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2009年2月24日 (火)

受精卵取り違え事件

香川県立中央病院の医師が体外受精をした受精卵を取り違え、ご本人のものでない受精卵を移植してしまい、妊娠10週目になって人工中絶したという記事が最近新聞に何度も載っている。
昨日の朝日には取り違えの過程がまた報道されていた。それを読んでいるうちに、人間の命の誕生という厳粛なことにおいて、現代ではその畏れの本質が忘れられ、メカニズムの有効性に主眼が置かれているような気がしてきた。
記事の中から気づいた言葉を抜き出してみると、命の萌芽である受精卵は「シャーレ」の中で、複数個作られるらしいのだが、体内に帰されるもの以外は「廃棄」されるという。そは「作業台」で行われる。不幸なことが起こった原因は他の方の「廃棄」する受精卵を「作業台」に「置き忘れ」たまま、この度中絶した方の受精卵を並べたことにある、とのことだった。
いろいろな理由で妊娠が自然な形ではできない方にとっては体外受精という方法も必要なのかもしれないが、今度の医師のように同一作業を繰り返していると、与えられる命に対する畏敬の念が消えうせ、人間の誕生は医療のプロセスの問題となってしまうのではないかと恐れるのである。

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