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2009年1月

2009年1月31日 (土)

信仰の書

主の御名を賛美いたします。
寒さ厳しき折ですがお元気のことと拝察申しあげます。
さて、本日は御著「主の手にすがりて」を恵送くださりありがとうございました。有賀様とは「信州なずなの会」の修養会に招かれた際にお会いしたと記憶しておりますが、その時のやさしいお顔がよみがえってまいりました。
立派な祈念文集を読ませていただき、この祈念文集は単なる文集でなく、信仰の書であり、証し集であると深く思わされた次第です。
有賀兄はゆるぎない信仰を与えられ、よい家庭人であられ、また家具職人としても、養蜂家としても立派であられたのですね。
兄を天に送って奥様も寂しくなられたでしょうにこの文集からはその心情よりも兄がよきこの世の生涯を送られた喜びが強く響いてまいります。
本当によい御本をありがとうございました。
私事になりますが私は妻和子を昨年7月に天に召されました。それから半年が過ぎましたが、まだまだ妻の姿を追い求める生活から抜け出せません。御著にあります「天に一人を増しぬ」を書斎のドアに貼って、慰めを見出したりしております。
いただいた御本により主を見上げる力を与えられ、天にいる妻に感謝したいと思います。
操様におかれましてもどうぞお体を大切にされてよい日々をお過ごしくださいますよう。乱筆をお許し下さい。

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2009年1月30日 (金)

雨の日

外は冷たい雨。だが、私の半日がもう終わろうとしている。雨を眺めるだけで終わる半日でなく、なすべきことを終えた半日だった。
いや、そんなに気取って言うほどではない。俳句のお仲間から送られた句を整理し、句会の準備をしただけである。だが、こうして整理してみるとそれぞれの方の生活ぶりがわかって面白い。
私の今回の5句は以下の通り。

 松過ぎやコンビニ弁当ひとり食う
 日溜りやハエの仕草を眺めをり
 書初め展家族皆で仰いでる
 厳冬や真夜の白湯喉を過ぐ
 一日の感謝祈るや冬の床            

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2009年1月29日 (木)

不安

昨日の夕御飯は目は御馳走を欲しているのに体は無関心を示し、箸を出そうとしなかった。意識が薄れるような感覚があり、部屋がいつになく暑いようだった。
ママもヒカちゃんとバレーボールに出かけ、1人で風呂に入ることに不安を持ったので9時前だったがベッドに入った。近くにある血圧計で見ると上は150を越えていた。
明日の一日はどうなるだろう。若い者に休みを取ってもらうほどではないにしても一人で大丈夫だろうかと不安がよぎる。
息子が帰ってきて、大丈夫?と部屋を覗いてくれた。こんな小さな行為に安心感をもらう。
1人で生きるとは難しいことだ。
幸いにも今朝は血圧は110台に下がり、昨夜あった微熱もなかった。だが用心して書斎でなく暖かな居間で炬燵に入ってパソコンをいじっている。

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2009年1月28日 (水)

デイサービスセンターへ

一日が早く過ぎる。特に昨日はそうだった。
朝近くの大型スーパーに行って、店内にある郵貯ATMを使おうとしたら故障とのこと。昼食のサンドイッチとサラダだけを買って帰宅。もう11時半を過ぎていた。スーパーに行く前に電話で見学を依頼しておいたデイサービスセンターには1時に行かねばならない。コーヒーを入れて昼食にかかる。
  
デイサービスセンターはこじんまりとした施設だった。平屋建てで部屋全体が見渡せる広さの中に4種類の訓練機器があり、職員は「先生」と女性スタッフの2人。
片麻痺の体の高齢者が3人訓練を受けに来ておられた。見学のつもりで行ったのだがこの方々と一緒に訓練を体験することになった。指導者が丁寧に補助してくださったので皆さんと交代で4種の訓練を受け、3時すぎに家路に着いた。
説明によるとこれらの訓練は今私が困っている腰や大腿部の筋を強める働きをするらしい。股関節周辺の筋肉の衰えで痛みが出たり動作が不自由になっていることを考えるとしばらく訓練をする意味がありそうだ。
週2回、午後にその時間をとってみようと思う。 

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2009年1月25日 (日)

泣く者、苦しむ者、あなたは幸いだ

 今日の聖書箇所はマタイによる福音書5章、山上の説教の箇所。ガリラヤの貧しい、苦しい生活をする民に向かって、イエスは、あなた方は神の祝福に与っている、だから今置かれている道を進みなさい、と言われる。なぜならば主にしたがって歩むあなた達には天国が用意されているからである、と。
 この世に妥協せず、現在の苦しみのなかに主がおられることを信じて進む。そのとき主はすでに祝福の言葉を掛けてくださっていることの確認ができた礼拝であった。
 
 この幸いの礼拝の司会に当たったこともハッピーであった。司会の祈り。
 慈愛に富みたもう天の父なる神様。
 寒さの厳しい冬の朝ですが今朝もこうして私たちはあなたの招きを受け、恵みをいただいて、集わせていただきました。あなたの優しい御手が今朝も私たちの上に置かれていることに心から感謝いたします。
 どうぞこれからのしばらくの時を、私たちがあなたを仰いで礼拝を捧げるときとしてください。ここにあなたが臨んで、あなたの御心を私たちに示し、豊かに、確かにあなたと共にいる喜びを私たちが知ることのできる時としてください。
 神様、私たちはいろいろの弱さ、痛みを抱えています。悩みを持っています。社会を生活の不安が覆っています、人々の心が散り散りになっています、衰えいく体を知らされています、病が癒えずに続いています。御心でしたら、どうぞこれらの苦しみから救ってください。不安を取り除いてください。痛みを癒してください。
 しかし、ここにあなたの恵が十分に現されているのでしたらどうぞこの苦しみをあなたの業のために用いてください。ここに主の栄光を現してください。あなたを信じる兄弟姉妹として互いに苦しみを負い合い、分かち合っていける教会としてください。
 教会は一年の終わりの時を迎えています。今年はあなたがここに教会を備えてくださった一二〇年を記念する礼拝を捧げることも出来ました。また、あなたの御許に召された姉妹方もあります。どうぞこの時に今年を顧み、いただいた恵に感謝し、ますます励んであなたの御用に当たる教会としてください。
 最後に今日もあなたの御心を取り次ぐ飯野先生のために祈ります。どうぞ聖霊が先生の言葉を聖別し、あなたの御心を語るものとなりますように。
 これらの感謝、願いをわたしたちの主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2009年1月23日 (金)

we are the world

伊藤博先生がニューカウンセリングワークショップの中心的役割を果たしていたころエクササイズの合間にはよく参加者皆が車座になってWE ARE THE WORLDという歌を歌ったり、ビデオを見たものだ。

今日は手元にあるそのDVDを取り出して音量を上げ、32インチTVで楽しんだ。

この歌はアフリカ系アメリカ人の有名な歌手がテレビでエチオピアの飢餓状態を見て、その惨状に心を痛め、歌手仲間に呼びかけ、アフリカの飢餓、内戦、旱魃などで苦しむ人々援助のために作ったものだ。レイチャールズ、スティービーワンダー、マイケルジャクソンなど大勢の有名歌手が、we are the world, we are the childrenwe are the ones who make a brighter dayso let's start giving と個性豊かに歌い上げている。この歌はたちまち全米のTVやラジオで流され、その収益がアフリカに送られたのだった。

アメリカでは大統領がアフリカ系のオバマさんになった。この人たちは人の魂に訴えるメッセージを持っている。それは長い苦しみの中で醸成されたものかもしれない。

今日は20年ほど前のニューカウンセリングを思い出し、体内に残るエネルギーを見詰めなおす日となった。

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2009年1月20日 (火)

バカ足

バカ足とは私の麻痺した左足のことである。小学生の頃母と2人だけで炬燵に入っていると母は私の足を揉んでくれたものだ。細く、まったく力の入らない足を私が本を読んでいるにもかかわらず炬燵の中で時間をつぶすように丁寧に揉み続けた。
そのとき、「このバカ足が動けばなぁ」とつぶやくのだった。いつも世話をしている息子のこの足さえ動けば息子は跳んで歩けるだろうに、好きことができるだろうに、かわいそうなものだ、と思っていたに違いない。
  
今、腰が痛くなって風呂から出て、車イスに座るのに苦労している。利き足の右足に力が入らないのだ。手すりに右手を掛け、左手を車イスに置いて腰を浮かせ、お尻を車イスの座面に乗せようとするのだが、これが大変である。右手の肘関節はぎしぎし言うし、右足はピクピクと震える。そんな時、まったく麻痺している左足が垂直になるとありがたいことに体重を支えてくれる。そして右足を10センチほど前へ出させてくれるのである。
バカ足と言われて、無くて同然、と思われてきた足が今になって大切な働きをすることとなった。
  
「こころの便り」http://homepage3.nifty.com/bridge2/kokoro.htmlを更新しました。

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2009年1月19日 (月)

のんびり生きる

朝食を簡単に済ませ、新聞を見ることもなく出かける用意をした。8時45分に家を出ないと予約時間に間に合わないのだ。45分に出るとなると逆算して15分にはトイレを済ませないといけない。30分もあるではないかと思うだろうが、炬燵の電源を確認したり、台所、寝室、居間の熱器具を全部点検するとこれくらい掛かってしまう。
以前より動作が緩慢になってきたことは否めない。先日も弟が泊まりに来て、わたしが風呂の時間があまり長いので、ぶっ倒れているのかと心配したと冗談を言っていた。風呂も入っている時間よりも衣服の着脱に長時間を要するようになってしまったのだ。
今朝は道が空いていて無事病院に着いた。9時半の予約だった。しかし、患者が多く、結局診察を終えたのが11時過ぎ。帰宅したのは昼のニュースが始まるころであった。
それから昼食をとり、新聞を読んで、今、14時、ようやくパソコンを開いたところだ。今日はこの後たいしたことはできそうもない。16時にはハルを駅に送らねばならないし、夕方になると疲れがどっと出てくる。一日のうちに一つでも満足できるタスクをしたいという希望はあるのだが、それができずに終わる日が多い。
そんな時思い出すのが、友人のHMさんが妻を悼む手紙に書いてくれた言葉である。
「のんびり生きてください」。そうだ。何をあくせくする必要があろう。のんびり生きる中にこそよい宝が隠されている、そう自分に言い聞かせることにする。

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2009年1月16日 (金)

灯油販売

金曜日になると灯油販売の車がやってくる。「カトーの灯油。18リッター1300何円、灯油タンクをよく見えるところに置いて下さると、こちらから取りにまいります」とスピーカーからお馴染みの声が聞こえてくるのだ。
妻がいるときには販売車のおじさんと世間話をしながら居間と書斎の据え置きの大きなタンクに入れてもらっていた。今では私が販売の声が聞こえると玄関先に出て、車に合図する。
先日もそうしたのだが、おじさんが「おばあさんはどうしたいね。最近見えないね」というものだから、「遠い国にいっちゃった」と言うと「そうかい、知らなかったな。暇になったら線香をあげさせてくださいね」と妻を懐かしんでくれた。
まだ忙しい時期だからおじさんは商売が済むと行ってしまうが実際に家に入ったらどうしようと迷う。妻の写真はあるがもちろん線香は用意していない。おじさんに限らず、お参りに来てくださる人は皆戸惑う。そんな時、「どうぞ写真を見て、話でもしてください」と言ったりして厚意に応えている。

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2009年1月14日 (水)

祈りの会

連日寒い日が続いている。今朝も氷点下の気温だったようだ。家中暖房を入れていたのでブレーカーが切れ、一時寒さが身にこたえた。
だが、祈りの会に行く意志は萎えることはなかった。教会に着くと牧師が車まで車イスを持ってきてくださる。
常連だったSさんや妻が参加できなくなって、今朝は先生と2人の祈りの会だった。だが人数は関係ない。祈りを捧げ、聖書講解を聞き、他教会を覚え便りを書く。
現在学んでいる聖書はガラテヤの信徒への手紙である。パウロが熱心に、律法という養育係から解き放されてイエスへの信仰によって私たちは神の子にされたことを説いている箇所である。
帰って、インターネットで購入した冷凍食品でお昼を取り、満足して、今こうしてパソコンを開いたところである。
午後も落ち着いて、満たされて過ごしたい。

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2009年1月12日 (月)

留まる幸い

昨日から弟が来ている。私の独りの生活を見に来たのだ。姉を呼んで三人で近況や昔話をしてひと時を過ごした。私が動けないからこうして私のところに集ってくれる。
俳句の会とて同じことだ。婦人センターを利用してやっていた句会を我家でやることになったのは一つには私が移動が不便だから皆が私の家に集ることにしたのだ。
昨年暮れには親しいkさんと忘年会を我家でやった。これもKさんの家でなく、家でやって、と若い者に頼んで実現したことだった。
こうして動けないことが人を集める力になることがある。留まっているとそこに人の輪が出来るのである。
話を少し飛躍させる。日本の神話に出てくる話だが、神様で人を初めて作ったのはイザナミノミコト、イザナギノミコトの2人だった。ところが生まれてきた子は蛭の様に体が柔らかで、これを嫌った二人は「ヒルコ(蛭子)」を葦の舟に載せて川に流してしまった。こうして日本の神話では障害を持った人の歴史を否定的に書き出している。
ところが一説によると、流されたヒルコは川下の人に拾われて大事に育てられ、恵比寿様になったという。動けなくても魚釣りの名人になり、福をもたらす神になったというのだ。
動けない人が留まって自分の生活を大事にしていると、こうして人を集め、よい交わりが生じ、幸いをもたらすことになる。

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2009年1月10日 (土)

よい誕生日

109 今朝、以前住んでいた家のある東京・上板橋のKさんからお花が届いた。Kさんは床屋さんのご主人である。もう75歳になったので店を閉めて好きなカメラに余生をかけるとお手紙にあった。
Kさんによるとお店の前にお豆腐やさんがあって、妻はよくそこに買いに来ていたとのこと。
Kさんご一家と知り合いになったのは私が教職に就いた頃(もしかしたら上京した頃)だからもう半世紀も前のことだ。お子さんが障害をお持ちで将来を心配されている時、Kさんの家の近くに私の友人がいて、その友人の紹介で知り合った。
お子さんは私が勤めていた学校から地域の中学を出て、大学まで行った。障害の関係で座ることができずいつもたって仕事をしていたのだが数年前、突然亡くなってしまった。
生前はご両親が義理堅い人だから卒業してからも盆暮れには何かしら持ってご挨拶に見えた。両脇に松葉杖をついて、後ろ向きに階段を上ってハッキリした声で挨拶しながら来てくれたものだ。
彼が亡くなって新座市の墓に葬られていることを聞き、私は妻と一緒にお花を上げに行ったことがある。今朝お花を届けてくださったのもそのことを覚えてのことかもしれない。
妻の写真の周りが花で一杯になった。71歳のよい誕生日となった。

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2009年1月 9日 (金)

和子、誕生日だね。

Hana 和子、71歳になったね。おめでとう。
ここまで書いただけでパソコン画面がにじんで見えない。思い出を書くのはやめにしようね。
匠が勤めを早退して、今ハルちゃんとヒカちゃんを連れてお墓に行ったよ。誕生日のケーキも買って来るそうだ。うれしいね。
和子も含めていつまでも我家は6人。これからもよろしく。

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2009年1月 8日 (木)

句会というまどい

定例の句会の日。この日はまどいの日でもある。お茶を持ってきてくださる方おり、羊羹持参の方あり、袋掛けしたみかんを差し出す人ありといった具合である。
昼は上寿司を取り寄せ、遅まきながら新年会と張り込んだ。
三人のご婦人がおいでになるだけなのだが、妻のために供えものの洋菓子を用意してくださった上、場所を提供してもらうので先生はいいんです、と言って私の寿司代を取ってくださらない。
聞くところによるとお三方は他の結社のメンバーで、月に7句を提出しなければならないのだそうだ。だから、わたしの家での句会をその準備の場に当てていらっしゃる。推敲されることを期待して作句する場合も多い。
俳句の会が終わると今度は世間話がひとっきり続いてようやくお開きになる。今日も終わったのは1時半であった。
しばらく生まれ故郷を離れていた者にとってこのまどいは昔帰りの出来る安心できる会ではある。
 今日の多選句。
 柚子の香にどっぷりつかる終い風呂
 新聞をゆっくり読んで冬温し
 元旦の大地に響く太鼓かな
 迫り来る雪の赤城や.吾が在所
 峡の村餅つきの音日暮れまで

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2009年1月 7日 (水)

自力で生きる

なかなか車での外出が出来なくなった。松葉杖の歩行が困難になったことがその第一の理由である。
ならば車イスを使えばいいのだが、それには自動車から車イスを降ろすこと、また持上げることが必須になる。これも私には無理である。
昨日はこの難題を解決すべく、適当な自動車選択にパソコンを使って半日を要してしまった。トヨタ自動車には車椅子に乗ったままで車内まで入れる装備の着いた車がある。また、電動車椅子が運転席に納まって座席にもなる車種さえある。だがそれらはあまりにも高価で手が出ない。
また、車イスを屋根の上に納める装置を販売している会社もある。電話で問うと57万円だそうだ。高いには高いがこれならなんとか手が届きそうだ。
体の機能の衰えに加えて、助け手が先に逝ってしまった状況の中、なんとか一人で生活する手段を見つけねばならない。

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2009年1月 5日 (月)

Via Dolorosa

一月も5日となった。ふと昨年のことが思い出される。妻は痛みが徐々にひどくなり、毎日整形に通いだした日々に入っていく。
その先、18日にはMRI検査を受けて、やがて癌が見つかる。
こう思うと、私はこれからの日々、妻のたどった苦難の跡を踏みながら歩かねばならない。これは辛いことだ。2月には入院となり、以降、私たちは離れ離れの生活を余儀なくされたのだった。
相方に先立たれた先輩たちがその悲しみから立ち直るのに1年を要するのは、この道行きの過程をたどり終える必要があったからだろう。
聖地エルサレムには、イエスが鞭打ちの辛い体で重い十字架を担いで、あえぎあえぎ刑場へと歩いたとされる道が残っており、Via Dolorosa と呼ばれるそうである。
7月5日までの長いVia Dolorosa を私はこれから歩まねばならない。

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2009年1月 3日 (土)

ヤコブの闘い

Yaboku 子ども達とその家族が勢ぞろいして賑やかな、贅沢な時間を過ごした。
三男は子どもをつれて元日から来ていた。卓球が好きな子供のために買った卓球台を持っての帰省だった。お陰で我家は元日から卓球大会の会場になった。
そこに長女が連れ合いと午後になって合流した。妻の墓に花を供え、家にも持参して写真を飾ってくれた。鎌倉に初詣に行ったとかで幾つかの和菓子も持ってきた。
ハルちゃんが長男とテニス大会に出かけ、二回戦まで勝ち抜いて夕方帰ってきたころには孫たちはお年玉を覗いたり、テレビを楽しんでいたし、大人たちは我家が導入したIHクッキングヒータの使用方法などに話の花が咲いていた。
ビールも出て賑わいが盛り上がった頃、玄関のチャイムが鳴って、なんと次男が目のくりくりした女性を連れて現れたのだった。
ヒカちゃんはこんなときでも何か活動することを見つけなくては気がすまない。それは全員が参加する腕相撲であった。トーナメント表を作り、新しく加わったH子さんも引き込んで、勝負に歓声を上げながらしばらくの間テーブルは格闘場に変わったのである。
私は一人、座椅子にもたれてこの光景を満たされた思いで見詰めていた。ただ一つ、妻がこの場にいないことが小さな穴を私の中に作っていることを意識しながら。
 
聖書の人物の系譜を整理していることは昨日記した。もうヤコブとその子どもたちのところまで系統図を書き終えている。
ヤコブは神様に祝福されて大勢の子供に恵まれる。だが、その子供は父イサクの家で平和に暮らしているときに与えられたのではなかった。兄エソウから逃れた異国の地、叔父ラバンの元で働かされているときだった。その犠牲の時を神によって守られ、ヤコブはようやく兄の住むカナンへの帰途に着いたのだが、その途中、不意になにものかに襲われ、格闘する。長時間の闘いの果てに、ヤコブは腿の関節が外れてしまったという。以後ヤコブは痛めた腿を引きずりながらカナンへの旅を続けたのだった。
 
ながながと書き続けたのは、ふと私の股関節脱臼と子供たちが作っている平和な境遇がヤコブの話に重なっている気がしたからだ。私の腰の痛みは今も続く。寝ていても時々腰の位置を変えねばならない。
妻の病はヤコブを襲った神様だったのかもしれない。その神の試みを受けながら私の腰は外れたのだろう。だが、ヤコブと同様、私にも神様の支えと大勢の子供たちと孫たちがいる。
神の祝福を受けて今年もカナンへの道を進むことになる。

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2009年1月 1日 (木)

新しき年

年頭にあたり世の平和と皆さんの穏やかな日々をお祈りします。
 
静かな元日である。妻が逝って正月の色も薄くなってしまった。
新聞にはあまり読むべき記事もない。若い者はそれぞれの活動を始めている。私は先日来続けている旧約聖書に登場する人物の系譜を整理するべく今朝はヤコブの系図を読んだ。
旧約聖書には人間の欲望や陰謀がそのまま記されていて現代の人間には作り事の世界のように見えるところが多い。その中を神のご意志がどう貫かれて流れるのか見分けなければならない。
 
暮れに作った句をいくつか載せる。
 新聞をゆっくり読んで冬温し
 テレビに礼 朝の体操終けり
 ためらいつ洗濯を出す師走かな
 金柑やかじって妻の蘇る
 幾つもの旅蘇る師走かな
 妻のフォト叩いて眠る大晦日
 百坪に吾独り居て歳暮るる

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