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2009年12月16日 (水)

聞く者の傍らに

説教者と礼拝参加者との関係を問いたくてインターネットで検索を続けている。

説教者が取り次ぐ福音は会堂にいる一人に出来事となって臨むとよく言われるのだが、それぞれ異なった一人ひとりが求める神の言葉、福音はおのずから異なる。その一人ひとりに着目した神学、聖書論があるのかどうか、そこが知りたいのである。

あれこれ調べているうちに「説教塾」なるものがあることが分かり、そこで加藤常昭牧師の説教に出会った。私の当面の目的とは異なるが氏の説教の中に以下の言葉を見つけたのでここに紹介したい。これは「シュタイガー先生」の言葉の引用した箇所である。

「われわれ説教者は苦しむ者の傍らに立たなければならない。傍らに立って何を言うのか。 それは、『私にもどうしようもない。しかし、あなたはその苦しみを神の前に差し出したらいい。訴えたらいい。神をなじりたかったらば、なじったらいい。それが祈りだ』」。

この言葉は私が今年のキ障協総会で行った証を支えてくださっていると感じた故にありがたいのである。
 参考 http://homepage3.nifty.com/bridge2/369.html

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