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2010年5月

2010年5月31日 (月)

清い朝明けて

今は五時。カーテンが朝の明るさを伝えてくれている。
神様に祈ろう。
爽やかな朝を感謝します。あなたは今日も生きることをお許しになり、この朝をお与えくださいました。こうして祈る時、痛む体が清められ、せせらぎさえ覚えるように感じます。
どうぞ今日一日、あなたの恵みのうちに過ごさせてください。あなたを忘れる時、カインを呼んだように「おまえはどこにいるのか」と声をかけてください。
T兄を支えて、手術の前の一日を安らかに過ごさせてください。
感謝して主の名によって祈ります。アーメン

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2010年5月30日 (日)

カインよ、どこにいるのか

カインは有島武郎の「カインの末裔」で名前を知られた男である。実はカインは旧約聖書の創世記の最初のところに登場する大事な人物だ。
あの禁断の木の実を食べてエデンの園を追放されたアダムとエバ(イブ)の二人の息子の長男がカイン、その弟がアベル。二人は長じて主のもとへ献げ物を持ってくるが主はカインではなく、弟とその献げ物を愛した。そこでカインは弟を殺してしまうのだった。
 
今日の説教はこの話を用いてなされた。アダムのように故郷を追放されたカインは失意のうちに、顔を下に向けて生きねばならないと思う。ところがこのカインに神は「お前はどこにいるのか。」と声をかけてくださる。生きるにふさわしくないと思う人を神は顧み、保護を与えたもうのである。
困難と失意の中で自分の存在さえ否定したくなるとき、神を見失うとき、神は私の名を呼び「○○よ、お前はどこにいるのか」と言い、誰も打つことがないように印を付けてくださる。

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2010年5月27日 (木)

パジャマと絵画

パジャマを買いに行ってきた。Lサイズでないと動けない者には着脱に不便なのでそれを買った。材質は伸縮性のないものがいい。足が不自由だからパジャマをひっぱて位置を変えるのだが、伸縮性のあるものだとパジャマが伸びて足を動かすことができないのである。
自分でパジャマを選ぶのも初体験であった。
  
帰って、絵を完成させた。思うようにはなかなか描けない。ある程度のところで妥協するよりほかない。
ここに紹介申す。Yoru72

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2010年5月26日 (水)

油絵とパソコン

「神様に命丸投げ」友の梅雨
癌病みの友主を信じ梅雨に入る
 
今朝はあたかも梅雨のような空。先日職場の同僚だったUさんからいただいたご自分の著書「罪と罰論」を読み終わってからは読むべき本もない。キ障協総会の準備も一段落。
そこで数日前から絵を描いている。なにせ2年ぶりくらいだから絵具が固まってチューブから出ない。一本一本マッチで口を温めてキャップを外す有様だ。筆洗油も壺のなかでヘドロの状態。

でもなんとか形がついてきた。空が夕闇に沈み、隣の家の玄関に灯がともりそこだけが赤い夜の景を描きたいのだがどこか紙芝居のようで作品にならない。
今日は完成させようと思う。
 
一人の生活だがこうしてパソコンで自己表現をしたり絵を描いたりできることは有難いことである。読んでくださる皆さんに御礼を言いたい。

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2010年5月24日 (月)

雨の通院

昨夜来強い雨が降っていた。今日は肝臓のCT検査の日である。
夕べ床に入って通院ができるかどうか心配が募った。二人の若者は勤めがある。では近くに住む義姉に同道してもらおうか、それとも福祉タクシーを利用するのがよいか。単なる診察だけなら雨の具合によっては日を変えてもらうこともできようが検査はそうはいかないかもしれない。
あれこれ考えているとき、ふっと心が動いた。どうなろうともそんなに大それたことではない。明日になればなるようになる。きっと守られるに違いない。
 
昨夜ほどではないが雨は降っていた。ビニールの合羽を出し、腰から下を切り離した。長いままだと車椅子に乗った状態では着脱できないし、車の運転席に移乗するにも不便だ。
 
病院に着く頃には雨は弱くなっていた。看護師さんの温かな応対によって無事に検査が終わり、昨夜から制限していた水分を温かなお茶を買って補った。
家に帰り、大声で神に感謝の祈りを捧げ、俳壇を眺めてくつろぎの時を持った。
 
五月雨やスロープ上る車椅子
雨の日や病院帰り新茶汲む

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2010年5月22日 (土)

老いと家族

仲代達矢さんが主演した映画「春との旅」が話題になっている。今朝のNHKTVでも仲代さんの老いを迎えた生き方が紹介されていた。もうじき80歳とか。
昨日の朝日夕刊ではこの映画を作った小林政広監督が取り上げられた。

この映画は年老いた妻に先立たれた主人公が行末に不安を感じ、自分の面倒を見てくれる人を親族内に探して旅をする話らしい。その途上で体が不自由になり、重い足を引きずってあちこちと訪ね歩くのだが、皆に拒絶される。
こんな映画が多くのこころを捉えるのはきっとこうしたことが至る所で起こっているということだろう。
 
この監督の言葉が記事の終わりに紹介されている。
「誰とも接しない、人とつながりをとろうとしない若い人たちは、まともな大人になれるのだろうか。熱心に生きることの意味を、忠男(仲代演ずる主人公)の姿に託したかった」(朝日新聞5月21日夕刊)。

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2010年5月20日 (木)

4時の下校

もうじき子どもたちが家の前を通るだろう。今、午後4時である。
小学生が4時過ぎに下校する。なんでこんなに遅い時間に下校するのだろう。
土曜日が休みになって授業日が少なくなり、その上、ゆとり学習とかで教科の指導に充てる時間が減り、子どもたちは平日はめいっぱい学校に残って勉強しなければならないのかもしれない。
来年辺りからゆとり学習が見直され、学習内容も増えるそうだからますます子どもの自由時間は制限されるだろう。
 
子どもの自由時間も気になるが教師の生活も心配である。一体いつ教材研究jをするのだろうか。子どもたちがいなくなってほっと一息つくと、もう勤務時間が終りになるに違いない。これでは教科ごとに研究会をするとか指導事例の検討会などできないに決まっている。
  
教育の世界には子どものためにも先生方のためにももっとゆとりある時間が必要だ。

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2010年5月19日 (水)

5月の俳句

花苗の名はカナばかり直売所              島村洋子

一山を飾る片栗花盛り                        小沼いく   

布団減り自由の増しぬ春の床              渋沢悠歩

通過する線路脇まで花菜咲く              清水ひさい
  
もう一週間も前に催した句会の中の作品。
女性方はよくお出かけになる。その先で体験したことを作品にするので印象強いものができる。
それに比べて私の句は生活の一端を詠んだものが多い。これもやむおをえまい。
清水さんに「重い布団も落ち着くけどね、この句もわかるよ」と言われて共感者のいることの嬉しさを感じた句会ではあった。

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2010年5月17日 (月)

来年の花見

来年の花見約束車椅子
 
昨日礼拝後にMFの会を持った。MFとはメンズフェローシップの意味だと初めて伺った。私が今の教会に来る前、Oさんがアメリカから帰り、名付けたとのこと。日本式に言えば教会によくある「壮年会」である。
私はこの会の世話役をここ2、3年しているのだが壮年男子だけの会などは必要ないと思って女性も交えて会を開いている。
昨日は今年最初の会であったので、今年の進め方を提案した。一言で言えば、信仰をいただいている者が御言葉でどう生かされているか、喜びに与っているかを証する会にしたい、ということだったのだがこれが認められた。
その後皮切りに私の証をした。先日このブログに書いた「支えられる言葉」を紹介したのだった。
するとSさんが自分もこの聖句が好きです、父が亡くなったときにも、そこには神のご意志があるのだと思い、祈り、感謝しなければいけないと教えられたと体験を語ってくださった。
Sさんの率直な感情の吐露に接し、親しさを覚え、会のあとで雑談し、お住まいの近くに桜の綺麗なところがあると教わった。
来年は私が案内しますよ、というSさん。来年という時にまで私の心は伸びていた。

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2010年5月14日 (金)

買い物

晴天だが風には冷たさが残る。群馬県の山間の峠は雪で通行止めだそうだ。
カーディガンを羽織って、朝の用事を済ませてから買い物に出た。昨夜からしっかりと予定を立てての行動だ。
大手スーパーに併設されたゆうちょ銀行のATMにまず入った。視覚障害者ように用意された受話器とキーボードを使うことを覚えたので以前のように失敗することもなく引き出すことができた。
店内に入り、電池と封筒、糊を三種類買う。買い物かごを持つことができないので商品を膝に乗せてレジまで運ぶ。電動車いすは片手で操作できるからもう一歩の手で落ちないように押さえることができて便利である。
買い物で苦手なのが小銭を探すことだ。後ろに何人も並んでいる前で財布の中をかき回さねばならない。これだけは未だ慣れない。
一旦店を出て、今度は信号をわたってコンビニに行く。昼食はここの方がいいものがある。今回は焼きうどんを買った。スーパーで膝の上のカバンが一ぱいになってしまったのでうどんはカバンの上に載せたままで帰った。
まだ、電動車いすのバッテリーは大丈夫そうだ。カバンに入れていったハガキを小学校近くのポストまで出しに行こう。そう決めて、うどんをひとまず家に置いて、もう一走りする。
時計は12時を指す時間になっていた。
生活するということはこんなことなのだ、と自らに言い聞かせて冷たい風の中を低いモーターの音を聞きながら進んで行った。

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2010年5月12日 (水)

荷を背負うとき

Y牧師は旅好きである。今も世界を飛び回っている。昨年暮れに出かけたのだが今頃どこで人々との交わりを楽しんでいることだろう。
そのYさんが引退して間もなく、乳癌になった。そして手術を受けて戻ってきた。もう好きな旅もできないだろうと周囲の者は同情した。
ところがなんとYさんはまた登山や旅行を始めたのだった。手術で弱くなった肩に荷を負うのは大変でしょうと言うと「そんなことはないよ。いつも荷物を背負っているわけではないでしょ。電車に乗っている時は荷物棚に載せているし、バスだって足元に置いとくわ」と平気な顔で応じる。
この言葉は大きな意味を持っている。私など心配事があると寝ても覚めてもそれに囚われているのだが、それは不要であることを教えてくれる。心配事が起こった時にそれを引き受ければいいので、他の時は網棚や床におろして忘れていればいいのである。
夕べ、寝床の中で思い煩っているとき、Y牧師のことをふと思い出したのだった。

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2010年5月11日 (火)

忙しさの恩恵

月曜日は朝日新聞には俳句が載る日なのだがそれすら見ることができない忙しさだった。
関係しているキリスト教団体の機関紙を早急に編集し、印刷所に送らねばならなかったのだ。
前日にいただいた原稿を整理し、メールに添付された写真を印刷し、枠内に収める、これだけなのだが、問題はこれを昨日のうちにやらないと翌日、すなわち今日は雨になってポストに行けない恐れがあったのだ。
6月半ばまでに印刷が終わらないと会計決算ができない。あれやこれやと条件が重なってともかく余裕が全くない中、なんとか仕上げて、電動車いすでポストに行ってこられた。
その後、この団体の総会資料を事務局に送る作業も仕上げて、大相撲の始まる4時には疲労困憊、ベッドで半分眠りながらの観戦となった。
だが、こうして忙しさの中にいるとまとわりつく煩わしさを忘れることができる。一日生きたという実感を持つことができる。これはよいことだ。一人の生活にはこんなことが恩恵にさえ思えてくる。

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2010年5月 7日 (金)

讃美歌にこころ寄せて

K・T兄の葬儀では故人愛唱の讃美歌466番「山路こえて」が歌われ、説教後の讃美では434番「主よ、みもとに」が用いられた。
最近讃美歌がなぜかこころに染みる。以前は歌詞の情緒性の乏しさに失望していたのになぜ変化が起こったのだろう。
「山路こえて ひとりゆけど、主の手にすがれる 身はやすけし」
「みちけわしく ゆくてとおし、こころざすかたに いつか着くらん」
昨日もこれらの歌詞に思わず涙したのだった。
歌詞は
「日もくれなば、石のまくら かりねの夢にも み国しのばん」
と終わる。
 
434番の第五節。
「天翔けゆく つばさを 与えらるる その時 われら歌わん、われら歌わん、『主よ、みもとに近づかん』」
 
信仰こそがこの世の旅路を導く杖、という思いが年々強くなっている自分であるのだろう。

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2010年5月 5日 (水)

天国への旅

K・T兄の前夜式があった。最近は体調の関係で夜の教会行事は欠席することにしているのだが、もう一人の葬祭委員が参加出来ないので私が多少の準備に関わった関係上出席せざるを得なかった。
だが、出席して、主に礼拝を捧げ、大きな恵みをいただいたのだった。
それは、私たちの人生は、アブラハムが主の命ずるままに旅を続け主の祝福に与ったように、天国への旅であることを確認できたからだ。
主に約束された、導かれた旅。その旅を続けるのになんの不安を抱く必要があろう。
死が終わりでなく、日々の苦しみが旅を止めるのでもない。だから希望を持って毎日を生きていこう。

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2010年5月 3日 (月)

私のゴールデンウイーク

同居している長男家族が遠い実家へ里帰りしてしまった。最初の晩こそ独りだったが、翌日には次男夫婦と弟が顔を見せた。その息子と弟は他の親戚を誘って昨日はゴルフを一日楽しんだ。私は教会が終わると帰って、息子の連れ合いと始めての会話を楽しむことが出来た。料理上手の女性で、またいろいろのことによく気づく人だ。教会から帰った私を駐車場に迎え、部屋に帰ると直ぐにお茶を出して、留守の間の様子を話してくれたのだ。
夕食はゴルフ参加者が集まってビールを飲みながらその日の成果を語り合ってにぎやかだったが、テーブルには何種類もの料理が供されていた。
そのうちに三男が娘と合流し、ますます家はにぎわった。
今日は次男の一行が帰ったが三男と買い物にも出た。
明日は長女が来て、食事その他の世話をしてくれることになっている。
ゴールデンウイークに入ってよい日続きだが、私の休みも楽しい日の連続になっている。

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