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2009年6月

2009年6月29日 (月)

ワイシャツの寸法

ワイシャツの寸法知らず生きて来し
 
妻の召天1年の記念日が近づいてきた。その前には神戸でのキ障協総会に出なくてはならない。
さて、ワイシャツはどれを着ようかと手にとって見ると襟がみな汚れている。洗濯をしてもらっているのだがもうだめらしい。
こうなったら買ってこようかと思ったが首回り、袖丈、胸回りがいくつのものを買ったらいいのか分からない。着ているものを見ても古いせいか文字は読み取れなかった。
店で店員に計ってもらうより他なさそうだ。

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2009年6月28日 (日)

礼拝司会者の祈り

恵みに富みたもう父なる神様。
 新しい朝が明け、罪を清められこうしてあなたの招きの下、私たちは今朝も教会に集ってまいりました。どうぞあなたの子供として父なる神様の前に素直な気持ちになってひざまずくことができますように。小さな子供のように無心にあなたを仰ぎ見て、あなたのみ声を求める心をお与えください。
 
神様、この一週間のお守りと導きを感謝します。私たちは過ぐる週の礼拝で大きな励ましと、祝福を受けてそれぞれの持ち場に出かけて行きました。
 
しかし、信仰薄い私たちは人とのトラブルに会い、体の苦しみを感じるとき、心がくじけ、希望を失いそうになりました。でもあなたはその呟きや悲しみをあなたに訴え、あなたにその意味を問うことを許し、これにお応えになることを私たちは礼拝を通して知らされました。あなたに真剣に向かい合う者を祝福してくださることも教えられました。それに支えられて私たちは過ぐる日々を生き、こうしてまたここに集うことができたことを心から感謝します。
 
どうぞこれから捧げる礼拝においてもあなたなしでは生きられない私たちに希望と励ましのメッセージをお与えください。私たちがあなたの方に心と体を向けなおして上から与えられる恵みの御言葉を聞くことができますように。
 そのことのために用いられる飯野先生を聖霊で満たし、口を滑らかにし、祝してください。
 本日ここに集うことができない兄弟姉妹方にも豊かに恵みをお与え下さい。特に病床の友が顧みられ、力と希望を受けることができますように。
 
これらの感謝と願い、私たちの父なるイエス・キリストのお名前によって御前に献げます。 アーメン

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2009年6月27日 (土)

「じいちゃんは長い」

最近ヒカちゃんのことを書くチャンスが少なくなった。4年生になって以前のように個性的な言動が減ってきたので取り上げるものがないのかもしれない。学校というところは年齢が長ずるにつれて個性を薄めてしまう機関なのだ。
もう1つの理由はヒカちゃんが外で、友人と遊ぶ機会が増え私の周辺から遠ざかってしまったことによる。このことが主要な原因かもしれない。
そんなヒカちゃんが最近私によく言う言葉に「じいちゃんは長い」というのがある。私に質問すると説明が長くていやだと言うのである。私としては答えの前提になることから説明しないと分からないだろうと思って話すのだがヒカちゃんは結果だけを求めているらしいのだ。
これが世間の風潮なのだろう。お姉ちゃんはもうさっぱり話しかけてくれなくなったからヒカちゃんに「長い」と言われてもそう言ってもらえるだけありがたいとしなければならない。

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2009年6月25日 (木)

郵便局でのこと

食事を終え、新聞を読み、トイレを済ませるともう10時。その後、入院したという義弟にお舞を送るために短いメッセージを書き、現金書留の封筒にいれた。
今日はもう一つすることがある。今月の医療費、介護保険の公費助成申請をすることだ。
戸締りをしてまず役場に向かう。役場の障害者用駐車場は三台分あるがいつも空いている。車イスを自動装置で降ろし、窓口に向かう。担当のケアマネさんがいて申請書を笑顔で受け取ってくれた。
次、隣市の郵便局に行く。家の近くの電動車椅子で行く郵便局は自動車の駐車場が狭く、しかも裏手にあるので利用できないからである。
5、6台入る駐車場は満車だった。車いす用の場所までも使われていてだめだ。しばらく待ったが空きそうもないので市内を一周する。しばらくして戻ってみると車いす用のところが空いていた。直ぐ車を入れたのだが、右の車との間に車椅子を降ろすスペースがない。辛抱して待ったが隣の車は動きそうにもない。
そのとき別の場所に車を入れた女性が脇を通った。私は中の局員を呼んでくれるように頼んだ。もうそれしか手がなかったのだ。幸いにも直ぐに局員が来てくれた。こうしてなんとか午前中に為すべきことは無事終了した。
帰り道、ドライブスルーの店でカレー丼を買ってきた。

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2009年6月24日 (水)

英語文献を読む

熱中できることを持つことは生きる上で必要なことだ。先日私の髪の毛を切ってくださった80歳を過ぎる教会の友も未だ元気で過ごせるのはパソコンの新しい機能が新聞などで紹介されるとそれを取り入れたくなるからだろうとおっしゃっていた。兄はインスツールしようとしてもうまくいかないときには諦めることなくパソコンを抱えて私の家にやってくる。
私も最近手持ち無沙汰な時がある。読書、絵画、エッセイ、どれにも興味が湧かない。そんな時、よい趣味を見つけたのが、英語の論文の翻訳である。
その文献とはアメリカ・ナショナルリハビリテーション病院のホームページに掲載されているポスト・ポリオに関するものだ。ポリオに罹った者が後に疲労や筋肉の痛み、冷えなどに悩まされるその症候群をかなり詳細に論じている。私も一人になってからこれらの症状がひどくなっている。
そういう意味でこの論文は興味深いし、英語を訳すなどという高校や大学時代と同じ作業をするのもなんとも楽しい。幸い今はインターネットで医学専門用語も簡単に調べられるから、それなどを駆使して毎日少しずつ翻訳を進めている。

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2009年6月22日 (月)

旅の準備

Matumoto 来月5日から神戸に行かねばならない。妻の病気で2年間欠席した障害を持つキリスト者の全国協議会総会に参加するためだ。
その代表をしている関係で加盟団体に送る案内状や総会の議題について関係の方々と4月から準備をしてきたので会に参加する公の準備はほぼ整った。
今までならもうこれで当日電車に乗って行けばよかった。身の回りの持ち物は妻が全部用意してくれたからだ。だが、今年はそうは行かない。今朝はその準備でもう昼になってしまった。
私は用心深いほうだから「旅行持ち物」のチェックリストを作ってある。カメラ、筆記用具、地図、大会要綱などと20項目ほどが入ったリストだ。
だが、気づくと、これでは旅行はできないのだった。パンツ、シャツ、洗面用具、ワイシャツ等々たくさんのリストを追加せねばならないのである。
先ほどまで、これらをベッドの周りから探し出し、紙袋に入れて書斎の隅にひとまず置いた。
さて、これを何に入れていこう。
  
ついでながら、クローゼットの中をかき回していたら小豆色をしたリュックサックが出たきた。3年前松本市の総会に行ったとき妻が2人の荷物を詰めて背負って行ってくれたものだ。ふとこみ上げるものがあったが、まだ十分に使えるこのリュックも今年の教会バザーに出品してしまおう。

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2009年6月21日 (日)

神と闘う

創世記のなかにあるヤコブの話。彼は逃亡先から生まれ故郷に帰る時渡しで何者かと闘うはめになった。それは神だったのだが。
組つほぐれつしているしているうちに彼の腿の関節が外れてしまったという。今の私のようだ。それほど彼は真剣に相手に向き合ったのだった。
彼はそこで祝福を受ける。神は真剣に向き合って闘うものを祝したのである。それ以後彼は神の民、イスラエルとなって大きな神の歴史にかかわることになる。
 
私はこのメッセージを聞いているうちにヨブのことを思い出していた。すると牧師は図らずもヨブに触れた。ヨブは信仰厚い人であったが神によって幾多の耐え難い試練を受けたのだった。財産を奪われ、息子、娘は死ぬ。それでも彼はヨブ記の序章では「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と言って神に従順であった。
だが、重なる苦しみの襲来についに彼は「わたしの生まれた日は消えうせよ。・・・その日は闇となれ。」(3-4節)と神を呪ったのである。
  
ここで覚えなければならないことがある。ヤコブもヨブも神に真っ直ぐに対峙した、己と深いかかわりのある相手として向き合ったことだ。説教では神に対する絶望、呪い、恨み、これらは神と向き合うとき賛美の言葉と変わると告げられた。
 
これらの人を神は祝福する。祝福はその人に道を備える。
 
人は祝福によって歩み始め、やがて神と格闘し、また道を備えられて道を行く。妻を召された私の道もそうである。

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2009年6月17日 (水)

祈りの会に出る

何週ぶりだろう。祈りの会に出てきた。
予報と違っていい天気になった。昨日から教会行きを決めていたのだがそれを後押しするような日である。
実は昨夜も股関節の痛みで三度ほど目が覚めた。その都度足や腰の位置を代えてみたのだがあまり効果はなかった。
今までならこれにめげて外出は取りやめるところだ。だが、今の困難よりも外に向けて何か行動を起す、これを大事にしようと決めたのだ。
Oさんに倣って、自分の力に頼らず、「神様はできる」と信じ、必要なことを行ってその信仰を現すことにした。
  
昨夜は松本市に住む婦人から妻の召天記念の日が近いですね。どんなにか大変な日々でしたことでしょう。お悲しみの日が続かれたことでしょう。遠くから神さまのお慰めが豊かにありますようお祈り致しております。と葉書をいただいた。
こうして皆に支えられているのに一人、自分の内側ばかり見詰め、弱さに固着してばかりいるわけにはいかない。

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2009年6月15日 (月)

神にはできる

時々ここで紹介する友Oさんからメールをいただいた。具体的な活動に積極的に関っている友のメールは豊かで、踊っていた。
Oさんは高校を出た頃からリュウマチに罹り、長い年月天井を見詰めるだけの毎日を過ごした。その苦しみから抜け出すために自らの命を絶つにも、クスリを買うことも縄をかもいにかけることもできなかったとかつてある手記に書いていた。
体の症状が固定してから上京し国立身体障害者更正指導所に入所したが自立につながる道は拓けず、再びお母さんの待つ北上に帰ったのだった。上京前に与えられていた主を信じる信仰を大切に胸に抱いて。
それからもう40年以上の時が過ぎているだろう。彼は今北上市で欠くことのできない人となっている。
今日のメールによると今年度も北上市の障がい者団体のトップに選任され責任を感じているが、「私がやらないで、誰がやる!」という意気込みで当事者仲間の代表として頑張っているそうだ。
また、7月30日には「夏の雲は忘れない」という、女優、高田敏江さんなどによる朗読劇公演の実行委員長にもなったという。
ご自分の体に多くの制限を与えられているOさんがどうしてこんなに活動ができるのだろう。彼にとってはその答えは明快である。聖書の「人にはできないが、神にはできる」という言葉に支えを見出しているからである。
今度のメールの最後にも「神様は成功させてくれると信じています。」とあった。
同じ主をわたしも信じている。どうぞ私にも力をください。

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2009年6月14日 (日)

花の日、子どもの日礼拝

講壇の足元に色とりどりの花が用意されて礼拝が始まった。今朝は子供との合同礼拝なのだが子供は後席に両親と共に参加していた二人だけだ。
主の祈り、交読文はいつもと違って平易な表現のものが使われた。賛美歌も子供に馴染みのある曲が選ばれた。
説教になると子供達は退室し、大人だけの礼拝になった。牧師は子供を受け入れるように神を受け入れることが信仰であるとメッセージを発した。
礼拝の終わりには献金を捧げる。この頃また子どもたちが帰ってきたようだ。今日の献金の祈りは私の役だった。私は子どもを含め皆で共に神様を賛美し、御言葉に聞くことができたことを感謝し、この一週間神様を賛美し、祝福を受けながら日を送れますようにと祈った。また、今日皆さんが持参したお花が届けられる施設の方々も守られて過ごせますようにとも神に願った。
老若男女、様々な生活の中から招かれた者が神を賛美し、神の祝福に与り、メッセージを受けた心休まるよい礼拝であった。

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2009年6月12日 (金)

紫陽花の輝き

昨日は雨。CT検査の日だったので前日から雨を心配していたのだが予報どおり朝から雨だった。多少濡れても一人で出かけるか、姉に頼んで一緒に行ってもらうかためらっていると、ママが乗せて行ってくれるという。
お陰で無事検査を終えることができた。
今週は火曜日にも病院に行った。泌尿器科の受診のためである。そこではエコー検査で残尿があると診断され、今飲んでいる薬を一時中断して様子を見るよう指示された。
どうも最近はよい話がない。体の疲れもなぜか日々感じている。
そんな中、庭に紫陽花が色鮮やかに咲き出した。先日触れた墨田の花火は清楚な白なのだが、額紫陽花は赤紫の大輪を、ちょうど京の都の劇場で多くの舞妓が扇子を一斉に開いているかのように並べている。
梅雨という陰鬱なくうきが支配する空間に庭の紫陽花は光を保っているように見える。きっと毎日の生活にも、あるいは人生にも紫陽花のようなものが存在するのだろう。それに気づくかどうかが生き様を決定するのかもしれない。

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2009年6月 9日 (火)

I’m here with you.

病院から疲れて帰ってきてTVをつけたらNHKが「みんなの歌」を放映していた。淡い色の地球が映り、多くの動物や宇宙らしきものが浮かんで、平和な世界を造りだしていた。
歌詞を聞き取ろうとしたがうまくできなかった。NHKのHPによると「イツモ イッショニイルヨ」という地球からのメッセージが歌われているのだそうだ。
でも私にとってはこの歌の題はそれとは違った意味で関心があった。
アイ アム ヒア 私がここにいるよ、と言えることは素晴らしいことだ。現代では「私」を失っている人がどんなに多いことだろう。仕事に、人間関係に疲れ、傷つき、私が見えなくなっている。どんな時にも「私」を確保することはまず第一用件である。
次に「ヒア」「ここ」と認識できることも大切である。どこか他所にではなく、未来でもなく、過去でもなく今生きている「ここ」に「私」がいる。(ついでながら、私のこのブログで写真を収めてある箇所は「here」という場所である)
そして、ここにいる私が一人ぼっちでなく’with you’あなたと一緒にいる。そうだ。人は「あなた」といて一人の人なのだ。
今日は病院に一人で行ったが、どうも検査結果がgoodではなかった。帰り道、昼の弁当を買い疲れた体でそれを食べた時にこの歌に接したのだが、それだけにこのタイトルは見に沁みたのだった。

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2009年6月 6日 (土)

墨田の花火

Hana_4庭の隅に「墨田の花火」が花をいっぱいに開いている。これは何年か前次男のAが妻に何かの折に贈ってきたものだ。そのときは鉢植えで小さな背丈だったが、妻が庭に移し大事に育てたのでこうして大きくなったのだった。
Aは少年期に特有な反抗的態度を行動で大胆に示した子だった。だが、妻はそれを受け止め彼を世話し続けた。そんなことがあったのでこの花を格別に大事にしたのだろう。
先ほど庭から少し切ってきてもらって妻の写真の前にそれを供えた。そして携帯カメラで写真を撮り、Aにこんな文をつけて送ってあげた。涙をこらえながら。
「墨田の花火が咲いたよ。お母ちゃんはこの花を大事にしていてこれが咲くといつもAのことを話していたのを思い出すよ」。

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句会を流す

今月の句会は小生の体調今ひとつ芳しくなく流会とす。
されば今月の句をここに留めん。
 

郭公の今朝も鳴きけり通院日

麦畑ゴッホの色に染まりけり

万緑や消防士の声響いてる

葱坊主坊主のごとく黙しけり

つつじ折り空を仰いで蜜吸いぬ

蜜吸いしつつじの花や少年期

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2009年6月 4日 (木)

一日の作業

①パジャマの洗濯。洗濯機の中に入ったままの衣類を取り出し、パジャマを入れる。車椅子では洗濯機の底までは手が届かない。フックの付いた棒を使って取り出した。必要時間が最低になるように設定し、スイッチを入れる。
②リュウマチ患者の生活と最近の治療法をNHKTVで見る。北上市で生活するリュウマチ後遺症で苦しんだ友の生活を偲びながら。
③全国キリスト教障害者団体協議会の今年度活動報告書を作成、印刷してポストに投函。電動車椅子で小学校の近くまで行く。時にはこうして外出が必要。
④その足でファミリーマートへ行き、昼食をget。450円なり。
⑤キ障協の役員に総会に必要な資料をfaxで送る。
⑥洗濯物が乾く。洗濯機から取り出した家族の洗濯物を許に戻す。
⑦地方競馬を楽しむ。データ乏しく的中困難。
⑧在京時に所属した教会へ手紙を書く。この教会を去って12年。いまだ週報が届く。
これで夕暮れとなる。一日の作業の終り。

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2009年6月 2日 (火)

麻酔からの帰還

「○○さん、手術終わりましたよ。目を開けてください。」「手術、終わりました。分かりますか。」右の耳からやさしい女性の声が聞こえる。
手術室に入って、丸いライトが密集する照明の下に位置して寝かされたのは覚えているがその後のことは空白であった。どれほどの時が経過したか分からない。
声は濃霧の中、そこだけが明るく開けているところから発せられていた。
「目を開けてみてください。」
私はなんとか声の主に応えようとするのだが、どうしたら目を開けられるのか分からなかった。声も出せなかった。
霧の世界はやがて鍾乳洞のなかにある石筍が幾何学模様になって床から立ち上がっている広大な部屋に変わっていった。そしてまた他の空間にも。残念ながらその模様は覚えていない。
やがて声が出て、手足が運動感覚と取り戻したのは何分後だったろうか。
麻酔からの帰還はこんな具合であった。
後に麻酔科の医師に聞くと、最初に機能を取り戻すのが聴覚なのだそうだ。
  
全身麻酔は他にもいたずらをした。ベッドに帰って眠る時、目を閉じるとたちまちに今置かれている世界とは異なる光景が現れた。幻視の世界と言ってもいい。その中の私がなにやらこちらにいる私に手渡そうとしていた。それは目を開けると中断するのだが。
膀胱が正常に機能しないことも麻酔の影響らしかった。
術前にいただいた麻酔に関する説明書にはこんなことは書かれていないことなのだが。

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2009年6月 1日 (月)

主が造られたわたしの体

詩篇139篇にはこう謳われている。
13 あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。
15 秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。
 
この詩を紹介されたのは土曜日の朝テレビ埼玉で放送される「ハーヴェストタイム」においてである。先週の土曜日、ゲストとして招かれたのは結合胎児を宿したキリスト者の夫婦であった。エコーで二人の胎児が結合していることを知った医師はこの夫婦に中絶を勧めたという。だが、牧師の家に生まれ育ったこの女性は命は神様が造られるものという信仰の基、産むことを決心する。
番組には他の病院で生まれた二人のかわいらしい双子の姉妹が登場した。誕生してから切り離し手術を受け、元気に育った姿がそこにはあった。
  
障害を持っている胎児はこの世で生きるかどうかをその出生前に問われるという不合理な問題に直面させられる。だがその困難を通って生まれた者は誕生の喜びを謳いあげる存在となる。わたしたちが編集した「喜びのいのち」にはその証が満ちている。
二分脊椎症で誕生した島崎光正氏が「この世に誕生をみたことを後悔するつもりは少しもありません。それほど神様から母の陣痛を通して授かったいのちの尊厳性は、尊いものと考えられます」と言って綴った詩をもう一度吟味したい。
 自主決定にあらずして
 たまわった
 いのちの泉の重さを
 みんな湛えている

 

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