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2009年6月21日 (日)

神と闘う

創世記のなかにあるヤコブの話。彼は逃亡先から生まれ故郷に帰る時渡しで何者かと闘うはめになった。それは神だったのだが。
組つほぐれつしているしているうちに彼の腿の関節が外れてしまったという。今の私のようだ。それほど彼は真剣に相手に向き合ったのだった。
彼はそこで祝福を受ける。神は真剣に向き合って闘うものを祝したのである。それ以後彼は神の民、イスラエルとなって大きな神の歴史にかかわることになる。
 
私はこのメッセージを聞いているうちにヨブのことを思い出していた。すると牧師は図らずもヨブに触れた。ヨブは信仰厚い人であったが神によって幾多の耐え難い試練を受けたのだった。財産を奪われ、息子、娘は死ぬ。それでも彼はヨブ記の序章では「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と言って神に従順であった。
だが、重なる苦しみの襲来についに彼は「わたしの生まれた日は消えうせよ。・・・その日は闇となれ。」(3-4節)と神を呪ったのである。
  
ここで覚えなければならないことがある。ヤコブもヨブも神に真っ直ぐに対峙した、己と深いかかわりのある相手として向き合ったことだ。説教では神に対する絶望、呪い、恨み、これらは神と向き合うとき賛美の言葉と変わると告げられた。
 
これらの人を神は祝福する。祝福はその人に道を備える。
 
人は祝福によって歩み始め、やがて神と格闘し、また道を備えられて道を行く。妻を召された私の道もそうである。

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