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2010年4月29日 (木)

支えられる言葉

先日、あるキリスト教障害者団体が解散を前に感謝の集いを持った。私もその一員なのだが体の衰えや所属教会の都合で出席がかなわなかった。
すると集いの席で書いたのだろう、寄せ書きのあるはがきが昨日届いた。そこには16人の懐かしい名前とともに聖句が書かれていた。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5:16~18)。
時宜にかなったよい聖句をいただいたと感謝している。孤独感を強くしている中で、自己の中に篭ってしまいそうな中で、喜ぶこと、祈ること、感謝することを忘れていたことに気付かされたのだった。どんなときにも主にあって喜んでいなさい、祈りを忘れてはなりません、苦しみにも感謝しなさい、それは主が必要としてあなたに与えていることだからです、そう語りかけているような気がしたのだ。
私ははがきを半分に折って胸のポケットにしまった。
ついでに書けば、今朝、ロシア文学者の亀山郁夫さんがNHKの番組で60歳を過ぎて「父を許すことができた」と語っていた。男にとって父はライバルなのである。しかしやがて受け入れる存在でもある。思い出せば、子どもにチンチンがあることを見て、誕生時にライバルが生まれたと感じた私でもあった。
泰然自若、この四字熟語が今心に掲げるべき銘であるかもしれない。

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