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2009年7月

2009年7月31日 (金)

女の買い物

教会の友、この方も既に定年を迎えている人だが、と「女の人は買い物が長いんだよね」とかつて話し合ったことがある。ちょっとした買い物でもいったん店に入るとなかなか出てこないことをお互い愚痴ったのだった。
家内が健在の時、大きな買い物や、多量の買い物があると、「ちょっと行って」、とよく頼まれたものだ。初めのうちは何度かわたしも店内に入ったが歩くのが大変になってからは車の中で待つことが多くなった。そうすると20分、30分待たされることが頻発するようになってきた。あまり出てこないので、店内で具合が悪くなったのではないかとか帰ってしまったのではないかとまで思うことさえあった。
家内はそんな私の心境など気遣うこともなく平気な顔で戻ってくる。夏には店内で汲んだ冷水を紙コップに入れて持ってきてくれた。だが、待たされた者の気持ちはそんなことでは収まらない。不満の1つも言いたくなるのだが、不機嫌な顔をしても気付く人ではないから車を急発進してうっぷんばらしをしたものだ。
その家内もいなくなった。今になって思うに、あの何もしないで車の中で横のなっていた時間がわたしの生活にゆとりを持たせていたようである。あんなに不機嫌にならずにのんびりと待ってやればよかったと後悔する。

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2009年7月28日 (火)

しばらくぶりの更新

「こころの便り」をしばらくぶりに更新した。妻の遺品の中から出てきた宝の紹介Taku3 の三段目である。今回は長男を帝王切開で出産した時の私の日記を紹介する。
http://homepage3.nifty.com/bridge2/367.html

ここに紹介する油絵も挿入したいのだが何度試みてもうまくいかない。

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2009年7月27日 (月)

もう11時

月曜の朝は忙しい。11時30分になってようやくパソコンに向かえるという始末である。
洗面と食事を終えると9時を過ぎる。ヤクルトのおばちゃんが来るまではトイレにも入れない。
それが済んでから昼ごはんを買いにコンビニに行った。今朝はサンドイッチだったので御飯物がほしくてカルビ焼きとかを買った。なぜかコンビニのドアは扉式で自分では開けにくい。今朝はちょうど出てくる人がいたのでよかった。車椅子がぎりぎり通れる幅だが電動車椅子の操作にも慣れたので問題ない。
道を渡ってカインズホームに行く。財布とレインコートを買った。財布は婦人物しかなかったが婦人物のほうが小銭の出し入れがやりやすいので少し分厚いがこれでよい。
そして郵貯のATMで引き出しをして帰る。
日が差したり黒雲が現れたりの空だったが無事朝の課題を完遂。
これから新聞を読みながら昼食にしよう。
ヒカちゃんがサンタクロースの存在を信じていることを書きたかったのだがそれはまた後日。

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2009年7月24日 (金)

共働きと子供たち

夏休みになって孫たちが日中家にいるようになった。そうすると子どもたちの生活がよく見える。
彼らは朝からテレビ漬けになっている。今は便利な録画装置があるから見たいものをDVDに残しておいて何回でも見ている。お陰で私の楽しみだった大リーグ中継はお預けである。
彼女らの一日で最も気になるのが昼食だ。親は何の準備もしていかない。適当に食べててと言ってたよ、と孫はすまし顔である。インスタントラーメンやパンなどをあさって食べるのだろうが、こんなことは昔は考えられなかったことだ。
夜の間に準備をしておけばいいものだと私などは考えるのだが、夜は親たちも遊びの時間が欲しいらしい。
ここで思い出すのが職場で一緒だった女性教師のことだ。彼女たちも勤務が終わってから仲間の教師たちと体育館でバレーボールに興じていたものである。家では子供が待っていたのかどうかは知らない。だが、その方たちの子どもさん方は皆立派に成長している。
働いて個性を生かすのも、また家庭の経済をやりくりするのも一人一人の自由である。家庭の食事や家事にウエイトをどれほど置くかもその人の判断による。
戦前生まれのものにとっては今風の生き様が気になって仕方ない、同じ生き方をしてきた妻がいなくなって食事に楽しみがなくなった、そんな老人の心境を書いてみたかったまでである。

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2009年7月22日 (水)

終わりの挨拶

 今日はいろいろとご予定がある中、また遠方よりおいでくださいましてありがとうございました。

 1年前のことを思いますと、今日は悲しみだけでなく喜びを感じながらこの日を迎えられたことを感謝しています。

 ですが、今佳子さんの話を聞いてまた胸がつまるのを禁じえません。

 妻が召されたのは7月5日午後10時25分でありましたが、私は今年は7月5日は神戸には行っておりました。私が代表をしている全国組織の会がそこで総会を持つということで、2年間妻の病気のために会長不在で総会をやっていただいたので今年は望まれて出席していたのでした。そこでも集まった皆さんが妻のために祈りを合わせてくださり嬉しく思っておりました。

 こうしてある種の喜びを持ってこの日を迎えられたのはこの1年皆様のおささえがあってのことと感謝申しあげます。従来にも増して体の衰えを感じるこの頃でありますし、またそれだけに神様をより近くに感じていた1年でありましたが、教会の皆さんが私が玄関に着きますと出てきて下さって車椅子を押して教会に導いてくださり、今まででしたら妻がテーブルに出すお茶を今では皆さんにお出しいただいたりし、本当に教会の皆様に多くの面で支えられたのであります。

 それだけでなくここにお集まりの皆様方にはそれぞれの場でお世話になり心から感謝申しあげます。

 振り返って見ますと、妻が召されてまだ1年でありますが、先ほど思い出を話してくださった佳子さんの話のとおり和子には70年のこの世での人生がございます。私と出会うまでは早稲田で大事な時を両親、兄弟姉妹と過ごし、そこで成長した大切なひとりの女性が許しをいただいて、私と結婚し、その後は常盤台での生活、豊島岡教会の交わり、それからこの埼玉の生活と、70年間過ごしてきたわけであります。

 今、和子は天上の生活へとその場を替えましたが、私はこれからもまだ皆様との交わりのなかで、神様の恵みをいただき過ごしてまいりたいと願っております。どうぞこれからもよろしくお願いを申しあげます。

 今日は一周年のこの時を共に持たせていただきましたことを心からお礼申しあげます。ありがとうございました。

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2009年7月20日 (月)

今月の俳句

旅支度一人笑みつつ解きにけり
夏の朝にぎにぎをして始めけり
炎天下花を手向ける妻の墓
満月の見え隠れして信州路
百通のメール溜まって夏の旅
コマクサや妻の思い出秘めてをり
夏休み宿題の星探しをり
献花台カーネーション満ち妻眠る

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2009年7月18日 (土)

DVDに見る記念式

Photo  朝まだ早い町の通りには車の往来も少ない。映像はその通りの反対側からシルエット状の教会堂を映し、やがて入り口前にそびえる鐘楼を枠に収めていた。

 2009年7月11日(土)、この日はガンで召された妻の1周年祈念礼拝が神に献げられる日であった。教会の皆さんがさまざまな役割を分担してくださり、会場はすっかり整えられていた。ただ、牧師が司式をし、説教を行う講壇の前に置かれ白い布で覆われた小さなテーブルの上は空であった。

 カメラは教会堂の外の映像からしばしの時を隔ててこのテーブルに焦点を当てていた。
 ワイシャツ姿の長男が額に入った妻の三様の写真と妻の闘病記を綴った2冊の本の配置を迷っているようであった。どのように並べることが母への思いを最もよく表す方法であるのか、その方法探していたのであろう。

 11時、開式。カメラは固定されて正面の牧師のいる講壇をとらえた。前後して高い天井からは降り注ぐように豊かな鐘の音がしばし鳴りつづけていた。
 こうして約50分間の式の様子をカメラはそこに登場する人物や賛美の声を追い続けてくれたのだった。
 説教では牧師は伝道者パウロの生きざまとその死を語った。「パウロは神様によって用いられ伝道に生きたが、やがて時が来てそのいのちを終えるとき『もう、あなたはじゅうぶんに自分の道を走り通した。あなたの人生はこれでよい』と神様によって肯定されました。パウロはこう記しています。『しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。』(使徒言行録20章24)
 『100万回生きた猫』と言う絵本があります。主人公のねこは100万回生き、そして100万回死にましたが悲しいとは思いませんでした。だが、最後に野良ねこになったとき、白い美しいねこに出会い、好きになって、白いねこが多くの子ねこを生んで死んだときに初めて悲しみを知りました。」
 牧師はパウロと絵本をとおして、たった1回生きることの貴さを語り、いのちを惜しむことなく生きたパウロを証し、妻もそうして神様に生かされ、召されたと告げたのだった。
 カメラは語る牧師をクローズアップし、その前景の講壇脇の百合の花を確実にフレームに収めていた。

 礼拝の中ではときどき賛美歌を歌う。わたしは牧師の直前で子どもや孫達と共に席を占めていたから、そしてその後にも親類縁者が多く、教会に馴染みのない者の賛美の声は乏しかった。ところが、カメラがあった位置は会堂の後方で、そこには教会員が多く、しかもいつもの聖日礼拝において賛美歌をろうろうと歌うS兄がカメラ近くにおられたらしく、ビデオ映像は賛美が高らかに、声量豊かに大波が打ち寄せるごとくに満ちる様を収めて余りなかった。
 この日の礼拝に用いる賛美歌は信仰に導かれ、神の国に憩う妻を偲ぶ曲をわたしは選んだのだったが、それは神の見えざる演出と歌い手とカメラ位置の設定という効果によってじゅうぶんに目的を果たされていた。
 カメラは当初の固定式からやがて俯瞰する位置に高められ、列席者一人一人をなめまわす動きまで取り入れていた。そこにはそれぞれに齢を重ねた妻とわたしの縁者、教会の方々が列席している様を捉えていた。どの人物の影も天にある妻に親しさと優しさ、尊敬を寄せているように私には見えた。

 式が終わって参列者一同は教会墓地に出た。そして一輪ずつレモンイエローやピンクのカーネーションを妻の眠る墓に献じた。カメラはこの一連の流れも丁寧に追って下さっていた。
 そして、最後の献花者の動きが消えると、レンズは教会堂の屋根越しに見える鐘楼の先端の鐘をズームアップし、やがて静かにフェイドアウトした。

 この映像を残してくださったH兄にこの記事を書いて感謝の意を伝えたい。

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2009年7月16日 (木)

二つの讃美歌

 召天一周年の記念式の打ち合わせをしているとき「和子さんの愛唱讃美歌を2つ選んでください」と牧師から言われた。納骨式のときもそうだったのだが私は困ってしまった。生前妻から愛唱歌を聞いていなかったのである。

 そこで私は妻の讃美歌を開いてみた。たくさんのしおりが挟んであった。礼拝や他の機会に賛美したときに入れたのだろう。

 それらを見ているうちに私は、一曲は信仰の旅路を感謝するもの、もう一曲は天にある幸いを歌っているものを選ぶことを思いついた。愛唱讃美歌というより信仰の旅路を感謝し、今在る天の国に憧れる思いを歌うのが適切だと感じたのだ。その結果「讃美歌21」から461番と579番を選んだ。461番にはこんな歌詞がある。
 1節 みめぐみゆたけき 主の手にひかれて、/この世の旅路を あゆむぞうれしき。
 
そうだ。妻は主の手に導かれ、この世を喜びのうちに歩んだのだ。
 
2節 さびしき野べにも、にぎわう里にも/主ともにいまして われをぞみちびく。
 
幾多の悲しみ、泣きたくなるような日にも決して妻は泣かなかったが、主はそんな日も導かれた。
 
4節 なすべきわざ終え、みもとに行く/み助け頼みて、ヨルダンを渡らん
 
70年の為すべき業を終えて御許に召された妻は神さまの力をいただいて天に帰ったことだろう。

 
そして。
 
579番
 
2節 うつくしの都、エルサレムは/今こそくだりで われに来つれ。/主ともに在せば つきぬきちは/きよき河のごと 湧きてながる。
 
3節 うるわし慕わし とわのみ国、/うららに恵みの 日かげさせば、/生命の木の実は みのり繁く、/もはや死の影も なやみもなし。
 
もちろんこれはこの世にあって天に焦がれる信仰を歌ったものであろうが、しかし今妻はこの国にあることは疑う余地がない。「うららに恵みの日かげ」が射し、「もはや死の影もなやみもな」い国。

 この二つの讃美歌は妻に贈るにふさわしい歌であった。

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2009年7月14日 (火)

佳子ちゃん

09071416img_10184年前妻に会ったとき彼女は小さな子どもを連れていた。まだ妻の腰丈よりも小さく、どこか遠慮がちな女の子であった。妻はあまり化粧もしない地味な人だったから、そして妻自身私よりも自分が年長であると結婚を話題にするまで思っていた ぐらいだから、私はその子は妻の子供かと想像した。
やがてその子は妻の長兄の子供で、兄は既に亡くなっていることが分かった。私に会うとき連れていたのは母親もいなくなったこの子の遊び相手になっていたのかも知れなかった。妻の母が親代わりになって育てているとき、妻も一緒にこの子の世話をしたに違いなかった。
09071416img_1028妻と結婚して彼女の実家をたびたび訪れると、その小さかった子もいつの間にか小学生から高校生へ、そして大学生へと成長していった。
  
この子が佳子ちゃんである。現在では大学教授の妻となり、また海外生活が長かった経歴を使って海外旅行の添乗員として忙しい日を送っている。
私は先日の妻の召天一周年記念礼拝に彼女が都合がつくというので礼拝の最後に妻の思い出を語って欲しいと頼んだ。佳子ちゃんは最初は昔のシーンが思い出されて泣き出すだろうからいやだと断っていたのだが、最後には私の頼みを受け入れたくれよい話をしてくれた。箇条書きにすれば以下のようになる。
  
若いときの叔母は質素だったこと、だが、時折少しの化粧が美し女性にしたこと、叔父さん(私)と結婚して子供たちを連れて日曜日には必ず教会の帰りに家に寄ったこと、おばあちゃん(妻の母)が「そろそろ来るころだね」と待っていたこと、子育てに追われて恰好をかまわない叔母だったこと、そして誰隔てなく接していたこと、叔母はそんな美しさを持っていたこと
 
帰り際、私を外国旅行に連れて行きたいと言っていたよと息子から聞いた。外国に行く度にお土産をもらうのを楽しみにしている私を実際に海外に連れ出したいのだろう。今日紹介する二つの梟も佳子ちゃんのお土産(エジプト、スペイン)である。

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2009年7月13日 (月)

記念礼拝の記録

090712_164001_2
土曜日の記念礼拝の記録をHさんがDVDに収めてくださった。今日は病院が予定されていたのだが疲れがひどく家で過ごし、記録を見せてもらった。
今この更新は横になって携帯電話からなので詳しく書くことはできない。
いずれその素晴らしさを文章化したと思う。

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2009年7月12日 (日)

除草されていた墓地

神戸に出かける前、、牧師と記念式の式次第を打ち合わせた。私は礼拝が終わったら墓地に出て妻の眠る納骨堂の上にある墓碑に献花をしたいと希望を伝えた。集まる親族は墓にお参りすることを望むだろうし、何らかの行為で妻に語り掛けたいと思うだろうとの理解からだった。
牧師は献花は信仰の形としてはあまりふさわしくないとおっしゃったが否定することなく認めた。
このことを神戸に行く道で運転の労をとっている別のS牧師に伝えると、献花は香を神に捧げていると理解すればいいとおっしゃった。イエスが葬られたとき女性たちが香油を持って墓を訪れたし、十字架に向かう前にも女たちは惜しげもなく高価な香油をイエスの足に振り掛けたからた。
さて、昨日教会に行ってみると私が神戸に出かける前にはひざ上までも伸びて墓地を緑に染めて風に揺れていた草がすっかりなくなり、乾いた土が明るい光の下で光っていた。
教会の兄弟姉妹がいつの間にか除草してくださったに違いなかった。
礼拝が終わって外に出、いつも礼拝堂に花を用意している姉妹が準備してくださったレモンイエローとピンクの小花を全員で心を込めて妻の墓に献げた。牧師も墓の後ろに立ってみんなの様子を穏やかに見つめていた。

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召天一周年記念礼拝

昨日土曜日、午前11時から妻が信仰生活を送った本庄教会で記念礼拝が行われた。
幸い天気もよく、恵みいっぱいの礼拝となった。
私の兄弟姉妹、すでに亡くなっている者はその子供が参加し、私の子どもは連れ合いを含め孫たち全員が集った。妻の兄弟には病気欠席の者が二人いたが、それでも既に亡き、妻の最も愛する長兄の2人の娘も参加した。
ここに礼拝で受けた感動を記したいのだが、今、旅の疲れ、記念式が終わった安堵感からくる疲れがピークになっていてそれができない。
受け止めきれない恵みの豊かさを明日から少しずつ記していこう。

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2009年7月10日 (金)

ラジオ深夜便

お母ちゃん ラジオ深夜便が始まったよ。いつも聞いていた好きな番組だったね。アナウンサーの個性まで覚えていて、僕が寝てしまっても一人で2時や3時の歌番組も聞いていたろう。
天国にはこんな番組はないだろうから今はどうしているのかな。
11時30分になったからもう寝るよ。明日は天に行ったことを記念して礼拝を捧げる日だからね。
お休み。

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2009年7月 9日 (木)

ノムさん大好き

今朝のインターネット上のスポーツ欄にはノムさんこと野村克也監督の温かな人柄を偲ばせる写真が載っている。著作権の侵害になるだろうからここにコピーできないのが残念であるが、多くの人に見て欲しい光景だ。
これは、楽天とロッテの試合が、8日、Kスタ宮城球場で行われたとき、筋委縮性側索硬化症の女性が始球式を行った、その写真である。
ノムさんが背中を丸めて女性の投じる球を捕ろうとしているものや田中投手が車イスを介助して女性を支えている前で女性が顔を上げ、笑顔のノムさんが握手する姿を撮ったものだ。記事によると球は転がってノムさんのミットに届いたという。
車イスの普通の女性をこうして球場の真ん中に連れ出したノムさんはなかなかな者だし、こうしたことが実現したこと自体いい話だと思う。

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2009年7月 8日 (水)

ハンディキャップの語源

Suwako_hukurou 長い旅の道中、博識のS牧師は道々見える山や川、沿道の町についてお話しくださった。濃尾平野から岐阜へ、やがて関が原を過ぎ、京へと続く道は歴史上の数々の人物を生んだのだった。景色が変わるたびに聞く逸話は長いたびをまったく飽きさせなかった。
そんな話の間にハンディキャップの語源の話が挟まった。ハンディキャップとは文字通り手(ハンド)にキャップを付ける、すなわち手袋をはめることなのだそうだ。闘いの劇においてのことなのかどうかは聞き忘れたが、力の弱い相手と対等な立場になるために強いものが手袋をはめて相手に負わせる痛手を軽くすのだという。
ゴルフで強いものが幾つかのハンディをつけてまだ力のないものと試合をするのと同じやり方である。
こうしてみるとハンディキャップは負の要素ではなく、思いやりの手法なのだった。

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2009年7月 6日 (月)

99匹の羊

総会第1日。開会礼拝の牧師が迷い出た1匹の羊の話をされた。その羊がもう一度99匹の群れで生きるにはその大きな群れが以前の姿とは変わることが必要ですとおっしゃった。
弱い者が生きるにはその人を思いやるよりも大勢の側が変わらねばならないのだ。

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木陰の礼拝

昨日家を発ったのは午前7時。談合坂サービスエリアに8時過ぎに着いた。朝食を取って木陰へ。
3人で賛美歌を歌って聖書を読んだ。桜井牧師のメッセージをいただいた後手を取り合って主の祈りを祈って礼拝をおしまいにした。夏の風が爽やかに過ぎていった。

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2009年7月 5日 (日)

妻の召されたとき

今、神戸[幸せの村]にいる。明日からの全国キリスト教障害者団体総会に参加するためだ。先ほど10時25分、妻の召され時間、同室の牧師さんと共に祈りを捧げた。かつて一緒に来たこの場所、そのことを思うとつらいがこうしてここにいることを天の妻も喜んでいるだろう。

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2009年7月 3日 (金)

経験の違いだけか?

今年度、教会献金の月定額を下げてしまった。それでも収入額の一割に達している。
従来の額を思うと妻はよく昨年度まで月定だけでなく特別献金などをあれほど捧げていたと感心する。
これは教会献金に限ったことではない。日常の出費もかなり思い切っていたようだ。妻が亡くなって3つのメモが出てきたのだが(それは家計にまったく疎い私宛にいつの日か準備していたものらしいのだが)、一年間の必須支出金額が書かれていた。それによると2人の年金額でやっと賄えるほどの額だ。
よくこれで勇気を持って家計をまかなってきたものだと感心する。
四人の子どもを育て、学費をそろえ、結婚資金をそれぞれに準備し、私の小遣いも月収の一割程度を割いて生活してきたその経験が彼女を支えてきたのだろうが、それだけでもないだろう。
彼女には根性があったのだ。小さいときから貧しさの中でアルバイトをしたり、結婚してからもビラ配り、スーパーでの裏方仕事などなんでもやった強さがあったのだ。
私の家は築12年を過ぎる。屋根や壁の塗り替えが必要な時になった。これをいつするか、なかなか決心がつかない。妻なら残るわずかな財を気にするよりも必要度を優先し、「やったら」と言うだろう。

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2009年7月 1日 (水)

仕事着の女性

090701_172901 昼をだいぶ過ぎてもパソコンに向かっていると俳句仲間のSさんが訪ねてきた。仕事中らしく作業服を着ている。そしてさかんに謙遜しながら蕗と筍を煮た箱をくださった。その上紫陽花を何本か置いていかれた。
私はパソコンをやめ早速お昼の用意にかかった。
紫陽花を持ち来る人や仕事中

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7月の俳句

野薊の咲いて孤独の君がいる

ワイシャツの寸法知らず生きて来し

馬の眼の濡れて大きい夏の牧

水と餌食取って生き抜け夏の犬

幾度も目覚める夏夜忌の近し

小さき娘に後光のような夏帽子

夏帽子縁に捨てられ父母眠る

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