« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月30日 (火)

「いのちを生き切った、妻の、母の、ばあちゃんの6か月」

タイトルの題名の本を作った。そして今、妻の写真の前にある聖書の上に載せてある。
目次は以下の通り、

08123010img_0849

  序章 足引く妻
  第一章 闘病の記録
   第一節 仙骨へのガン転移
   第二節 放射線治療
   第三節 抗ガン剤治療
    ① 抗ガン剤治療を受け入れる
    ② 外泊許可
    ③ 2回目の外泊
    ④ 第2クールの治療始まる
    ⑤ 緊急の入院
    ⑥ 半年の命 
   第四節 妻の命に向き合う
    ① 病状の急変―命の危機―
    ② 個室での最期の日々
   第五節 看護日誌から
    ① 疼痛との闘い
    ② 食欲の減退
    ③ 言動と傾眠
  第二章 妻、神の元へ
   第一節 輸血と鼠頸部点滴のこと
   第二節 誤嚥が起きた日
   第三節 呼吸が困難になってきた日
   第四節 妻、天に召される
  第三章 天に一人を増しぬ
   第一節 前夜式
   第二節 葬儀・告別式
   第三節 納骨式
    ① 式の様子
    ② 説教
    ③ お礼の手紙 2通
  編集後記に代えて 「悲しみの背後に光りあり」
 

| | コメント (0)

2008年12月29日 (月)

妻の息を感じつつ

若いものが皆外出して独りとなった。テニスの練習やサッカークラブの忘年会があったのだ。
居間の畳の隅に妻の写真は十字架や聖書と一緒に飾られている。私はそこから少し離れて座椅子に座りご飯を食べたり新聞を読んだりするのが常である。
だが昨夜は写真のすぐ前に席をとった。すると小さなテーブルに載っている写真が私の耳もとになった。写真が大きいこともあって妻が生きて脇にいるようである。妻の息が私の耳や首にかかる。
「ばあちゃん、2人だけになったね。いい顔しているじゃないか」と話しかけてみる。妻はだまって笑顔で炬燵の上に拡げてある雑誌に視線を落としている。
抱き寄せたい衝動に駆られながら、しばらく写真を見たり、雑誌をめくったり、私は2人の時間を保っていた。

| | コメント (0)

2008年12月27日 (土)

ふうせんかずら公園

Photo_2 ヒカちゃんが描いた「ふうせんかずら公園」をお楽しみください。ふうせんかずらが子どもたちと一緒に、子どもたちを助けて、そして自らも楽しそうに公園で遊んでいます。 (絵をクリックしてくだされば大きくなります。HEREにも追加しました。)

| | コメント (0)

2008年12月25日 (木)

「そうか、もう君はいないのか」

「ただいま」と 写真を撫でる 彼岸過ぎ
城山三郎氏の俳句である。
去年の春、同氏は亡くなったのだが、亡くなる前、1998年から書き綴った手帳が数冊仕事部屋に残されていたのだそうだ。
先日発売された「小説新潮」にそれが公表された。城山氏はこの手帳に忙しい日々の様子を書き込んでいるが、私がこの雑誌を買ったのは98年に亡くした妻容子さんへの追慕の情を何年にもわたって隠さず記録しているからである。
著名な作家で、社会的な活動も精力的に続けた彼が奥さんの死に関しては世間のどこにでもいる男の心情を持っていたことが手帳の書き込みからよくわかる。
上掲の俳句は容子さんの死後3年たっての句だが、今の私と同じ心境である。
タイトルに書いた文句は城山氏の著書の名前である。城山氏が亡くなる前年の2006年になって、容子さんが「最高最大のテーマ、俺でしか書けないテーマ」であると気づき、全力集中した作品のようだ。
妻は男にとって慈悲の権化のように尊い。

| | コメント (0)

2008年12月24日 (水)

我家のクリスマスパーティー

Photo 今夜、ハルちゃんがテニス試合に出場するために東京に行く。そのためにパーティーを一日早めて夕べ行った。
ヒカちゃんが司会をする準備を午後から整えていた。司会者の言葉がこう紙に書かれた。「これからクリスマス会をはじめます。し会の光です。
さいしょにごはんをたべます。
つぎにケーキをたべながらビンゴをします。
次はじゃんけんたいかいです。わたしにかった人は前へ出てきてください。
さいごにサンタさんからプレゼントをあげます。」
  
実行力のあるヒカちゃん。ケーキ作りからプレゼントの用意までママと一緒にせっせと行ってパーティーは始まった。
ビンゴカードが配られ、ママが会社から借りてきた電気仕掛けの機械で数字を出して、カードの穴が次々に開けられた。見事ビンゴが出るとクラッカーが鳴らされ紙テープが皆の頭やテーブルに散った。
ビンゴが終わって気づくとばあちゃんの写真の前に配っておいたカードは誰も注意を払わず、そのままになっていた。
大人はシャンパンをいただき、大きな苺の乗ったショートケーキを味わい、プレゼントを分け合ってヒカちゃん企画のクリスマス会は終わった。
プレゼントはビンゴで勝った順に選んだのだが最後に交換し合ってそれぞれにふさわしい品を受け取ることになった。私は座椅子。
妻の写真が、姉が昼に持ってきた花とママが昨日挿しておいた花に囲まれて見詰める前で展開されたクリスマス会はこうして終わった。
新しい家庭の姿になってこれからいろいろのことが展開していくことだろう。

| | コメント (0)

2008年12月22日 (月)

「教え子」からの手紙

教員になって2回目のクラス担任をしたときの女性からはがきをいただいた。40数年前に中学一年生だったから今何歳になるだろう。
学校では私はキリスト者だという話はしなかったが担任した生徒のなかには主を信じるようになった子が何人かいる。このOさんもその一人である。
葉書にはこう書かれていた。

「ハレルヤ お便りありがとうございました。奥様一足お先に天国に迎えられたそうですね。私たちには再会の望みがありますがやはり目の前から姿が見えなくなると寂しいものです。先生の恵みと平安を祈ります。」
こう簡潔に正面切って召天のことを書かれると疑いが入る隙がない。「一足お先に」とはよくぞ言ったものだ。Oさんも再会に何の疑問も持たないのだろう。
ありがとう、Oさん。

| | コメント (0)

2008年12月21日 (日)

クリスマス

主の降誕に感謝。
重い恵みをいただくクリスマスであった。
マタイによる福音書はイエスの誕生がこの世の凶暴さの中の出来事であったことを伝えていた。ユダヤ人の王が生まれることをヘロデは許さず、2歳以下の子供を皆殺しにしたのだ。イエスはエジプトに逃れたがその誕生の裏にはかくも悲惨な出来事が存在した。
今日は一人の兄弟の受洗の日でもあった。犠牲の中で生まれたイエスを自分の救い主として告白して水による清めを受け新しい命に生きるものとなった。
礼拝では聖餐にも与った。裂かれた肉の象徴のパンは固かった。血を流し、鞭打たれたイエスの肉はかくも固かったに違いない。イエスはそれを私たちの救いのために差し出してくださったのである。
 固き肉主よりいただきクリスマス

| | コメント (0)

2008年12月19日 (金)

ATMが使えない

そろそろ今月の食費や光熱水量費用を若い者に渡す日になった。それには年金を口座から引き降ろしてこなければならない。
昨日近くにある郵貯銀行のATMコーナーに出かけた。慣れないことゆえ外に待つ人が並ぶと余計にトラブリそうなので昼ごろを狙って行ってみた。幸い誰もいない。
電動車椅子は狭いコーナーでは動かしにくいので、入り口で手動に切り替えて機械に横付けした。
キャッシュカードを差し入れると、希望する取引を選ぶよう指示される。それは液晶画面に示される幾つかの取引のうちから選ぶのだが困ったことに車椅子の目線からでは画面が白っぽく光るだけで何も見えない。肘掛につかまって身を高くしてみたがだめである。
そのうちにカードが戻されてもう一度やり直すように機械が言う。
なんとか画面を読もうとカードを入れなおしたがダメである。
お昼時は太陽を背にして光が一杯にコーナーに入り込んでいる。高い窓をシャドーにしてくれれば見えるかもしれないが、これでは車イス使用者には使うことが出来ない。
仕方なし日がかげる頃にでも出直すしかないとあきらめて帰宅した。
こんな小さなところにも障害を持つ人には不自由が転がっている。

| | コメント (0)

2008年12月18日 (木)

70男の嗚咽

大学時代の友人が電話をしてきた。最初のうちは、声が変わったけど風邪を引いているんじゃないかと私を気遣っていたのだが、そのうちに、葉書をもらったけどなんと言えばいいのか分からないのでこんなに遅くなってごめんなと本題に話を移していった。
本当なんだね、信じられないんだよ、と妻の死を念を押した。まだ彼の人の良い、温厚な性格がそのまま現れた話し方だった。
私が、妻は癌で、痛みに耐え抜いた日々だったよと二月ごろからの病状や看護の様子を話すと、痛みが押さえられなかったんだねと彼が言った。
彼は今息子さんの子供、すなわち孫を2人預かって育てている。息子さんの嫁さんが子供を残して癌で亡くなったからである。その彼女は1年の闘病生活で亡くなったそうだが、やはり痛みがひどく、モルヒネを痛みのたびに使っていたそうだ。
私ができるだけ傍に寄り添い看病したことや子どもたちが交替で面倒みたことを話すと、つらかったな、と相槌をうち、おれ、おかしくなってきちゃったよ、というが早いか泣きじゃくり声が途切れ始めた。そして、また電話するよと嗚咽の中でしゃべるので、わたしもありがとう、ありがとうと言いながら泣いた。彼は嫁さんの苦しみを思い出したに違いない。それに私たちの悲しみを重ねていたのだろう。電話は終わった。
電話を終わって畳にしばらく横になっていたのだが、最近は乾いていた涙がとめどもなく流れた。私のなかにはまだこんなに涙が溜まっていたのだった。

| | コメント (1)

2008年12月16日 (火)

生活スタイルの変更

朝ご飯もそこそこに病院に出かけた。泌尿器科と整形外科を受診するので早めに行く必要があったのだ。
いつものように姉の家によって同行してもらった。
  
泌尿器科はもう何年もかかっている。前立腺肥大による頻尿の改善を狙っての受診である。だが、すっかりよくなるということはない。今日も医師がどうですかと問うので、まあまあですね、と答えた。歳相応の状態でよしとしなければならないのかもしれない。エコーで残尿の様子を見たり、尿検査もしたが特に問題はないというからこれでよしとしよう。
障害を持っている人の場合、トイレは誰にとっても面倒なものだ。車イスのトイレがどこにでも備えられているわけではないから予防的に早め早めに用を済ます。その結果膀胱が少量で尿意を感じることになってトイレに行きたくなるという悪循環をきたすのである。
 
整形外科は股関節の状態の検査が目的だった。妻の納骨が終わった九月初めから杖で立ち上がると腰に力が入らない。私の場合子供のときから股関節は亜脱臼の状態にあるのだが、どうも外れ具合が大きくなったらしいのである。だから、立ち上がって大腿部の骨頭が収まるところに収まらないと一歩も動けない。
ダンベルに紐をつけて足首に結わえ、それをベッドから垂らして足の繋引をしてみた。すると立ち上がったとき足が腰を支えている感が強まる。こんなことから一人の生活になって歩くことが極端に減ったので筋力が弱り脱臼も大きくなったのだろうと判断していた。
だが最近は同じ姿勢を長くとると痛みも出てきたので整形で確認してもらうことにしたのだ。
案の定、レントゲン検査の結果、右股関節は骨盤から外れていた。医師はこれはこのままにしたほうがいいでしょうと言った。手術は大掛かりのものになるし、やったからと言って生活しやすくなるということも確約できない。
私はその言葉に納得して、このままで出来る暮らしをしていきます、と言って診察室を出た。寂しさ、不安はなく、むしろ生活スタイルが決ったような気がして、うれしかった。

| | コメント (0)

2008年12月14日 (日)

雨が降って教会に行けない

雨が降って教会に行けなかった。
炬燵に入って障害を持つキリスト者の二つの団体の機関紙をゆっくり読んだ。一つは東京の、もう一つは四国にある団体である。
後者の「まじわり」を読んで、感謝の言葉を葉書にこうしたためた。
「クリスマスおめでとうございます。まじわり№76の発行おめでとうございます。主にあって、これからもこころ豊かな日々が送れますように。
今、ヨハネ黙示録を読んで慰められています。命の書に記された者には希望があるのですね。
またお会いする日のあることを願っています。感謝。」
こんな文面の背後には妻の召天をたんに悲しみの中でとらえたくないという私の思いがある。ヨハネ黙示録はやがて成る神の国を感動的に語っているのである。
 
妻の苦しみの記録をHPにアップした。http://homepage3.nifty.com/bridge2/kokoro.html 

| | コメント (0)

2008年12月13日 (土)

大すき家ぞく

Photo_2  ヒカちゃんはなんでも興味の対象にしてしまう。
先日教会バザーの商品名を私が毛筆で書いているとき、ヒカちゃんが自分もやると言い出した。
そして書いたのがここにある家族全員の名前である。書き終わったのを見ると、なんと亡くなった妻の名もあるではないか。
「ばあちゃんの名前もあるね」と言うと「いいんだよ」と当たり前のように言う。ヒカちゃんにとっては妻はまだヒカちゃんと一緒にいる存在なのだ。
亡くなった者だけでなく、金魚や犬のライアンまでも皆含めてヒカちゃんの家族になっていた。
そして名前が書き終わったらその下に「大すき家ぞく」と大書した。いい言葉だ。

| | コメント (0)

2008年12月12日 (金)

妻の聖書

遺影に花が寄り添っている台の上に聖書が置いてある。手垢で黒ずんだ赤紫色のカバーが掛かった分厚い聖書である。
夕方書斎の作業が終わって居間に移ると靴を脱いで畳のある部分に席を占める。ひとっきりニンテンドーDSでゲームをしてもまだ孫とママは帰ってこない。そのとき私は聖書を開く。箇所は「信徒の友」という雑誌で日々の聖句として選ばれているところだ。
聖書を開くと、鉛筆が転がり落ちる。妻が小さなノートと一緒にページの間に挟んでいたものだ。目が不自由だったにもかかわらず、聖日ごとに説教の内容を妻はこのノートにメモしていた。2月4日には入院になるのだが、ノートを見ると1月末までせっせと書いていたことが分かる。
聖書には他に、聖句が載ったしおり、週報なども挿まれている。
こんなにして礼拝に出て、神の言葉を聞いていた妻だった。
私はその彼女の体臭のする聖書を今日も開こう。

| | コメント (0)

2008年12月11日 (木)

見張り(衛士)が朝を待つこころ

昨日の続き。
今日も便りや贈り物が届く。多くの人の輪の中に置かれていることを実感し感謝。

浦安市で牧師をしているKさんからはこんなメッセージが届いた。
「クリスマスの便り、ありがとうございました。12月7日の説教でご夫妻のこと、カードの言葉を紹介させていただきました。いつも同行二人のお姿は忘れられません。クリスマスによる慰めと平安を祈ります」
  
先ほど電話してカードのお礼を述べた。Kさんは終戦の困難の中お母さんに連れられて朝鮮から引き上げてきた方である。途中、妹さんを亡くしている。お母さんの苦しみはいかばかりであったろう。
Kさんが成人し会社員となりお母さんに平和の時がようやく訪れたように見えたとき、Kさんは神様の召命を受け、神学校に行く。お母さんはこの世の平和をもう一度奪われることになった。
その上、Kさんが神学校で学びの途上、大学紛争で機動隊の導入を契機に大学側と対立し、彼は自主講座での学びの道を選び、やがて開拓伝道を始める。

電話でKさんは35年の牧師生活をしたと言っていた。障害を持つ人2名から始まった小さな伝道所は今や立派な独立した教会になっている。お母さんは「体がますます小さくなりましたが・・・家で穏やかに過ごして」いるとのこと。
Kさんは肝炎の治療で今辛い日々を送っているのだが、3月には引退をするという。
多くの困難を経験し、主に頼って生きるKさんであるから「主イエス・キリストの誕生を、見張りが朝を待つこころにもまして待ち望み、クリスマスには共に喜びに与りましょう」という私の言葉を礼拝でも紹介してくださったに違いない。

| | コメント (0)

2008年12月10日 (水)

涙、再び

待降節に入ったのを機にクリスマスメッセージを書いた。これを先日70枚ほど葉書に印刷して送った。でもいつも賀状をいただいている人全員ではない。まだ妻の召天をご存じない方だけに送ったのだ。その意味では喪中葉書のような性格もあるかもしれない。
 Nenga
この葉書を読んで多くの知人がメールで、電話で、また手紙で妻の死を悼み、妻の生前を偲び、そして私を励ますために連絡を取ってきてくださっている。
ポストに取りに行けないのでお手紙を読むのは家族が帰ってくる夕方になるが、読むたびに新たな涙に濡れる。皆さんが偲ぶ妻の優しさ、誠実さゆえに、別れたことの喪失感がますます増し、一度乾いた頬がいやおうなしに濡れるのだ。
読み終わった手紙は、ほら、皆がこうして心配してくれているよ、惜しんでくださっているよといいながら花で飾られた妻の写真の前に供える。

| | コメント (0)

2008年12月 8日 (月)

携帯電話依存症

タイトルのような状態に陥っている人が最近多いそうだ。自分ひとり、自分が主体になって安心して時間を過ごすことが出来ず、常に携帯電話で相手を求めたり携帯につながっている情報を確認していないと落ち着かない。想像するにこうした心理状態を指すのだろう。
この言葉を聞いたとき、ふと自分の生活をちくりと批判された思いがした。
一人の生活になってしまい、一日人と向き合って話すチャンスもなくなった。新聞を丹念に読み、10時近くなって書斎に入る。その後はパソコンに向かっていることが多い日々である。妻がいるときは買い物に付き合ったり、近くの温泉に日帰りでいったりもしたが、今はそんなこともない。本を夢中になって読むことも出来なくなっている。
そんな中で一日に何度かメールチェックをする。自分で送らないのだから入ってくることもないのだが、ほとんどは不要メールばかり。それでも数時間たつとまたチェックしたくなる。
ブログへのアクセス状態も気になる。今日は何人の人が読んでくれただろう、とここでも確認したくなる。
これは若い人たちが携帯電話にかじりついている心境とあまり違わない。
一人の生活に慣れてきたとはいえ、まだまだ空虚なこころを抱えているのだ。

| | コメント (0)

2008年12月 6日 (土)

人間喪失

先日の朝日新聞に怖い記事が載っていた。朝日は「聞く」というコラムを設けて、今柳田邦男さんから聞く形で紙面構成をしている。その第9回で柳田さんが小児科医から聞いたこんな話を載せていたのだ。
ある病院のそばの母子休憩所で、母乳を与えていた10人ほどの若いお母さんが、誰も赤ちゃんの顔を見ないで、全員黙々として携帯電話でメールの確認や打ち込みをしていた、というのだ。
母乳を与えるという行為は母の子供に対する最も大事な行為だろう。母の愛を子供に伝え、子供の命を育て、人間に育てる、その基本となる行為ではなかろうか。
また、お母さんも安心して乳房にすがる赤ちゃんの姿を通してお母さんにさせられていくに違いない。
それなのに母と子が別の、無関係の関係になった状態であたかも子牛が機械によって乳を与えられるように授乳を受けている。
これは怖いことだ。

| | コメント (1)

2008年12月 5日 (金)

出来ないことが増えても・・・

教員になって初期の頃担任したTTさんからメールをいただいた。脳性まひの障害をもっている女性である。もうお孫さんもいる「おばあちゃん」だが、いたって元気で、妻の具合が悪いことを伝え聞いた時などは「頑張ってる人にもっと頑張れというのは惨いことかもしれませんが、奥さんだって痛いのに頑張っておられるのだから、先生も男でしょう。しっかりせねば・・・。まけたらだめよ。先生。泣き顔を見せないで、笑って、笑って。」と発破をかけてくれた。
しかし、障害を持っている人は突然体の痛みや力の衰えがやってくる。メールはそのことを伝えるものだった。
  
冗談じゃなく寒くなりました。お元気ですか?ストーブを背中に背負いたい気分です。
思いのほか身体がいう事を利いてくれなくて困ってます。ヘルパーに言ってみたら、私はまだ進み方が緩やかな方だと言われてますが。去年、時間をかけずに出来たことでも、今年何でこんなに時間がかかるの?そんな思いばかりを感じるこの頃です。
玄関で立とうとすると一度で立つことが難しくなり、ヘルパーの手を借りることとなり、外出もままなりません。
これから辛いことがもっと増えるでしょうね。もう~、頑張りたくないです。自然のまま、ありのままの自分を見つめて、認めて行くつもりです。
今まで出来なかったことをなるべく時間の許す限りしていきたいと思います。
  
私はこう返事を書いた。
寒くなりましたね。あまり家を出ない私ですが、たまに出るときには何を着て行ったらいいのか迷います。
体が言うことを聞いてくれない、この悩みは障害を持つ人は皆抱えているようです。わたしも一つ一つの動作が多くの時間を要するようになりました。それもこの一年の間に進んできたようです。
トイレに行ってズボンをあげるために立ち上がること一つをとっても大変です。前は洋式トイレがあれば外出しても苦労はありませんでしたが、今では手すりが用意されていないトイレでは立ち上がれません。
出来る範囲で生活していくより他にないですね。お互い、気持ちだけは強く持って、また時には開き直って一日一日を楽しくやっていきましょう。
風邪を引かないように注意して、新年に備えてください。ではまたね。

| | コメント (0)

2008年12月 2日 (火)

焼き芋

そぞろ神通り過ぎて秋暮るる
動かぬ身湯に抱かれたる冬の夜
焼き芋屋仏さんにと一つ足し
妻のなき日の重なりて師走かな
行き先を告げる人なく師走かな
捨てかねるスーツ下がるや冬掃除
大根も積んでもらって別れ来る

今月の俳句。どれも自分ながら感心するものではないが生活の一端を紹介するものとして残そう。
一句目。「そぞろ神」は人の心に取り付いて心をそわそわさせる神(漫ろ神)のことだ。芭蕉はこれに取り付かれて落ち着かなくなったと「奥の細道」に書いている。秋、旅行の季節、紅葉刈りで旅行誌もテレビも特集を組んでいたが、私のところはそぞろ神が素通りしてくれた。
二句。一日で最もくつろぐ時間。いつもはどこかに負担のかかる体なのだが、この時ばかりはそれがない。全身を包むお湯に抱かれているようだ。
三句。先日の夕方、長男が焼き芋を買いに出た。出稼ぎで冬場だけやってくる焼き芋屋さんである。その人が「おばあちゃんは?」と聞いたので亡くなったことを伝えると、焼き芋を一本追加して「おばあちゃんの仏壇にあげてくれ」と言ったという。焼き芋屋さんの心もありがたいが、妻が誰とでも親しく交わっていた証拠でもある。
四、五、六句は一人欠けた家の歳末風景。
最後の句は先日のバザーの日のこと。皆さんから多くの援助を受けて一日を過ごし、バザーが終わって、残った葱や白菜をいただいたのだが、「大根ももって行くかい」と言ってTさんが車に積み込んでくれた親切、それが詠みたかった。

| | コメント (0)

2008年12月 1日 (月)

死をスタート地点として

「こころの便り」読ませていただき奥様の闘病のご様子を知り、なおさらに奥様の素晴らしさを知ることができました。一人の人のなすことは周りの人の心によって生かされるのだなあと思いました。せっかく造ったものも誰からも見向かれなければそれまで。でもそれを好意的にみてくれて、さらに使ってくれることで、生き生きとしていきます。
今、先生が奥様のことを書き記されることで、奥様がなさってらっしゃったことが私のようなものにまで形になって触れさせていただける。本当に素敵なことです。

 
これはTOさんからいただいた手紙の一部である。了解を得て紹介させていただく。
 
今頃になってこうした言葉を感謝して受け取り、妻が生きたこと、そして死を迎えたことを肯定して受け取ることが出来るようになった。

 死後2、3ヶ月はどんなに妻の生き方をよしとしてくださってもそれは妻のいない現実に比較してあまりにも小さな慰めでしかなった。
 
妻の行き方を肯定していただくことを通して、私は死を受け入れ、先に進むことを促されている。
 
 少し強がりを言い過ぎたようだ。今朝はまず、役場に行き医療費補助の申請をし、隣町の千円床屋で散髪をしてもらい、帰りにドライブスルーの店で中華丼を買って帰った。
 役場では受け付けに電話を入れ車椅子を駐車場に持ってきてもらい、床屋ではベルトを持って立ち上がりを助けられ、家に帰って駐車場におきっぱなしにした車椅子に乗ってようやく帰り着いた。
 誰も迎えてくれない部屋で「ばあちゃん、帰ったよ」と写真に向かって一声かけて、お茶を入れ、昼食にありついたのだった。
 孤独感はそう簡単に消えそうもない。

| | コメント (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »