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2010年1月17日 (日)

礼拝祈祷 苦しみの中で

 慈しみ深い天の父なる神様。
 今朝も私たちは恵みを受け、選ばれてこうして礼拝堂に集うことができました。こころからの感謝をお捧げいたします。
 どうぞこれからのひと時私たちと共に居てくださり、礼拝を導いてください。私たちがこころから讃美の声を上げ、共に祈り、み言葉に聞く時を設けてください。

 神様、先日は遠いハイチで大きな地震が起こりました。国が滅びるような危機にあると聞いています。貧しい人たちが絶望の中に置かれています。
 日本でも阪神淡路大震災から十五周年になりますがこの地震で受けた障害に苦しむ人が大勢居ることが報道されています。
 神様、どうして私たちはこのような苦しみに合わねばならないのですか。なぜあなたは悲しみ、重荷をお与えになられるのですか。
 教会の友にも病を得て、入院し、家庭で臥して礼拝に来られない方が多くおられます。教会の友との交わりに参加でない寂しさをなぜ負わねばならなのですか。この中にあって私たちはヨブのように「主は与え、主は奪う。主の御名はほむべきかな」と素直に言うことができません。
 そのように弱い私たちですが、ただ一つ救い主イエスが来られたことを知っています。私たちにはあなたの愛する御一人子、イエスが与えられているのです。
 このイエスは十字架に上げられ、苦しみを自ら味わい、背負われました。絶望、苦しみ、寂しさ、主はみなご存知であることを信じます。
 ですから私たちはイエスに慰めをいただくことができます。自らを重ねて力をいただくことができます。
 どうぞ今朝も豊かにイエスのみ言葉を与えてください。そのために奉仕する飯野先生を聖霊で満たしてください。
 これらの願い、祈りをあなたの御子主イエス・キリストのお名前によってお捧げいたします。 アーメン

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