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2009年6月 1日 (月)

主が造られたわたしの体

詩篇139篇にはこう謳われている。
13 あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。
15 秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。
 
この詩を紹介されたのは土曜日の朝テレビ埼玉で放送される「ハーヴェストタイム」においてである。先週の土曜日、ゲストとして招かれたのは結合胎児を宿したキリスト者の夫婦であった。エコーで二人の胎児が結合していることを知った医師はこの夫婦に中絶を勧めたという。だが、牧師の家に生まれ育ったこの女性は命は神様が造られるものという信仰の基、産むことを決心する。
番組には他の病院で生まれた二人のかわいらしい双子の姉妹が登場した。誕生してから切り離し手術を受け、元気に育った姿がそこにはあった。
  
障害を持っている胎児はこの世で生きるかどうかをその出生前に問われるという不合理な問題に直面させられる。だがその困難を通って生まれた者は誕生の喜びを謳いあげる存在となる。わたしたちが編集した「喜びのいのち」にはその証が満ちている。
二分脊椎症で誕生した島崎光正氏が「この世に誕生をみたことを後悔するつもりは少しもありません。それほど神様から母の陣痛を通して授かったいのちの尊厳性は、尊いものと考えられます」と言って綴った詩をもう一度吟味したい。
 自主決定にあらずして
 たまわった
 いのちの泉の重さを
 みんな湛えている

 

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