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2009年5月

2009年5月31日 (日)

専門士としての看護師

入院するとまず看護師の聞き取り作業がある。患者についての情報を得、看護に万全を期すためだろう。
今回も同様だった。その席で私は以前入院した際、不安が襲ったとき看護師に少しでも傍らにいて欲しかったが看護師は眠りを誘う注射で処理してしまったと告げた。
聞き取りにかかわった彼女は2、30代であろう。このN・Mさんが私の担当看護師になった。思うに、彼女は専門家として、過不足なく看護をしてくれたのだ。
1つ例を挙げる。手術が終わった夜、尿が出にくくなった。膀胱を漏れてくる尿が、染み出るように常時排出されるといった様子だった。尿瓶を当てても直ぐにまた尿意を感じる有様だった。
気が付くと腹部が大きく腫れていた。看護師は導尿しましょうかと言った。もう恥ずかさなどを問題にする場合ではなかった。
彼女はカテーテルを持ってきて、挿入した。その際予期せぬことが起こったのだが、彼女は無表情に当然のごとく処理を進めた。多少の痛みを感じたがカテーテルは体内にもぐりこんでいったらしかった。「おしっこが出てきました。いっぱい出ています」。平静に彼女は言った。
しばらくして見せてくれた尿瓶には入り口までも尿が一杯になっていた。私の衣類を整えた看護師は尿瓶を持って「何かあったらいつでも呼んでください」と言ってカーテンを閉めて去っていった。

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2009年5月30日 (土)

入院生活の疲れ

まだ疲れが抜けないがようやくパソコンに向かう気力が出てきた。
車イスで入院生活をするにはやはり付加された重荷が掛かるものだ。点滴を今回は初日、手術日の全時間、退院日と受けたのだが、そのチューブが付いていると動きが制限される。枕頭台の上のテレビリモコンさえとるのに苦労する。
最も困ったのが排尿のことだ。手術を終わって動きが制限されベッド上に釘付けにされると意識もあいまいである上に尿瓶をとる動作もおぼつかない。以前入院した経験からベッドを汚してもいいようにシーツの下に防水用のシートを敷いてもらったがT字帯は濡れてしまっていた。
看護師はいつでも呼んでくださいというが、あわただしく駆け回っている姿を見るとそう簡単には声かけできない。お茶を入れて枕許に用意してもらった吸い口を仰臥位を保ちながら取り上げた時かなりの量を胸許にこぼす始末だった。
子どもたちにも勤めがあり私に付きっ切りになることはできない。だから1人でなんとか入院生活に対応したのだが、これは疲れとなって帰ってきた。
手術部位はまだ腫れが引かない。この様子はまた後日。

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2009年5月26日 (火)

入院という不安定さ

午後入院する。そけいヘルニアの手術のためだ。
子供も忙しい。昨日はヒカちゃんの歯科の治療で日高市の方まで出かけた。今日また私のために午後休暇をとる。
妻がいないので細かなことまで頼むわけにはいかないからあれこれ自分で整えた。それでも何か忘れていないかと心配である。
二泊三日の入院なのだがやはり心は不安定な状態になっている。

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2009年5月24日 (日)

主の励まし

旧約聖書に民数記という巻がある。これはもともとは「荒野にて」という題だったそうだ。イスラエルの民が40年間荒野をさまよった記録という意味だろう。なぜエジプトからイスラエルへのあれだけの距離に40年もかかったかといえばそれはイスラエルの民の不信仰の結果だった。
さて今日の説教で示されたことは信仰に生きることの恵み、励ましであった。イスラエルの民はカナンに入る前にカナンにどんな民が住んでいるか、その民の力はどれほど強力かを知るために偵察隊を送り込む。
その結果はカナンの国は強力でとても進入していくことは出来ないというものだった。こんなことをするならエジプトに留まったほうがよっぽどよかった、とも不平を言った。その中で、ヨシュアとカレブだけは見てきた土地はすばらしい、「もし、われわれが主の御心に適うなら、主はわれわれをあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるだろう」と民衆に訴えた。
これは二人の信仰の表明であった。必ずカナンに導くと約束する神への信頼であった。
確かにカナンの先住民は強力だった。だが主に信頼するとき道が開けるのだ。
私たちの前にも苦難、艱難が待ち構えているように見える。だが主が導いてくださることを信じるとき、そこに新しい世界が拓かれるのだ。

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2009年5月23日 (土)

愛の結実

「先日、彼女の日記などが納まっている棚を整理していたら、もうすっかり忘れていた結婚以前の手紙が出てきた。妻が私に宛てたものだ。結婚後のある日、こんなのもらったねと見せたら彼女が読んでしまいこんでおいたに違いない。お陰で今になって貴重なものに接することができた。これを第一の宝物としよう。」
こんな具合で結婚に至るまで、婚約式、長男誕生の喜びを「こころの便り」にUPしました。
続きは http://homepage3.nifty.com/bridge2/365.html
でご覧ください。

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2009年5月21日 (木)

スタンディングチェアー

スタンディングチェアーを使って風呂から出た自分の体を車イスに乗せた。なかなか使い勝手のいい器具である。
股関節の脱臼で松葉杖で床から立ち上がれなくなってしまったばかりでなく、歩くことも困難になった。その結果車椅子の生活に変わってしまったのである。
困るのが風呂から出て車イスに乗る動作がかなり難しくなったことだ。風呂の椅子と脚立を利用してなんとかこれをこなしていたのだが危険もあった。
そこで取り入れたのがスタンディングチェアーの利用である。これは簡単に言えば座椅子の座面が電動で上下する器具である。
介護保険を利用してこれをレンタルすることが許可されて今日から使えるようになったのだ。
肘掛の先端のスイッチ操作で座面がゆっくり上下する。車イスの座面と同じ高さにしてこれに乗り移って床への移乗をする。
暑くなって日常生活動作だけでも疲れる毎日だが、この器具で1つ動作が楽になるだろう。

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2009年5月19日 (火)

一本の絵筆

ヒカちゃんが絵を描くと言い出した。半紙代の大きさの絵である。ママの会社が募集しているポスターに応募して2000円をもらうんだと意気込んでいる。
下絵を描いて、「ジーちゃん筆貸して」と言ってきた。いつもは無断で書斎から持ち出していくのにどうしたのかと聞くと、ない、とのこと。
なるほど、ない。数本あったはずなのにまったくない。
ヒカちゃんはしかたなく女性がお化粧する時に使う細い筆のようなもので色を塗り始めた。ここまでは数日前のことである。
 
昨日になって棚の上を見ると一本の絵筆があるのが目に付いた。「ヒカちゃん、一本だけ買ってきたの?」と私。「うん」。「買うなら細筆、中くらいの筆、太筆などそろえて買えばいいのに」。「いいの。これで描けるんだから」
そう言ってヒカちゃんは暗闇の中に自転車がライトをつけて走る様子をどんな色を使ったらいいかママに相談しながら塗っていた。
絵筆を一本買って与える母親もそれでいいと思っているのだろう。絵を趣味とする私の感覚とは違う、それぞれその人のやり方があるものだと合点して私はヒカちゃんの作業を見詰めていた。

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2009年5月17日 (日)

礼拝司会者の祈り

天におられる父なる神様。
 新しい朝が明け、罪を清められこうしてあなたの招きの下、私たちは教会に集ってまいりました。どうぞあなたの子供として父なる神様の前に素直な気持ちになってひざまずくことができますように。小さな子供のように無心にあなたを仰ぎ見てあなたのみ声を求める心をお与えください。

神様、あなたは一人一人を捕らえてくださり、こうしてここにあなたの家をお作りになっておられています。ここは神様のみ心が働き、神様が御支配しておられます。

どうぞそのことを私たちが堅く信じるこころをお与えください。ここに集う者を励まし、あなたにある1つの群として力と勇気をお与えください。病で教会の集会に集えない者、歳を重ねて日常の動作に不安を覚える者、共に生きる者を失い1人で生活を送っている者、ノルマを与えられ孤独の中で仕事をしている者、その人たちが皆、いつもあなたにある1つの家の兄弟姉妹であることを信じ、勇気を持って毎日の生活を送ることができますように信仰を強めてください。そのことのために、一人一人が共に励ましあい、助け合って主に養われる1つの群れになることができるようあなたの聖霊を送ってください。

これからあなたのみ言葉に耳を傾けます。乾く土地に水が染み入るように心を開いてみ言葉を聞くことができますように。

 み言葉を取り次ぐ先生の口を滑らかにし、心を励まし、祝してください。

 本日ここに集うことができない兄弟姉妹方に豊かに恵みをお与え下さい。特に病床の友を顧みてくださいますように祈ります。

これらの感謝と願い、私たちの父なるイエス・キリストのお名前によって御前に献げます。 アーメン

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2009年5月15日 (金)

庭がきれいになった 2

昨年も同じタイトルの日記を書いた。ここには多くの方からのアクセスをいただいた。
今日またこのタイトルで書かせてもらう。
 
昨日から従兄弟のYさんが赤目の垣根をきれいにしてくれている。あちこちの親戚の依頼を受けて家の修理や庭の美化を常に請け負っているからその仕上がりは玄人並みである。息子が仕事から帰って「どうしてこんなにうまくできるんかね」と言うほどである。
昨日は午後になって突風が吹いたりして作業を続けられなくなった。切った葉が飛ばされて近所に散乱してしまうからである。現在、続きをしてくれている。もうじき終わりそうだ。
 
母には多くの妹がいたが母が長女だったのに対してYさんのお母さんは末子だった。一人しか居なかった男が戦死し、その末っ子が婿をとり、Y家を継いだのだが両親も亡くなり、今Yさんは1人暮らしをしている。
もう定年になっているのであちこちの老齢化している親戚の庭や家の保守をこころよく請け負っているYさんである。
昨年も妻が入院中であったので私がお茶などの心配をしたのだが、妻が天に帰ってしまった今年は昨日の昼には親子重を取り寄せて昔話をしながら食べた。
 
道路にまではみ出し、伸び放題だった赤めの垣根が家の中から道路がすかして見えるほどにさっぱりした。裏の坊やが野球のボールを私の家の庭に入れてしまったので見つかったらお願いしますとお母さんから頼まれていたのだが、きれいになった垣根の下のどこからもボールはでてこなかった。

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2009年5月11日 (月)

喜びの表現

多忙でなかなか日記が書けない。だが、このまま忙しさを保ち続けると欲求不満に陥りそうだから簡単にでも書くことにする。
 
土曜日、キ障協の総会準備のために二人の役員が来てくださった。副会長Sさんと会計役員Tさんである。Tさんは丁重に私を助けてくださると挨拶され、また妻のために生花を持参された。
私は今度の総会で神戸まで出向くことは自分の体の条件を考えるとかなりの決断をせねばならないと緊張の中にあったのだが、お二人は私の困難をそっくり受け入れてくれた。例えば夜のトイレは尿瓶を使っていることを話すと、そのほうがいいですよ、となんなく応じたのだ。
移動でも新幹線を使うと準備がいくつか予想される。それをどうクリアーするか。これも心配の種であった。だが、Sさんは車で私の家まで迎えに来て会場まで運転してくれると言う。そうすれば荷物を制限する必要もない。
私の援助だけでなく会の運営に関することでも二人は積極的に係わって下さると申された。
 
おいでになるまでは私の困難点をどれだけ理解されるか不安を持っていた私だったが二人が帰られて気づいてみると、3年ぶりに参加できる喜びと安心感が私を支配していた。

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2009年5月 8日 (金)

「リュウマチ友の会」の会報から

日本リュウマチ友の会岩手支部の支部長さんは私の尊敬する友の1人である。ご自身長い闘病生活の経験を持っておられるが、そこから信仰に導かれ現在は障害を持つキリスト者の団体の会長の働きもしている。その上、当地の福祉活動の先頭に立って街のためにも奉仕をしているのだからあっぱれである。
その友が昨日リュウマチ友の会の会報「希望」を送ってくださった。この会が30年を迎えた祝賀会の特集記事一杯の会報だった。
私はこの会報が送られてくるたびに中身は私にはあまり関係のないことが多いし、送料もかかることだから、もう辞退しようと一瞬思うのだが、いつも巻頭言を書かれているこの友の文章を読むと、断ることをしないでよかったと思いなおすのだ。
今回のタイトルは「三者三様」とつけられていた。三人の友人を紹介した記事である。その1人はリュウマチで歩行器に頼る生活をしているがお母さんを亡くしてから広い家で1人暮らしだそうだ。将棋の名士で、いつも彼の家には対戦を願う人の訪問が絶えないと言うのだから立派なものだ。
この他、カナダでベルギー人と結婚している車椅子の女性と会った話、脳出血で車イス生活をしている婦人がバックミラーを頼りに後ろ向きに進んで友人の職場の前を通る話を紹介していた。
そして「重度の障がいを持っても自分らしい生活を送るには、それなりの努力と知恵が必要だ。その努力と知恵によって新しい道が拓かれると私は思っている」と結んでいた。彼らしい結論である。
腰の痛み、生活の疲れでふさぎがちの私には今回の会報はよい活力となった。

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2009年5月 7日 (木)

Sさん欠席の句会

Sさんが体調を崩し欠席。点滴を近くの病院で受けているという。
老人の句会だからこうしたことがこれからも多くなるだろう。現に発足当初指南役だったNさんは亡くなってしまっている。
こんな次第で今朝は3人の句会だった。Hさんが山野の草の天婦羅とおにぎりを持参してくれ、Kさんが温かいお茶をご馳走してくれた。

主だった句をあげれば下記のとおりである。

 民族の衣裳もまじり花見かな                                いく
 光る空光る緑の五月来る                                       悠歩
 点滴や窓に風入る五月かな                            ようこ
 ランドセル背をはみ出して新入生                         悠歩
 五月雨や頭上にかざすカバンかな                         ひさい
 薔薇の垣力いっぱい留守守る                             ようこ
 エスエルの汽笛響きて五月かな                            いく
 集団に遅れて歩む五月風                                       ひさい

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2009年5月 6日 (水)

股関節脱臼

11時に寝て、午前3時ごろになると股関節が痛み出す。先週木曜日当たりまではよかったのだが、その後毎日同様に痛いのだ。
ある日など痛みを和らげようと体を起し蒲団にうつぶせになってしばらく休んでいたらそのまま寝入ってしまった。涼しさに気づいて目を覚ましあわてて蒲団にもぐりこんだという始末である。
ベッドの柔らかさの具合で痛いのかもしれないと考え畳様の敷物を使って寝てみたり、クッションを膝下に入れてみたり、ダンベルを使って足を牽引してみたりといろいろ工夫を試みているのだがどれも効果がない。
今朝は痛み止めの薬を用いたがこれもだめのようだ。
寝不足になったら昼間適度に寝ればいいと自分に言い聞かせている。
妻のいない部屋で夜中、1人で苦闘しているとこれが1人になった者の現実なのだと実感する。
ヘルニアの手術が終わったら病院で痛みだけでもとれる方法を相談してみよう。

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2009年5月 4日 (月)

ある障害者団体の閉幕

緑の美しい季節となった。我家の窓から見える木々はそれぞれの緑に染まっている。
今日はその緑の中、障害を持つキリスト者が中心になって結成され、長い歴史の中で障害を持たない方々も、また中学生など若い命も共に集うまでに成長した「せせらぎ会」の修養会が東村山市の明治学院中高等学校で行われているはずである。
  
昔新宿戸山町に国立身体障害者更生指導所なる施設があった。そこには全国からリハビリを受けて社会自立すべく多くの人が集ってきた。そしてその大勢の中に後に車イス詩人として名を馳せた島崎光正さんがいたのだ。島崎さんは自らが救いに与った喜びを多くの人に分かつべく聖書の集いをそのセンターで主宰した。やがてこれがせせらいで会となり、様々な活動を始めるのだが、その1つが修養会なのである。島崎さんから橋本さんというこれも島崎さんから救いに導かれた喜びの体験を持つ温厚な信仰者に会は引き継がれていったのだが、35年も経つと皆が高齢になり、働き手が少なくなってとうとう今回で修養会は幕を閉じることとなってしまった。会そのものも2年後には解散という。
 
緑濃い構内に色とりどりに花が咲き誇る明学できっと今までの恵みに感謝しながら会は進行している事だろう。

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2009年5月 1日 (金)

友への感謝

別れ際二人の友と手を握り合ったとき涙を禁じえなかった。夜になって世話役の任を務めてくれた友に感謝の電話をかけている間も私の胸には熱いものがこみ上げていた。
 
春の一夜を近場のホテルなどで職場の友と過ごすことはここ数年の行事になっていた。風呂を浴び、食事を終わってから一室に集い一年間のそれぞれの生活を披瀝し、昔話に花を咲かせる、そんな会が何年も続いていたのだ。
 
だが、昨年は妻の病のために私は参加不能になり、これからは1人で出かけることもできないという事情を考慮し、いつも世話役を買って出てくださった友が今年は私の家にグループの仲間を集めてくださり、春の一日を楽しいおしゃべり会にしようと手を回してくれたのだ。
 
10人ほどのメンバーに誘いを掛けてくれたが、世話をしてくださる友の熱意に反して集合したのは5人であった。皆、2時間以上の時間をかけて来てくださった人たちである。
めいめい持ち寄ったものを共に食し、語り合ううちに職場時代の心が通じ合い、会は豊かなものに変っていった。
妻の写真が飾られた台の上にも友が持参した浅蜊の握り飯が供えられていた。
  
3時間ほどの短い宴ではあったがそこには温かな交わりの絆が交錯していた。

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