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2008年12月 1日 (月)

死をスタート地点として

「こころの便り」読ませていただき奥様の闘病のご様子を知り、なおさらに奥様の素晴らしさを知ることができました。一人の人のなすことは周りの人の心によって生かされるのだなあと思いました。せっかく造ったものも誰からも見向かれなければそれまで。でもそれを好意的にみてくれて、さらに使ってくれることで、生き生きとしていきます。
今、先生が奥様のことを書き記されることで、奥様がなさってらっしゃったことが私のようなものにまで形になって触れさせていただける。本当に素敵なことです。

 
これはTOさんからいただいた手紙の一部である。了解を得て紹介させていただく。
 
今頃になってこうした言葉を感謝して受け取り、妻が生きたこと、そして死を迎えたことを肯定して受け取ることが出来るようになった。

 死後2、3ヶ月はどんなに妻の生き方をよしとしてくださってもそれは妻のいない現実に比較してあまりにも小さな慰めでしかなった。
 
妻の行き方を肯定していただくことを通して、私は死を受け入れ、先に進むことを促されている。
 
 少し強がりを言い過ぎたようだ。今朝はまず、役場に行き医療費補助の申請をし、隣町の千円床屋で散髪をしてもらい、帰りにドライブスルーの店で中華丼を買って帰った。
 役場では受け付けに電話を入れ車椅子を駐車場に持ってきてもらい、床屋ではベルトを持って立ち上がりを助けられ、家に帰って駐車場におきっぱなしにした車椅子に乗ってようやく帰り着いた。
 誰も迎えてくれない部屋で「ばあちゃん、帰ったよ」と写真に向かって一声かけて、お茶を入れ、昼食にありついたのだった。
 孤独感はそう簡単に消えそうもない。

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