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2010年1月

2010年1月30日 (土)

主の慰め

孤独に陥ったとき、重荷を負っていると感じたとき、最近は主イエスのみ苦しみを思う。人に理解されないと感じるときも主は私のそれに比べて、いや比較できない極限の苦しみを負ったことを思うのだ。人から捨てられ、死に至るまでのみ苦しみをイエスは孤独のうちに負ったのである。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と十字架の上で叫んだイエス。
この死は私たちを愛するが故の死であった。
だから私はそのイエスを仰ぐとき、主は私のすべてを愛し、知りたもうことを確信する。これぞ主の慰めである。

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2010年1月27日 (水)

車椅子利用者に便利なATMを

 車椅子ではATMが利用しにくくて困る。ATMの液晶画面はもともと真上から見るようにできているらしく、車椅子に乗った目線からでは文字が判然としないのである。

 早く操作しないとやり直しを機械が命じるし、後ろのお客さんのことも気になってあわてることも多く、そうするとカードが無情に吐き出されてくる。

 私が利用する郵貯銀行のATMは大型スーパーの一隅に設置されているのだが、晴れた日などは日光がもろに当たって低い目線からみると文字は消えて、画面は光る湖面のようになってしまい手の打ちようがなくなる。

 近年1人暮らしの者が多くなり自分のことは自分でせざるを得なくなった。それでも出来ないことは他人に手伝ってもらってやるより仕方ないのだが、ATMの操作はそうはいかない。だから是非車椅子でも操作可能なものに変えて欲しいのである。

 例えば、今あるATMにコードを付けて端末機を膝の上で操作できるようにしたらどうだろう。

 早急に関係金融機関に検討を願いたい。

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2010年1月26日 (火)

デイサービスを抜ける

今日は本来ならデイサービスの日なのだが一日家で過ごした。腕の痛みをカバーするためである。

特に左上腕部が痛み、浴槽への出入り、ベッドでの体の移動、あるいは車椅子への移乗などがつらくなってきている。この状態で無理をして使い続けることによってのっぴきならないことになると一人で家で生活することが厳しくなる。その前に痛みを軽減しなければならないと決断したのだ。
デイサービスでは職員が訓練台への移乗にもベルトを持って体を持ち上げてくださったりして援助をしてくれるのだが、それでもやはり手を使わねばならない。これを当面やめたいのだ。

昨日ファックスでこんな事情を伝えたら、今朝管理者がおいでくださり快く承知してくださった。

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2010年1月25日 (月)

おお、神よ

おお、神よ、御身は吾が悩みの奥深く、その深淵まで下り給いて、御手を差し伸べ吾が悩み、苦しみを引き上げ給う。
御身は吾が主、吾が救い主。

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2010年1月24日 (日)

あなたは愛されています

「あなたは愛されていますーヘンリ・ナウエンを生かした言葉」(大塚野百合著)を気が向くと読んでいる。一気に読めないのは信仰者の内奥に入り込む生きた言葉が多く、自己吟味を迫られるからである。
ヘンリ・ナウエンは愛がなくては生きていけない「愛情依存症」に陥っていたことがあるという。大塚さんは「その弱さゆえに、彼は神の愛を心から求め、それについて今まで誰も書いたことがないほどの著作を世にだすことができた」と言っている。
ナウエンが神が彼を愛していることに気づき、愛される者となるプロセスを紹介している箇所を私は何度も読み返しているのだが、その第一のステップ、私たちは神の目には尊い存在である、それ故神に選ばれているということ。これは感謝すべきことだ。
今日の礼拝でも神の選び、愛についてよいメッセージをいただいた。

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2010年1月21日 (木)

梟展示館を開く

 午前中は教会の友がおいでになって地区集会。
 
 午後はブログに梟展示館を開設した。
 佳子ちゃんのお蔭で世界各地の梟が我が家に集まっている。国内で買ったもの、いただいたものもだいぶ多くなった。この機会に一堂に集め皆さんに見ていただくのもいいだろうと思った次第である。
 まだ整理がつかず出身地が明示できないものもあるがどうぞ展示館においでいただきたい。

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2010年1月20日 (水)

「こうりゅう広場」が本になった

Kokorogu2008年8月26日から今年7月22日までの「こうりゅう広場」を本にした。
8月26日は妻の納骨記念礼拝で牧師が紹介した詩「天に一人を増しぬ」を載せ、記事の題は「慰めの詩」としてある。
最終頁の22日には召天一周年記念礼拝で行った私の挨拶「終わりの挨拶」を収めている。
こうして151頁にわたるこの本は妻を送ったのちの一年の生活の総集編のようなものになっってしまった。副題が示すとおり「癌と闘った妻との6ヶ月 その後」を語る文章で満ちているのである。
先ほど手元に届いた本をつらつらと眺めていると一日一日、いろいろな出来事と出合いつつよく生きていると我ながら感心せざるを得ない。
こう書くとなぜか重苦しくなるが決してそんなことはない。だから 表紙も今までと違ってコミカルなものにした。
ブログの副題もそろそろ変えなくてはならないだろう。

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2010年1月19日 (火)

皆一緒だね

Img_0004先日息子が携帯電話のカメラで撮った写真を簡単に印刷できる「おもちゃ」を買ってきた。カメラから赤外線送信するとこの「おもちゃ」はすぐに印刷を始める。面白いことに印刷用紙がこの装置を入ったり出たりして、イエロー、ブルー、レッドが重ねられていき、 仕上がった写真が出てくるのである。
「おもちゃ」と言っても1万3千円もするそうで、私のプリンターよりも高価である。
息子はこれを使って孫たちの写真をたくさん印刷した。そして、妻の写真と聖書、十字架が載っている台の近くの壁に貼りだしたのだ。お蔭で妻の周囲が急に賑やかになり、妻も喜んでいるように見える。

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2010年1月17日 (日)

礼拝祈祷 苦しみの中で

 慈しみ深い天の父なる神様。
 今朝も私たちは恵みを受け、選ばれてこうして礼拝堂に集うことができました。こころからの感謝をお捧げいたします。
 どうぞこれからのひと時私たちと共に居てくださり、礼拝を導いてください。私たちがこころから讃美の声を上げ、共に祈り、み言葉に聞く時を設けてください。

 神様、先日は遠いハイチで大きな地震が起こりました。国が滅びるような危機にあると聞いています。貧しい人たちが絶望の中に置かれています。
 日本でも阪神淡路大震災から十五周年になりますがこの地震で受けた障害に苦しむ人が大勢居ることが報道されています。
 神様、どうして私たちはこのような苦しみに合わねばならないのですか。なぜあなたは悲しみ、重荷をお与えになられるのですか。
 教会の友にも病を得て、入院し、家庭で臥して礼拝に来られない方が多くおられます。教会の友との交わりに参加でない寂しさをなぜ負わねばならなのですか。この中にあって私たちはヨブのように「主は与え、主は奪う。主の御名はほむべきかな」と素直に言うことができません。
 そのように弱い私たちですが、ただ一つ救い主イエスが来られたことを知っています。私たちにはあなたの愛する御一人子、イエスが与えられているのです。
 このイエスは十字架に上げられ、苦しみを自ら味わい、背負われました。絶望、苦しみ、寂しさ、主はみなご存知であることを信じます。
 ですから私たちはイエスに慰めをいただくことができます。自らを重ねて力をいただくことができます。
 どうぞ今朝も豊かにイエスのみ言葉を与えてください。そのために奉仕する飯野先生を聖霊で満たしてください。
 これらの願い、祈りをあなたの御子主イエス・キリストのお名前によってお捧げいたします。 アーメン

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2010年1月16日 (土)

弱さという絆

ハイチで首都壊滅というほどの大地震が起きた。国民の大半が貧しい生活を送っているところにこの災害が襲いなんとも痛ましい。
阪神淡路大震災の15周年が近づいているがその地震で障害を負った人の苦しみはいまだ省みられないという。
こんな大きな災害でなくとも毎日の生活を痛みや苦しみを負って過ごしている者も世の中には大勢いる。
早暁に目覚めて布団の中で真っ暗な天上を眺めながらふと気づいたことはイエスが十字架の苦しみを引き受けたこととこの世の重荷との関連だった。
私たちキリスト者は十字架の上で釘打たれ、槍に肉を引き裂かれたこのイエスを救い主と仰ぎ従っている。そのイエスは私たちの重荷をすべて引き受けるほどの苦しみを体験しておられる。その弱さで私たちはイエスと結ばれるのだろう。
イエスは苦しみを負って死なれただけではなく甦られ死に勝たれた。その主に慰めをいただいて重荷を負いつつ生きよう。

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2010年1月14日 (木)

俳句で豊かな人生を

Photo 定例の句会を催した。食事も豊かにいただいた。楽しきかな吾らが句会。
 
句会が始まるちょうどそのとき本が届いた。「花田春兆編著 鬼が笑う月が泣くーうたの森に谺する詩・短歌・俳句ー」(角川学芸出版発行)である。帯にはこう書かれている。「和やかで、朗らかで、ちょっと哀しい 障害者による短詩文学活動の戦後~現代史を知るうえで羅針盤的役割を果た書。世代を超えて愛踊する名作の数々」
実はこの本には私の俳句が5句収められている。かなり前あるリハビリテーション関係の専門誌に花田さんに依頼されて提出した句である。
昨年秋、同氏が関わったこの雑誌の巻頭文芸、それは詩・短歌・俳句であるが、をまとめるから掲載してよいかと問い合わせが来ていた。もちろんOKを出していたのだが、こんなに早く上梓されるとは予想しなかった。出版されたら句会の仲間に謹呈しようと返事を返す際に注文していたのだが今日の句会にタイミングよく届くとは感激である。
  
つらつらと頁を繰るとT君、M君などの「教え子」の詩もあるし、キリスト教詩人として著名な私の無二の友、大先輩の故島崎光正氏の詩まで見ることができる。
よいつながりに与っている幸いを思う。

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2010年1月11日 (月)

よいしょ、よいしょ!

言うまいと思えど、よいしょ、冬の朝
 
数えたら何度「よいしょ」と言っていることだろう。起き上がるにも「よいしょ」、体の向きを変えるにも「よいしょ」。
ベッドから降りて車椅子に座るときは特に両手に負担が掛かる。そんなときには、悠長に「よいしょ」と言ってはいられない。「よいしょ」と「しょ」にアクセントをつけて乗り移るのだ。
これからの人生、「よいしょ」を友にして、この彼に元気づけられながらやっていくことになるだろう。
そう思うと、言うまい、などと思いつめないで言いたいときには遠慮なく言うことことの方がいいのかもしれない。

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2010年1月 8日 (金)

バリアフリー設計

私の家の浴槽は洗い場と同じ目線の高さにある。立ち上がらなくても入れるように設計してあるのだ。二人で入ったりすると相手のお尻が目の前にあることになるので最初は違和感もあったがこれはやむをえない。
この風呂に入るのに今まではなんら苦労はなかった。縁に手をついてボチャンと入って、長々と体を伸ばし、お湯に体を預けると天国にも上る気分になれたのだった。
ところが最近、上肢の痛み、足の筋力の衰えの故に今までのようにはいかなくなってきた。力が十分に入れられない上肢で縁につかまるとすべってしまう。また、足を一度に下ろせなくなって何度も体をひねって適当な位置を探さねばならない。
そこで安全のためにこのところ、一度浴槽脇のエプロンへお尻を乗せ、座位を安定させてから両下肢を浴槽におろし、縁においた滑り止めのマットの上に手を付いて体を沈めることにしている。
障害を持つ人の風呂は大きなエプロンが必要だということは設計段階から心得ていたが今になってその効用を実感している次第である。

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2010年1月 6日 (水)

鏡に映ったわが姿

最近大型家電量販店が近くにできた。玄関を入るとエレベータが設置してあって車椅子使用の人にも便利である。
昨日、病院の帰りにヘッドフォンタイプのマイクを買いに行った。正月の売り出しで多くの人が出ていたが皆エスカレータを利用するのでエレベータ利用者は私一人しか居なかった。
扉が開きかごの中に入る。すると正面に大きな鏡があって私の全身が映し出された。それは古着を無造作に重ね着した男の姿だった。ボタンが外れたシャツ、その上に羽織ったグレーのジャケット、そしてまた肩から落ちそうな光る素材の防寒着。ズボンも折り目などまったくない作業着。
実は泌尿器科での診察を受けやすいようにと下腹部のエコー検査、尿検査、採血を意識して身なりを整えて行ったのでこんな格好になったのだが、それにしてもこの容姿はほめられたものではなかった。
家で一人居ると、身なりまで非社会的になっていけない、そう反省した出来事であった。

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2010年1月 5日 (火)

俳句近作

残されし時計止まずに年暮れる
チューリッブ妻の写真に添えられし

コーヒを含んで始める冬の朝
天道と共に動くや陽向ぼこ
おてんとう追って身を変え陽向ぼこ
コーヒーの冷めの速さや冬一人
スイセンに優しさを見る一人者

新年ややはりめでたしこの朝
新年や光躍りぬ垣の上
それぞれにそれぞれの息年賀状
ロウバイや花紙のごと朝の庭

ロボットのごとき給仕や嫁の春
妻逝きておせち懐かし新家族

病む友や抜け毛隠して冬帽子
春の陽や会堂の友支えをり

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2010年1月 4日 (月)

新年の挨拶

今年の年賀状を公開。
ネットの皆様もどうぞよろしくお願いします。
Lastscan

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2010年1月 1日 (金)

変化しないと

書斎も寝室もカレンダーは昨年のままだった。私には取り替えられないのでいつかやってもらおうと思ってほっておいたのだ。
今朝、息子がそれに気づいて全部新しいものにしてくれた。
外したカレンダーを折りたたんでいるのを見ながらふとその中に一昨年のものがあることに私は気づいた。去年一年時々眺めては妻の通院の日々を思い出していたものだ。
だが、それは捨てないでとは私は言わなかった。過去から少しずつ離れることを選択しないといけない、そう自分に言い聞かせながら。

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年賀来る 楽しからずや

それぞれにそれぞれの日や年賀状
 
新年、おめでとうございます。今年もどうぞ「こうりゅう広場」でのお交わりをよろしくお願いいたします。
 
年賀状を頂いて、年が明けたことを実感した。月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり、とは芭蕉の奥の細道の冒頭句であるが、昨日までは日々は連続であり、正月もその一日に過ぎないと特別な感慨も湧かなかったのだが、年が改まってみるとやはり新しい年の初めはいいものだと思う。
 
今朝頂いた年賀状にはそれぞれの生活がにじんでいて共感すること多かった。
「教え子」のS君は今年定年を迎えるという。奥さんが咽頭癌で苦しんでいると昨年の賀状にはあったが、今は声帯を取り、失語状態とのこと。でもお二人、元気とはなによりである。
同級だったNさんにはお孫さんがいて、ことばを楽しそうに話し、おばあちゃんとしてメロメロですと書いてきた。
もう一人の同級生O君。「年々出かけることがすくなくなって一年の早いこと」・・・私と同じ車椅子の生活、よく分かる文面だ。
教育実習で受け持ったHさんは高校時代の病気で車椅子生活なのだが、その車椅子を自動車に積み込むのが体力的にきつくなり、今年は筋力アップと体力づくりとケアに配慮する年齢になりました、といつもの丁寧な字で書いてきた。
皆、こうして体の変化に対応しなければならない時にあることを実感する。
そんな中、定年後昼間街を歩くことをはばかっていたY氏はこれからの日は自然を求めてのんびり旅をしたいという。どんなきっかけがあったのか知らないが、Y氏よ、大いに楽しんでくださいとエールを送りたい。
 
こころ豊かにしてくださる多くの友に恵まれて幸いをかみしめている元日である。

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