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2008年10月19日 (日)

気持ちよい礼拝

礼拝で居眠りをする。あまり褒められたものではないだろう。
昔東京の教会に属していた時、牧師の妹さんのKさんが毎礼拝でねていたことを思い出す。聾学校にお勤めの控えめな女性だった。甥御さんが2人とも聴覚障害を持っていて、元気に家の中を駆け回っていたが、東大の教授で牧師でもあるお兄さんとその奥さんを助けて一緒に住んで二人の養育にかかわっていたのだった。
礼拝で居眠りをする姿を見て、非難する気持ちはなかったが面白い人だなと横目で眺めていたものである。
ところが今私がその姿を呈することとなってしまった。考えてみるに説教を聞くときは全くの受け身で、安心していられることが原因の一つにある気がする。家にいるときは自分からエネルギーを発し、周囲に警戒のビームを出し続けねばならない。いや、周囲と言うのは適切ではない。自己に対しても目覚めていなければならないのだ。ぼんやりしている自分に鞭打って「何かせよ」と別の自分が命じる。仕方なし本をめくったりする。
これに対して、礼拝の時間は与えられるメッセージをただ聞くだけで時を過ごせる。緊張から解かれて安心の時を持てるのだ。
ながながと言い訳を書いた。一人の生活にもう少し慣れないうちにはまだ居眠り礼拝が続くことだろう。

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