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2009年12月

2009年12月30日 (水)

二つの大掃除

デイサービスの帰り、運転手の方が「今日は少し掃除をしたんですよ」と話しかけてきた。デイサービススタッフは忙しいのか今年途中から送り迎えの運転はパートの方に代わっているのだ。
昨日の方は縫製の仕事をしているという。下請けなので季節によって仕事があったりなかったりするらしい。
走りながら話してくれたところによると、迎えの時間までクーラーの掃除をしたとのこと。風が吹き出してくる部品を外し、掃除機で奥まできれいにしたと言っていた。また、仕事場にぶら下がっている蛍光灯は傘の上の埃もぬぐったそうだ。
年末の大掃除をこうして家や仕事場の隅々までやって新年に備えるのだろう。
いつもこの方は私の足元が冷えないようにとご自分のジャンバーをかけて下さるのだが、私の家に着くと、それを受け取って「よいお年を」と言って帰っていった。
今は季節に関係なく日々が過ぎていく感がする。そんな中、この方のように年末はしっかり大掃除をやって一年を終えることができるのは幸せなことだ。
  
帰ってみると畏友H氏から本が贈られてきていた。そしてこんな手紙が添えられていた。
「近年はアドベントからレントにかけての季節は、寒さから身を守るのに一生懸命、というようなあんばいで、年末だから大掃除などということは全くできなくなりました。」
H氏は私よりも年長である。障害をお持ちで、夕方には一眠りしないと体が持たないとおっしゃる。だから電話をかけるにもこの時間帯は避けねばならない。
誠実一途な方だから今までは奥さんと年末には松葉杖をつきながら掃除をして新年を迎えたのだろう。
だが、体の衰えはH氏をして自分の身を守り、生活を維持することに残された力を振り向けさせているのだ。

二つの大掃除の実際に接し、両者に生きる姿の真実味を感じた一日だった。

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2009年12月28日 (月)

文京区にある教会

Lastscan2古い写真が出てきた。場所も時間もまちまちなのだが、保存しておいただけあってどれもそれなりによい写真である。
今日はその中から護国寺裏にある教会、豊島岡教会の写真を載せる。今はもうこんな姿はしていない。これは大正初期の建築である。
私はここで洗礼を受け、7人の牧師に仕え、新しい会堂建築に携わり、牧師の招聘をしながら青年から壮年の時期を送ったのだった。
都会の教会らしく会員は個性的で、また自由な雰囲気の中で信仰を深め合うことが出来た。
Lastscan1 この窓から差し込む光の先で、あるときは午後の集会に備えて近くの蕎麦屋から取った蕎麦をすすり、またあるときは教会の進むべき道を会員たちが長時間議論していた。
この教会を離れてもう12年になるのにいまだ私の元へは週報が届けられている。

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2009年12月27日 (日)

歳末礼拝

今年最後の礼拝に参加。出席者は少なかったが満たされた礼拝だった。
聖書はコレヘトの言葉。「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」という有名な節から始まるところである。
説教の概要を記すことはできないが私が受けた恵みは、私たちは神の大きな時の流れの中に生きており、それ故、いかなることも恐れることはない。いや、時が来れば私たちは流れに浮かぶ種がいずこかの地に流れ着いて芽を出すように主の用いたもう物になる、という大きな信頼と安心であった。
こうして自らを主に預けて年を送ることが出来ることを幸いに思う。
 
信仰とはかけ離れた俗事。有馬記念は一番人気の馬が入線。当たりはしたが賭けた額を大きく下回った。競馬とはこういうものと悟って楽しむほかない。話し相手の妻が居なくなって競馬で遊ぶことが多くなってしまった。

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2009年12月26日 (土)

そば屋にて

低い山が薄くつながっている。昔ふうのそば屋の中は灯油ストーブがちろちろと燃えていた。
何年かぶりに訪ねた店は私の郷愁をさそるかのように変化がなかった。
カツ丼を注文する孫、ビールを求める息子を見ながら私は妻といつも食べていたおろしそばを今日も食べることにした。
私が時どき寄っていたことは店の奥さんも覚えていただろうが何も言わずに彼女は愛嬌をふるまってくれた。
そばの味はあの時と同じで、大根の味がピリリとしていた。

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2009年12月25日 (金)

クリスマスの頂き物

「はい、じいちゃん」と孫が差しだしたものは重かった。孫の一家が夕方出かけて買ってきたものである。
私の欲しいものなど知っているわけもないのになんだろうと思いながらも喜んで受け取って開けてみると、なんとそれはニンテンドーのDSiLLだった。
私が一日一度はDSで遊んでいるので、画面の大きく明るいLLを買ってきたようである。私は孫のようにゲームをするわけではなく、「脳トレ」で気分転換をしているだけである。この中に「細菌撲滅」という遊びがるのだが、結構はまってしまう。疲れているのは分かっていながらやりだすと止められないのだ。
私が包装紙から取り出すが早いかヒカちゃんが横から手を出して、早速初期設定をして遊び始めてしまった。結局その夜は私の楽しむ時間はないままに終わった。
私へのプレゼントとは名目でヒカちゃんの玩具が一つ増えたといってもいいだろう。
だが、ヒカちゃんの留守を見ては私も細菌撲滅で高得点をゲットすべく首の痛さを我慢しながら楽しんでいる。

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2009年12月24日 (木)

ふくろうがやって来た

Img_1361_2 サンタならぬ梟軍団が我が家にやって来た。大挙押し寄せたのでその出身地やら特徴をメモ書きするに午前中は大忙しであった。だが、それは心浮き浮きする、童心に返った時間でもあった。
これらはいつものことだが家内の姪、HYさんが世界中を旅して 買ってきてく れたものである。彼女は海外旅行の添乗員として一年の大半を過ごしている。早く両親と別れて、家内の母と家内に面倒Img_1336_3を見てもらって成長したので二人とも居なくなった今、私の生活をあれこれ気遣ってくれて、旅に出ると必ず何がしか土産を買って来てくれるのである。
今度我が家にやって来た梟たちはカナダ、スペイン、ベトナム、エジプト、フランスがその誕生の地である。エジプトから来たものはツタンカーメンを髣髴させるし、ベトナムのものは南の国特有の雰囲気を持って いる。
もうじき我が家では梟美術館を開けそうだ、と言ったら少し言いすぎだろうか。

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2009年12月23日 (水)

賀状作り

賀状を作っている。形式的なものは性に合わない。そこで今年も今の私を伝え、今年頂いた多くの援助に感謝する文面のものにした。
ただそれだけでは面白味がないので上半分には郵政のホームページから拝借した漫画チックな図柄を配置した。
ここで紹介してもいいのだが、まだ日があるので正月になったら掲載しよう。
 
ヒカちゃんも一緒に作っている。子供の理解力はたいしたものでテンプレートや図柄をドロー・アンド・ドロップしてたちまちに好みに合ったものを作り上げる。印刷方法も一度教えたらすっかりマスターしてしまった。
書斎が子供の工芸教室になってしまっている昨日今日である。

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2009年12月21日 (月)

おてんとうさま

てんとうと一緒に動き日向ぼこ
 
今日も赤城おろしが吹きまくっている。だが、部屋の中はガラス越しに入ってくる陽でほっかりと温かい。
カーテンをいっぱいに開けて冷えやすい足先にお日様の光をいただく。
だが冬の日は動くのが速い。さっきまで光の中にあった足がもう蔭に入っている。
わたしは車椅子をちょっと、ちょっと動かして光の中に居続ける。

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2009年12月20日 (日)

クリスマスの祈り

 慈しみ深い天の父なる神様。
 今朝、私たちを礼拝堂にお招きくださりこころから感謝いたします。あなたに連なる多くの兄弟姉妹、子供たちとこうして一緒に席を並べ、相集ってこれから礼拝にあづかれる幸いを感謝します。
 今日は降誕祭の喜びを共にいただく日です。
 あなたは大切なみどりごを私たちにお与えくださいました。馬小屋という貧しさの中に、孤独の中に、暗い夜の中に弱い形をとって御一人子をお与えくださいました。
 この姿をとって御子をくださったことは私たちをあなたが愛してくださった印です。
 どうぞみどり子を感謝して受け入れる信仰をお与えください。
 そして、みどりごこそわれらの主、と心から告白して受け入れることが出来ますように。
 主が来られ、希望の光がこの世に灯されました。不信と戦争の世に愛の人、平和の君が生まれました。主は私たちの救い主です。
 私たちは私たちに与えられた御一人子、主イエス・キリストに感謝してクリスマスの礼拝をお捧げいたします。
 神様、私たちの兄弟姉妹の中にはこの喜びの礼拝に集えない方々がいます。どうぞそこにあなたが臨み、そのお一人お一人の傍らに立って、御手を伸べてその方々の祈りを聞き上げてください、力と慰めをお与えください。
 最後にあなたのメッセージを取り次ぐ牧師のために祈ります。どうぞ聖なる力をお与えください。
 午後のクリスマス感謝の集いにもあなたの導きがありますように。
 これらの感謝と願いをあなたの御子主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げいたします。 アーメン

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2009年12月17日 (木)

小さなクリスマス

教会の友が集って我が家で小さなクリスマス礼拝を捧げた。
黙祷 挨拶 讃美 交祷 聖書 讃美 メッセージ(クリスマスの意味) 祈り 讃美 派遣の言葉 挨拶
以上の順序で礼拝は進んだのだが、ここでは全員で朗読したメッセージを掲げよう。

「クリスマスは、聖書が伝えてくれたうれしい知らせです。神さまは私たちを深く愛してくださって、ふしぎな仕方で私たちのために、すばらしいことをしてくださいました。

 それは、救い主キリストがえらい学者や強い王さまや英雄としてではなく、ひとりの赤ちゃんとして、暗く寒い夜に貧しい家畜小屋で生まれてくださった、ということです。どんなに小さい子どもでも、悲しみや苦しみの中にある人も、みんなが少しもこわがらないで、喜んで、安心して信じることが出来るためでした。

 クリスマスにあらわされた、このような神さまの心は、イエスさまの言葉とみわざ、十字架の死と復活のおとずれの中で、ますますはっきりしてきます。どんなに暗い気持ちで悲しんでいる人も、さみしい人も、憎み争っている人も、もうだいじょうぶなのです。このキリストが共にいて、明るく暖かく清くしてくださいます。

 クリスマスは、世界に希望と勇気と正義と平和を取り戻してくださるという、神さまからの特別な、確かな約束です。私たちはこんなに愛されていることを知ったのですから、喜び祝い、感謝の礼拝をささげ、また人々にもこのうれしい知らせを宣べ伝えるのです」。
 
今朝の恵みに感謝。アーメン

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2009年12月16日 (水)

聞く者の傍らに

説教者と礼拝参加者との関係を問いたくてインターネットで検索を続けている。

説教者が取り次ぐ福音は会堂にいる一人に出来事となって臨むとよく言われるのだが、それぞれ異なった一人ひとりが求める神の言葉、福音はおのずから異なる。その一人ひとりに着目した神学、聖書論があるのかどうか、そこが知りたいのである。

あれこれ調べているうちに「説教塾」なるものがあることが分かり、そこで加藤常昭牧師の説教に出会った。私の当面の目的とは異なるが氏の説教の中に以下の言葉を見つけたのでここに紹介したい。これは「シュタイガー先生」の言葉の引用した箇所である。

「われわれ説教者は苦しむ者の傍らに立たなければならない。傍らに立って何を言うのか。 それは、『私にもどうしようもない。しかし、あなたはその苦しみを神の前に差し出したらいい。訴えたらいい。神をなじりたかったらば、なじったらいい。それが祈りだ』」。

この言葉は私が今年のキ障協総会で行った証を支えてくださっていると感じた故にありがたいのである。
 参考 http://homepage3.nifty.com/bridge2/369.html

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2009年12月14日 (月)

ヤクルトのおばちゃん

今日は月曜日。ヤクルト配達のおばちゃん(お姉さんといったら少し年をとっているし、お母さんというと仕事の関係が消えてしまう。レディと呼ぶのが社会的には適当なのだろうが、おばちゃんで我慢してもらおう)が来る日だった。
おばちゃんは今朝、「ありがとうメッセージ」というはがき大の青い紙を持って玄関に来た。そこにはボールペンでこう書かれていた。
「いつもヤクルト飲んで頂いている◎○さん!!元気で明るくやさしい対応をありがとうございます。来年もまた宜しくお願い致します」
お客さんに一枚一枚書くのは大変だったろうが、それよりもやさしく私が接していることをありがとうといってくださることにこちらも心を動かされたメッセーではあった。

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2009年12月12日 (土)

主に仕えて

賛美歌に「今日も送りぬ、主に仕えて」と歌い出す曲がある。
1日を終わるに当たって今日あった様々のことを思う。それは多くの力を必要とするもので決して楽ではなかったが主に仕えてということにはこれも含まれているのだろう。

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ウンチ物語

おじいちゃんはウンチがしたくてたまらなかった。三日もウンチが出ないのでお腹が張って仕方なかったからだ。
新聞を読んでいるとウンチが出るような気配がしてきた。これはいいぞ、そう思っておじいちゃんはトイレへ急いだ。そして落っこちないように気をつけながら車椅子から便器に乗り移った。
だが、出そうだったウンチがなかなか顔を出してくれない。お尻のおくには大勢のウンチ軍団が勢ぞろいしていることははっきりしている。だが彼らも用心してそう簡単には城門から出ようとはしないのだ。
おじいちゃんはウンチ軍団を懐柔すべく城門の周囲を圧迫したり、放水したりしてみた。
だが効果はない。おじいちゃんは長期戦を覚悟した。寒い戦場で風邪を引いたら困ると思いながらお尻を出したまま便器に座り続けた。
そのときである。ウンチ軍団に変化が出てきたようだった。どこの世界でも頑固者だけでなく相手の気持ちを捉えて自分を変える者たちがいるものだ。少数者だが軍団の統制を破って行動を始めたようにおじいちゃんは感じた。屈強な統制の取れた群れをぬって数人が城門に近づきつつあるようだ。
チャンス!そう感じたおじいちゃんはお尻に力を入れ、その裏切り者を迎え入れようと踏ん張った。
だがその群れは多勢に押さえつけられてしまった。
おじいちゃんはいつかウンチ軍団がおじいちゃんの苦しみを理解してくれるだろうと願いながらまた車椅子に乗ってトイレを出て行った。

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2009年12月10日 (木)

夜間中学

昨夜のNHK教育テレビで夜間中学で学ぶ人たちの姿を見た。この学校は認可されておらずボランティアが支えているものだった。
学ぶ人たちは多様だが、その中には戦後の貧しさのために学校教育を受けられなかった朝鮮半島出身の人、東南アジアから来た人などがいた。
その人たちは皆、学校というところで勉強することを至上の喜びとしていた。ノートに文字を書くという、ただそれだけのことが大きな喜びなのである。その喜びはまたお手伝いをするボランティアの喜びでもあった。
以前知的障害を持つ人の日常生活を見たことがあるが、ある男性は電話帳から女性の名前を拾ってはノートをいっぱいに埋めていた。
本来人は人が長い歴史の中で作り出してきた文化にこよなく憧れるものなのだ。だから文字を書く、文字を読むということは実利的な面を差し引いても喜びになるのである。
私が関わった子供の中にも文字や単文を書くと、「先生、いい?」「これでいい?」と出来具合を確認した子がいた。「いいよ」と認めると、「先生、うれしい?」とまた尋ねる。「うれしいよ、よくできたね」そう言って顔を見合わせて二人は喜んだのだった。
どの学校も学ぶことを楽しむところ、喜びを共有するところとなったらどんなにかいいだろう。

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2009年12月 8日 (火)

エコキュート

風呂が壊れたので思いきってエコキュートを設置することにした。
問題は費用である。まだまだ高額である。
見積もり書を見て息子がもらした。「これだけ掛けても風呂場は今までと同じなんだよね」
その通りだ。世の中には大きな犠牲を払っても表面は何もなかったようにに見えることがたくさんあるものだ。

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2009年12月 5日 (土)

思い出の「ばんどうの湯」へ

「ばんどうの湯」は渋川市北橘にある日帰り温泉である。群馬大学病院に通院しているころ、診察が終わると午後からよく妻と行ったものだ。湯船から眼下を流れる利根川が見え、その先に前橋の市外が望める。入り口からは遠く谷川の雪山も眺望できるのだ。
烏の行水とも言える入浴法の妻は私よりずっと早く上がって廊下で汗を拭き吹き待つことが多かった。
食堂もあるからそこでは地元の蕎麦を食べるのが常であった。
こんな思い出のある湯に今日は息子と行った。妻が病気になってから行っていないから2年振りである。
実は数日前から風呂釜が壊れて家では入浴できないのである。他の家族は近所の友人宅へ行ったり、テニススクールでシャワーを浴びたりしてしのいでいるのだが私はタオルで体を拭いてよしとしている。
そんな私を見かねてか、息子が温泉に行こうといってくれた。
そして二人で温泉につかり、懐かしい食堂であのときの食事を頂いて帰ってきたのである。
景色の一こま一こま、建物の隅々に妻との思い出を再現させながら今日の温泉行きは過ぎていった。

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2009年12月 4日 (金)

出さなかった手紙

夜は感情が素直に出る。手紙も夜書いたものは素直である。それだけに翌日になって読み返すと投函することをためらう。
癌で入院しているTZさんに書いた手紙もその一つだった。
 
「TZさん、その後如何ですか。
今日は三ヶ月ぶりで祈りの会に出ました。そして先生とSYさんと三人でTZさんが癒されるようにと祈りました。付き添われている奥様を支えてくださいと祈りました。
 友病みて容態知れず寒雀
先日私が作った句です。貴兄がどうなっているのだろうと心から心配しています。
妻の病気に長い間関わってきた私は治療について、病む人の生活についてもそれなりにいろいろ考え、また知っていることもあります。
こんな私でよかったらどうぞ悩んでおられることや治療のことの知識を使ってください。
今思うと、病を治すことが妻の生活を取り戻すことだと疑わず、そのことに夢中でした。「治療」が身心を弱めていたという気もします。(これは今だから言えることで、最善のことをしたという思いには変わりありません)
全人的な対応は医師にとっても難しいことかもしれませんが、TZさんがあのやさしいTZさんのままで治療がすすむことを祈っています。
勇気をもって進んでください。」
  
私は何でも近くの人に打ち明ける性質であるから「詳しいことは話すな」と奥さんに命じているTZさんの様子が気になって仕方ないのだが、人によってはこうして秘めていることが自分に素直な人もいるのだろうと思うと、手紙は出さないほうがいいのか知らんと判断した次第である。

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2009年12月 3日 (木)

「障害を乗り越える」という発想

Photo 気になるテレビ番組を見た。
昨日の朝、NHKで片手を欠くボクシング選手の活躍の様子を伝えているときのことだ。沖縄の高校でボクシング部に生まれつき上肢欠損の生徒が他の生徒に負けないほどの力をつけて懸命に汗を流していた。

だが大会出場選手の発表のとき、その選手の名前は呼ばれなかった。監督はその生徒に、指が二本以上ない者は選手登録できない規則があるからだめだったと伝えた。選手の危険を考えてのことだという。このルールを変えるように努力するとも言っていた。

生徒は黙って監督の言葉に従い、出場する選手の活躍の様子を見詰めていた。

私が気になったのはこのニュースを報じるNHKの姿勢だった。「障害を乗り越えてがんばる生徒」とコメントしていたのだ。「障害」はその人の一部で、それと共に生きていくものではなくて、まだ「乗り越える」、超えていくものという思想が未だこの世にあることを示す結果になっていた。最近「障害」を「障がい」と表記したり、障害を持つ人を「チャレンジッド」などと言ったりするが、「障害」そのものをどう捉えるか、ここがまだおろそかになっていると思わざるを得なかった。

この少年が今後好きなボクシングを続けていくことを願う。「危険だから出場資格を与えない」ということは今まで障害を持つ人の進路に立ちふさがった常套句である。私が応用科学を学ぼうとしたときも大学が入学を断るときにも使ったし、障害を持つ学生が寄宿舎に入ろうとしたときもかつてはこの理由が大手を振るっていた。

やがて監督の言うように高校生のボクシング選手登録の規則も変えられるだろう。

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2009年12月 2日 (水)

冬の日

冬の日やリンゴ一つを丸かじり

しばらくぶりに祈りの会に出た。先週出席者の欄に女性1と週報に書かれていたので先生だけでなく出席者がいたことに勇気を与えられ出かけたのだ。
冬の日が窓から差し込むところに席を占めて、アドベントの祈りを捧げ、聖書に聞き、共に祈り、よいときを過ごした。
帰って昼食。冷凍庫から取り出したものをレンジに掛けおいしくいただく。カーテンをいっぱいに開け、冬の日をいっぱいに浴びながらの食事だった。
その後、リンゴを探し出し、包丁でむいた。白い肌がみずみずしい。そのまま丸かじりにした。
朝読めなかった新聞をゆっくり読んで、今2時。
満ち足りた思いである。

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