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2010年4月18日 (日)

付き添うイエス

ルカによる福音書24:13~
ここは二人の弟子がエマオに向かいながら、イエスが十字架に死に、葬られ、女たちが墓に行くとそこにイエスの遺体はなく、仲間たちも同じ経験したことを暗い顔をして話しあっていたという箇所である。
いや、大事なのはこの二人の弟子の会話ではなく、その二人に、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められたことである。
二人は悲しみのあまり心ふさぎ、顔は暗かった。傍に来た人がイエスだと分かるはずもなかった。
私たちも同様なことをしばしばする。悩みに打ちひしがれるとき、困難に直面するとき、暗い顔になって下を向いて日々を過ごす。
だが、そんな時、イエスは私たちの歩みに自らの歩調を合わせて後を歩いてくださっているのだ。
今日の聖書には、イエスは「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」とある。そして二人と共に泊まるため家に入られ、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになったとき二人の目が開かれたと書かれている。
イエスはこうして悩みある人に同伴し、神の言葉を思い出す人の目を開き、望みを与えてくださるのだ。感謝すべき主。

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