御心に適うものとなりますようにと祈ります。
 私たちは様々な弱さの中にあります。年を重ね、体に痛みを持つ者、病床にあって不安と痛みの時を過ごす者、また病む者の傍らにいて苦しみを負っている者、職場の将来や家庭のこれからに確信が持てない者。
 どうぞ神様、この私たちがいつもあなたを見上げて、あなたに希望を見出し、心からあなたに寄り頼む者となることができますように聖霊を遣わせてください。
 今朝、ここに集えない兄弟姉妹のことを思います。どうぞ私たちと同じ恵みと慰めが友の上に注がれ、あなたの顧みのうちにこれからの一週間を過ごさせてください。

 大事な御用に当たられる先生を上からの力で満たし、御言葉を会堂に響かせてください。
 この祈り、再び来られた精霊の主、イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げ致します。
 アーメン

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2010年6月18日 (金)

友の褒め言葉

大阪は梅雨に入ったようでです。
以前には句集をいただきありがとうございました。内容もそうでしたがあれを一人で印刷、製本までやってしまったとは実に驚きました。わたしは古いワープロで製本も未熟でお恥ずかしい次第です。でも今回はホッチキスなしでやってみました。
季節柄ご自愛ください。
先日の「こころの便り」、実にうまい文章で、まるでプロみたいでしたね。妻もあの文章でファン心が強くなりましたよ。
  
大学時代の河内長野市に住む友人からの書きぞえである。一行詩の会「点晴」の世話役をやっているのであまり興味のない私にも冊子が出来る度に送ってくれる。そこに添付されていたのが上記の文だ。
こうした小さな言葉に喜びを見出しながらの毎日である。

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2010年6月16日 (水)

民放はいらない、と言った父

民放テレビの夜の番組は目に余るものがある。芸能人と言われる者がその親分格の先導でクイズやら寸劇に参加し、親分が言う事がおかしくもないのに一斉に大笑いしたり、いじめ合っているのだ。
いや、実際はもっと低俗なのだが、ここで思い出せない、一般常識とかけ離れた演技をやっているのである。
そうは言っても、またこれが孫たちに受けているという現実もある。うちの孫だけでなく、世の若者が惹かれるからTV局もこんな企画を立てるのだろう。
 
もう60年も前、ラジオに民間放送が参入してきた。どんな番組があったのかは失念したが子どもの私はこれを聞いていたのかもしれない。そこで、思い出すのが父の言葉である。NHKニュース一辺倒の堅物の父は歌舞音曲などには一切見向きもしない質だった。
「民間放送など要らないんだ」
この言葉がわかる気がするこの頃である。

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2010年6月14日 (月)

心の灯

 体の痛み、疲れで今週はブログの更新をしないでいようと思っていた。ところが今朝親友Hさんからお電話で、先日の「玄関の灯」がとても温かなよい絵だったと感想をいただいた。そして、Hさんは詩人島崎光正氏の詩集に同じ思いを抱かせる詩がありますと教えてくださった。

 嬉しさのあまり、今日もパソコンを開いて、その詩を載せることにした。

 櫺子の窓の明り

ゆふぐれにほかり灯のともるところ

それには鍋や味噌こしの影がさし

水仕事に指を凍えさす母なる人の姿も映る

お六櫛

 

私は旧道を戻ってゆく、唐詩選を袂に入れ
 

あゝまた一つあそこに灯る
 

櫺子の窓はたそがれのヴィオラの絃
  

(お亡母さん)

(お亡母さん)
 

小鳥の足跡のある土橋を越えた。

 島崎光正 詩集「故園・冬の旅抄」6061

 注 櫺子…れんじ  弦…いと  亡母…かあ

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2010年6月10日 (木)

主はご存知です

 ヨハネの黙示録を読んでいる。その初めには七つの教会に宛てた手紙がある。

ここでよく出る言葉が「知っている」である。

 エフェソにある教会にあてた手紙には2:2 「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。」とある。

 スミルナにある教会には2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。」と書き送っているし、ベルガモにある教会への手紙には2:13 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。」とあるのだ。

 主は私たちの困難、信仰、置かれた状況をご存知である。そして、ラオディキアの教会に書いたように「3:19 わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。3:21 勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。」と招きと勝利の約束を忘れない。

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2010年6月 9日 (水)

「家族に乾杯」から「離婚同居」へ

「鶴瓶の家族に乾杯」はよき古き時代の日本の姿を伝える心温まる番組である。老人が大切にされ、同居の家族が皆打ち解け合って日々を送る様子が毎回紹介されている。
一方、最近見始めた「離婚同居」なる番組は自分らしく生きたいと主張する女性とカメラマンのすれ違いの日常を描くドラマである。
別居するだけの資金がない女性が、離婚したにもかかわらず同居しているというおかしな設定になっている。彼女には男性の存在は眼中にないのだが、反対に男性は元妻に気遣いし、イライラしている姿が生活の端々に見え隠れする。
「乾杯」に郷愁を抱きつつ見ていた私も「離婚」の世界を受け止めねばならないことを遅まきながら気づき始めている昨今ではある。
なおどちらもNHKテレビでの話。

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2010年6月 7日 (月)

三台の車椅子

寝室には三台車椅子が入っている。一台は自動車で出かける時に使うもの、次はポストやコンビニに行く時に使う電動車椅子、最後に家の中で一日過ごすのに便利な座り心地のよいものだ。
朝、ベッドから離れるときその日の予定を立て、車椅子を選ぶことにしている。
今朝は7月にある障害を持つキリスト者の全国団体の総会資料を整えてポストに行く予定を立て、電動車椅子を選んだ。
昨日から体の痛みがひどいのでゆっくり起きて、一人で食事をして、整理に取り掛かったのだが、やってみると修正箇所が多く、終わったのは12時近くであった。
昼食が終わると横になりたくなった。そのうちにマッサージの時間も迫る。
ポストは諦めることにした。
こうして電動車椅子に乗った今朝の計画はキャンセルとなった。

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2010年6月 4日 (金)

介護認定の見直し 却下

腕の痛みや日常動作の不自由度の増加があって介護認定を見直してもらおうと申請をだしていた。ヘルパーの利用などは考えていないがせめて電動ベッドを借りられれば腕への負担も減るし、ベッド上での動作も楽になる。
ところが先日、申請を却下します。不服の申立は云々なる通知が役場から届いたのだった。
今時、却下なる文言が使われていることに唖然とした。下々の申立をお上が拒否する、そんな印象である。当事者も日常語として使用しているのだろうが、無神経といえば無神経である。
不服の申立と言われてもなぜ却下されたのか理由が開示されていないのに不服の言いようがない。
一体要介護度1の人は何ができな人なのだろう。
出来るできないはその当人の態度によっても大きく変る。時間を大幅にかけ、痛みをおしてやると「出来る」になるし、その前に諦めれば「できない」となる。
出来ないと言っては世渡りが保障されなかった時代の人間には現代は冷淡だとも言える。

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2010年6月 3日 (木)

「玄関の灯」にエッセイをつけました。

先日見ていただいた「玄関の灯」に小さなエッセイを付けて小生のHPに載せました。
HP造りは試行錯誤でやっているので、ようやく絵をアップできた次第です。
よろしかったら覗いて下さい。

http://homepage3.nifty.com/bridge2/376.html

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2010年6月 2日 (水)

ラッキーな出会い

日本郵便に「エキスパック500」というものがある(あった)。あらかじめ500円で買って、これに送りたいものを入れ、ポストに投函すれば少しかさばるものでも送れるといういわば大きな封筒みたいなものだ。
ただ表の但し書きによると一部のポストには入らないものがあるとのこと。
  
昨日、印刷物を10部、これで送ろうとした家を出た。もしも小学校近くの古さびたポストに入らなかったら郵便局まで行かねばならないかな、それには電動車いすのバッテリーが持つだろうか、そんな心配をしながら走っていた。
 
少し進んで、角を曲がろうとしたら、その方向から赤いバイクがやってきた。郵便局のバイクに違いない。そう判断して、止めて聞くと間違いなかった。
「これ、預かっていただけますか」
そう切り出すと、「わかりました。」「確かにお預かりします。」との快い返事。
一気にすべて解決。爽快な気分になってUターンをした。
  
もう一つ簡単に、今日のこと。
病院から帰り、薬局によって薬を取ってきた。3か月分だから大きな紙パックにいっぱいだ。家に着いても膝の上に乗せて運ぶことができない。夕方、帰宅した家族に頼もうとしていると、ちょうど佐川急便のおじさんが配達に来た。駐車場でサインだけして、荷物を玄関先に置いてもらうことにしたのだが、その際、薬も一緒に運んでください、とお願いしたのだった。
おじさんは、他に運ぶものはないですか、と言いながら二つの包みを持って玄関に走った。

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