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2008年10月30日 (木)

死は平和の永遠の国への門

 教会の老いた友が1933年にどなたかが行った「死者追悼主日説教」を送ってくださった。

 ここで説教者はまず、神は極めて明確に、死者はわたしのところにいる、彼らは平和の中にあり、とご自身の教会に約束したもう、と語る。「されど、彼らは平和の中にあり」と、神は言い給う、と語るのだ。
 さらに「神の『されど』は、われわれの思考と熱望に対立する。神の『されど』は、死者を死に失せさせず、死から呼びさまして、ご自身のみもとに至らせる。神の『されど』は、死を眠りとし、われわれを新たな世界に呼びきます〔ヨハネ11-14他参照〕。神の「されど」は、死者をパラダイスに連れてゆく」と宣言している。

 では死はなんであるか。

 「もしわれわれの信仰が死をほかのものに変えなければ、死は黄泉であり、夜であり、冷酷である。

 しかし、驚くべくも、われわれは死を変えうる。われわれの神への信仰がそれに触れる時、その時に、不安を作り出す狂暴な骸骨は、神の友となり、その使いとなる。その時に、死からキリストご自身が現われ給う。そうだ、それはまことに隠された事柄である。しかし、われわれはそれを知ることが許されている。われわれの生はそのことにかかっている。信じる者は平安を持つであろう。そして、死は信じる者を恐れさせはしないであろう。死は信じる者らをもはや掴むことはできない。彼らは神のみ手の中にあり、いかなる苦悩も彼らを掴むことはないからである」。

 そして説教の最後。

「今しわれ この世をぞ 生きゆかん、
さはあれど、この暗き幕屋には留まらじ。
旅しゆく わがこの道は 故郷へ
そこにて 父 われをこよなく 慰め給うらん」

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