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2009年4月

2009年4月30日 (木)

妻との再会

午後一時からM兄の納骨式が教会であった。遺族はごく限られた人の参加で、また教会員は14名、静かに式は執り行われた。
説教で全てのことは主の御心のうちにあり、人の生死もその1つであることが確認され、主の力によっていずれの日にか天に召されたものも地にあるものも再会の時が与えられることも再度教えられた。
妻の納骨の時を想起しながら礼拝につらなったのだが、心はだいぶ平静を取り戻していることを実感した。
礼拝が終わり共同墓地に納骨される時開けられた納骨堂の中、一段と深いところに妻の骨壷が見えた。納骨があるごとにこれからも目にすることができよう。
妻との再会の約束を礼拝で与えられ、献花前にも数ヶ月ぶりに会えた事を感謝しながら快晴の墓地を後にした。

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2009年4月27日 (月)

車イス収納装置

Big  ようやく車イスを自動車に他人の手を借りずに載せられることとなった。
 妻 がいつも同道してくれて病院でも買い物でも車イスを載せ降ろししてくれたのだが1人になってからはそれが出来ないのが悩みの種であった。
 股関節が脱臼してしまい、車で床屋の駐車場に着いてもそこから杖で歩くことが難しい。先日は教会の友に頼んで我家で髪を刈ってもらうことになった。通院もいつも姉の手を煩わさざるを得ない。
 車イスで店に入れば、床屋さんの椅子よりもかなり低い位置でマスターもやりにくいだろうが、そのまま髪を刈ってもらえる。頻繁に行かねばならない歯科にも行くことができよう。
  車に取り付けた装置はAUTOBOXというものだ。車イスから降りて私は運転席に座り、ボタンを操作するとルーフに取り付けた装置からベルトが降りてきて車椅子を持ち上げ屋根の上に収めてくれる。降りる時も同様にスルスル と車イスが運転席の脇に下がってくるというわけである。
 この装置に決めるまでには車イス収納装置がある自動車を捜したりパーツに分解できる車イスを収納する体験をしたり、自動車工業会に問い合わせをしたりとあれこれ試みた。結局今の車がまだ使えること、収納装置付きの車は高額なこと等あってAUTOBOXに落ち着いたわけである。
 高 額な買い物であることには違いないのだが生活が広がることを優先し、良しとする。

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2009年4月25日 (土)

臓器移植法案

今国会では与野党を問わず臓器移植法案の早期改定の機運が高まっているそうだ。急務の課題は心臓病の子供に日本においても臓器提供が出来るようにすることだ。今まではアメリカに行き臓器の提供を受けねばならなかったのだがアメリカ国内でも提供者が少ない実態から外国人への提供を制限するようになったとのこと。
今朝の新聞にも脳死の説明が載っていたが、特に子供の場合脳死の判定後でも脳が機能を回復することがありドナーの判定が難しいらしい。また、子供が脳死になった場合、自らが提供者になると意思表示を適切に出来るかどうかも論点の一つになっている。
移植を受ければ命が保たれると判断されたとき、親とすれば提供を受けたいと希望するのは無理からぬことと思う。
だが、一人の人間の存在の意味を問うた場合、その人間は多様な者としてこの世に遣わされていることをもっと考慮すべきではないか。私のように歩けない者もいるし、21歳で天に召されたS君の存在もそれぞれに尊い事実であった。歩けない者をみな歩けるようにしなければならないとか若く天に帰ったものの存在を軽く見ることも出来ないだろう。
命はそれぞれの者に他者と代えがたいものとして与えられている。その命とは体を含めた精神の全てである。脳死判定の技術的な問題ではなく命そのものの意味をもっと問うことから臓器移植について論ずる必要がある気がする。

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2009年4月22日 (水)

初夏の光

電動車椅子で薫風のなか出かけてきた。屋敷の中の木々はどの家でも若芽が初夏の光を浴びて輝いていた。こぶしの花が白く反射し、つつじが赤い。
耕運機が畑の中に置き去りになっていたがその土は水気をたっぷりと保って黒々としている。
二三の家のテラスには子供用の小さな鯉幟がその体を横にして風を受けていた。
古い土蔵が半分壊れかけている前を、油絵にしたら面白そうだと眺めながら通り抜け隣保館の入り口のポストに定額給付金関係の手紙を落とし、反転して建築間もない家がそれぞれに個性を競っている間を走ってカインズホームに向かった。
国道脇の舗道を進むと途中小さい川をまたぐ。昔遊んだ川なのだが、今は側溝がコンクリートで固められ子どもの遊ぶところではなくなっている。手入れされない岸辺には菜の花がまだレモンイエローに咲き、水が光って流れていた。この川で浴びたのではないだろうがフェンスの上に一羽の鴉が濡れ羽色の体を、無表情に走るトラック群を見やるでもなくつくろっていた。
カインズホームのATMで車の改造費用を引き出し、昼食用に天丼とうどんのセットを買う。
外には相変わらず暖かな光が満ち、心地よい風が流れていた。

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2009年4月20日 (月)

消えたもくねじ

腰が痛くて立ち上がるのが辛い。立ち上がることはほとんどしない生活になってしまったのだがトイレだけは立ったほうがやり易いのできれば立ちたい。
今朝は脱衣場の手すりを便器の脇に移す「力仕事」に挑戦した。今ある手すりが低くて立つのに役立たないからだ。
ペーパーホルダーを外し、そこになんとか手すりを取り付けた。車椅子に乗ったままの作業では位置関係がまずいので便器に座ってがんばったのだった。終わって立ち上がりを試すとそれなりに効果ありそうだ。
午前はそれだけにして電動車椅子に乗ってカインズホームにある郵貯銀行のATMで引き落としをやってきた。
 
そして午後。今度は外したままになっているペーパーホルダーをつけねばならない。始めてふと気づくと木捻子がない。誰もいないので「どこにも持っていった覚えはないんだがなー」と独り言を言いながら、引き出しの上、中、床などを何度探しても見つからない。万が一電動車椅子の上に落ちているかもしらん、とそこを探したがない。
あきらめの悪い性格の私だがとうとうギブアップせざるを得なかった。工具箱にあった適当な捻子を使ってホルダーを留めた。
やれやれこれでいいか。ヒカちゃんが見たらなんと言うだろう。などを考えながら膝のズボンの上に溜まった壁の滓を払おうとすると、何たる事や、そこに捻子が3本あるではないか。
ああ、いやだ、いやだ、お前、いったい何をやってるのだ、と自分にあきれて声を出す。それにしてもいつ膝の上に置いたのだろう。

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2009年4月18日 (土)

来なくなった老友

Wさんは80歳近い方である。脳梗塞の後遺症で歩行が不自由だが聞き慣れないと少しわかりにくい速い話し方で誠実に対話してくださる人だ。
そのWさんがデイケアに姿を見せなくなってしまった。先週の日曜日家が火事で焼けてしまったからである。近くに火事があったことは知っていたのだが、Wさんのところだと聞いて驚いた。
私の家の先にWさんはお住まいで、デイケアの送迎はいつも一緒だった。車はWさんの家の庭まで入り込んでWさんを降ろすのだが、そのとき軽い認知障害のある奥さんがいつも穏やかな顔を少し開けた障子の間から見せていた。
ある日いつものように奥さんが開けた障子の奥の座敷に石油ストーブが見えた。老夫婦だけの生活であのストーブで大丈夫か知らんと一瞬気になった記憶がある。
原因は何かはわからないが、昔風の古い農家が焼けてしまったので今は少しはなれたF市の娘さんの所に厄介になっているという。そこまでは施設側も送迎できないし、Wさん自身まだデイケアどころではないのだろう。
住み慣れた畑中の家を失い、街の暮らしになってWさんもさぞ困っているだろう。

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2009年4月15日 (水)

悼む言葉からの出発

ひとっきり前「おくりびと」が話題をさらった。アカデミー賞を得て日本でも多くの人に注目されたのだ。別れる人を心をこめて送り出す、その人間的な姿に愛を見たのだろう。
私の場合、おくりびとの役をしてくださったのは多くの友であった。それは妻に化粧をしたり衣装を調えてくださったりすることを通してではなく、人が人であることの証明になる言葉を通してであった。
今回2回目になるがその言葉を小生のHPに感謝を篭めて収めさせていただいた。
 http://homepage3.nifty.com/bridge2/364.html

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2009年4月13日 (月)

和服と車イス

 昭和40年の頃担任したTさんからメールをもらった。その当時中学生だったからもうなかなかの歳である。だが積極性は見上げたもので、私はメールをもらうごとに自分の生活のひ弱さを思い知らされるのだ。その文章と私の返事。
 
Tさんから
 半袖でも居られるくらい、イイ陽気になりましたが、お元気ですか???
ちゃんと食べていますか??一人でも食事はとるように~。食べたくなくても少しでも口の合うものを食べた方が良いですよ。私も一人になってから、暫らく食べたくなくて、何を作ればいいのやら解らない時期があったんです。
 
下の子が居た頃は子どもに合わせて作っていましたので、一人になって一人ってこういうことなんだな~~~~と改めて知りました。
 
先生、しっかり食べた方がいいですよ。
 
この間、近所の奥様たちと高輪の駅前にあるホテルにお花見に行ってきました。満開時期でしたので素晴らしいかったですよ。それにもまして私はちょっとおしゃれをして和服で行きました。
 
車椅子で和服??でも車椅子に乗っているからこそ、和服って発想ができたのです。歩ける時は逆に着物なんて重たくて歩けない、って思っていました。娘の結婚式にも和服でした。
 
でも、車椅子に乗っているだけでも目立つのに、着物を着ていると電車の中でも視線を感じました。
 
お正月の(同窓会の)幹事会にも着物で行きました。みんな一応驚いていました。でも、最近歳を追うごとに着物って良いな~って思うようになりました。おてんばさんでもおとなしく見えますもの。ウフフフフ。

返事

 いつも明るい話題をありがとうございます。
 
和服を着て出かけるなんて素晴らしいですね。車イスで和服を着ていると裾や袖がどんな具合かなと気になりますがきっとうまくいくんでしょうね。
 
それにしてもあなたの積極性には頭が下がります。1人で生活しているとエネルギーも生活範囲も収縮一方になります。でもあなたはその逆を行く、わたしも学ばなきゃいけませんね。
 
今日はいい話をありがとうね。

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2009年4月12日 (日)

復活の喜び

 イースターおめでとうございます。希望に燃えて共に前進しましょう。

 今日の聖書箇所はルカによる福音書241節から12節、コリントの信徒への手紙1520節でした。ここにその聖句を引用できればいいのですが長くなりますので手元の聖書をお開けください。

 礼拝で大いに励まされました。それは三つのことを教えられたからです。

 その一。ここには天使が現れます。天使はイエスが誕生する時にもマリアに臨みますが、イエスが十字架に死に男たちが逃げ去ったときイエスの許に留まった女たち、その女たちに天使は喜びのメッセージを伝えるのです。「復活なさったのだ」と。十字架に留まる、ここに喜びがあります。

 その二。天使は「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」と言いました。聖書には「婦人たちはイエスの言葉を思い出した」とあります。この「思い出す」とは今の自分に語られたこととして聖書に聞くということです。婦人たちは思い出したことによって悲しみから喜びに変えられました。聖書を自分にはなくてはならないものとして聞きましょう。

 その三。聖書は「墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」と婦人たちの姿を語ります。十字架のイエスに留まり、言葉を思い出した女性たちは喜びに満たされ、自ずから語りだしたのです。これこそ伝道です。

 さあ、イエスの復活に与ったわたしたちも語りだしましょう。

 説教はもっと恵みに溢れ、ダイナミックなものでしたが、以上のことだけでも皆さんにお伝えできることを感謝します。

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2009年4月 9日 (木)

定例句会

はらからの温もりの味蓬餅        いく
煮こぼれるものの匂える春隣      ようこ
四月馬鹿ついた嘘に悩みけり  悠歩
そり返る小米桜や垣の外       ひさい
土塊を素手で掴むや春惜しむ   ひさい
新聞の隅までも読み春惜しむ  ようこ
惜春や友は遠くに越してゆき   いく
君までが帰ってしまうか春惜しむ  悠歩

ご馳走一杯の和やかな会であった。

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2009年4月 8日 (水)

下着を替えるとき

今日は初夏を思わせるような陽気だった。用心してカーデガンを着て祈りの会に行ったのだが外にいると暑すぎた。
もうそろそろ下着を替えてもいいかもしれない。私は歩けないし、麻痺もあるので足がいつも冷えている。だから今もってズボン下は厚手のものを履いている。勤めをしているときからこのスタイルは変わっていない。
その私がズボン下を替える目安は校外授業で遠足に行く時分だった。四月も半ばになり、生徒たちが新しい学年に馴染むころ、横浜や昭和記念公園、臨海公園、あるいはまた新宿御苑などに出かけたものだ。そしてこの行事を境目に私は薄手のズボン下を身に着けたのだった。
それを思うと今日はまだ8日だから少し早い。それだけ温暖化が進んでいるのだろう。
 ちなみに、4人の孫たちは昨日今日が入学式と新学期の始まりであった。1人はもう高校生である。

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2009年4月 7日 (火)

キリスト者の常識

キリスト教関係の年鑑を出版している会社から私が代表をしている団体の構成などについて問い合わせがあった。年鑑に今年度の資料を載せ多くの人の便宜に供したいとのことだ。
それはけっこうなことで答えることにはまったく異論はない。
だがどうしたことか返信用の封筒には切手が貼ってない。「切手をお貼りください」とのことである。この辺の出版者の見識がわからない。問い合わせておきながら返信料は回答者に出させる、こんなことがキリスト教界ではまかり通るのだ。年鑑を無料で発行するならいざ知らず、販売して利益を得ようというからには返信料ぐらいは同封すべきだろう。
そう思いながらも、結局切手を貼って回答した。
教会では年度始めで総会があちこちで開かれているだろう。その時、議長を誰がしているか。案外牧師がこの任に当たっている場合が多い。年度の宣教方針や予算を提案する者が会議を進行する、こんなことは他の社会ではあまり見られないことではなかろうか。

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2009年4月 4日 (土)

外出の楽しさ

しばらくぶりの外出。時には必要なことだと痛感。
息子がかねてから私が希望していたところに今日なら行けるよと申し出てくれたのだ。その場所とは自動車に車イスを積み込む装置を取り付ける工場のある埼玉東部の町である。
午後早退してきて、ヒカちゃんも連れて出かけた。長い間バイパスを走り、その後は畑の広がる中の道を行ったのだが、どこも菜の花が黄色に光っていた。
実はハルちゃんが朝早く1人で電車を利用してこの町の近くで行われているテニス大会に参加していた。私たちがその町に着く頃はハルちゃんの試合は終わっている予定だ。だからハルちゃんを迎える目的も遠出の1つにはあった。
会場に着くと大勢の子供と付き添いの親がスポーツウエア姿で行き来していた。3年前にハルちゃんを妻と二人でここに連れてきたことがあったのだが、そのときと同様、子どもたちが行きかう頭上にはサクラの花がいっぱいだった。
ようやくハルちゃんを探し出して聞くと、6-1で勝ったとのこと。
  
ハルちゃんを乗せて、イオンモール羽生なるところに昼食に行く。ここなら車いす用のトイレもあるからだ。一般道と構内の道の区別もつかないほどの広大な敷地にある大型ショッピングモールだ。中華蕎麦を食べ、ヒカちゃんのサッカーシューズを買って、工場に向かった。
 
工場では車イスを車のルーフに載せる装置のデモを体験し、発注してきた。弱くなった腰では車イスから運転席に1つの動作では危険が生じるので補助椅子も追加した。合わせると65万円になる。これから1人で生きていくには高価な買い物になるがやむをえまい。
 
夕日を正面から浴びながら帰宅したのは6時だった。息子とハルちゃんは明日(今日)の試合のために夜の練習にまた出かけていった。

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2009年4月 2日 (木)

十二支を6度迎えて

十二支がわが人生において6度めぐってきた勘定になる。
最初のそれは親兄弟と隣近所、小さな学校という環境での生育であった。続く十二支は地域を離れ、高校、大学でのエネルギー醸成のときだったといえよう。社会化の過程でもあった。
その後36までの12年。この時こそわが人生の自信と飛翔の時代。職場でも家庭においても恐れなく生きえたのではなかったか。それが平行飛行へと移行し、やがて自己変革を模索する時代が到来する。そして新しい自己を温めつつ周囲に生かされたのが第5期であった。
定年後の十二支の期間、全国を回りつつ平穏に過ごした前半に比し、後半の妻の苦しみをどうとらえるべきか。
さて7度目の丑年がわが人生にありやなしや。

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