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2008年12月 2日 (火)

焼き芋

そぞろ神通り過ぎて秋暮るる
動かぬ身湯に抱かれたる冬の夜
焼き芋屋仏さんにと一つ足し
妻のなき日の重なりて師走かな
行き先を告げる人なく師走かな
捨てかねるスーツ下がるや冬掃除
大根も積んでもらって別れ来る

今月の俳句。どれも自分ながら感心するものではないが生活の一端を紹介するものとして残そう。
一句目。「そぞろ神」は人の心に取り付いて心をそわそわさせる神(漫ろ神)のことだ。芭蕉はこれに取り付かれて落ち着かなくなったと「奥の細道」に書いている。秋、旅行の季節、紅葉刈りで旅行誌もテレビも特集を組んでいたが、私のところはそぞろ神が素通りしてくれた。
二句。一日で最もくつろぐ時間。いつもはどこかに負担のかかる体なのだが、この時ばかりはそれがない。全身を包むお湯に抱かれているようだ。
三句。先日の夕方、長男が焼き芋を買いに出た。出稼ぎで冬場だけやってくる焼き芋屋さんである。その人が「おばあちゃんは?」と聞いたので亡くなったことを伝えると、焼き芋を一本追加して「おばあちゃんの仏壇にあげてくれ」と言ったという。焼き芋屋さんの心もありがたいが、妻が誰とでも親しく交わっていた証拠でもある。
四、五、六句は一人欠けた家の歳末風景。
最後の句は先日のバザーの日のこと。皆さんから多くの援助を受けて一日を過ごし、バザーが終わって、残った葱や白菜をいただいたのだが、「大根ももって行くかい」と言ってTさんが車に積み込んでくれた親切、それが詠みたかった。

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