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2009年7月 3日 (金)

経験の違いだけか?

今年度、教会献金の月定額を下げてしまった。それでも収入額の一割に達している。
従来の額を思うと妻はよく昨年度まで月定だけでなく特別献金などをあれほど捧げていたと感心する。
これは教会献金に限ったことではない。日常の出費もかなり思い切っていたようだ。妻が亡くなって3つのメモが出てきたのだが(それは家計にまったく疎い私宛にいつの日か準備していたものらしいのだが)、一年間の必須支出金額が書かれていた。それによると2人の年金額でやっと賄えるほどの額だ。
よくこれで勇気を持って家計をまかなってきたものだと感心する。
四人の子どもを育て、学費をそろえ、結婚資金をそれぞれに準備し、私の小遣いも月収の一割程度を割いて生活してきたその経験が彼女を支えてきたのだろうが、それだけでもないだろう。
彼女には根性があったのだ。小さいときから貧しさの中でアルバイトをしたり、結婚してからもビラ配り、スーパーでの裏方仕事などなんでもやった強さがあったのだ。
私の家は築12年を過ぎる。屋根や壁の塗り替えが必要な時になった。これをいつするか、なかなか決心がつかない。妻なら残るわずかな財を気にするよりも必要度を優先し、「やったら」と言うだろう。

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